こちらつつじが丘野川どんぶらこ通信946

 こんにちは。

 梅雨入り前はけっこう雨が降ってましたが、まあ、梅雨入り後もそれなりに降ってますか。というか、暑いですね。ビールがおいしいです。

 といいつつ、血液検査で血糖値がひっかかってしまいました。夜遅くは、炭水化物は食べないように、というお達しです。

 

 このところ、トレッキングには行っていません。まあ、暑いし、雨が多いし。

 超ゆる山トレッキングはしているんですけどね。

 例えば、世田谷区にある御岳山。というか、御岳山古墳。等々力渓谷の近く、満願寺の道路を挟んだ向かいにあります。登ることができるのは、年に一度、5月28日だけです。

 ということで、登ってきました。山頂には不動明王。お参りしてきました。なんかいいこと、あるといいな。

 このときは、ついでにこの周辺にある古墳をいくつか訪ねたのですが、尾山台にしろ田園調布にしろ、やたらと坂が多いです。こういうところには暮らしたくないです。田園調布に家は建たなくていいです。

 

 それから、荒幡富士にも上りました。所沢にある富士塚ですけど、けっこう立派です。あたり一帯も自然公園というか緑地になっていて、そこも含めてのトレッキング。山頂はいちおう、標高119mです。

 最寄りの駅が下山口駅、って、なんかよくできてます。

 

 そろそろ、釣りに行こうと思っています。天気が良ければ、小田原の米神漁港。JR東海道線根府川駅から早川方面に歩いたあたりにある、元漁港です。時間と興味のある方は是非、一緒に。現地集合で。

 

 「岸部露伴ルーブルへ行く」は、観ましたでしょうか。まあ、楽しめたです。わりと淡々とつくっていて、高橋一生のキャラで引っ張っていくというところでしょうか。飯豊まりえのコメディエンヌぶりも好きです。

 

 最近、読んだ本といえば、まずは温又柔の「永遠年軽」(講談社)かな。

 温は日本語ネイティブの台湾国籍。日本に永住権を持つ。どちらにも所属していて所属していない、というところから書いているのだけど、「永遠年軽」では、林(りん)さんと林(はやし)さん2人の合わせて3人の同級生の話。それぞれが、後に中国に行ったり、台湾に行ったり、国籍と住んでいる場所がみんなちがっていて、みんないい。

 それはいいんだけど、温が心を痛めているのが、入管法改正。結局、改正案は今国会で成立してしまったけど。そもそも、難民として日本に来て、生活し、けれども難民申請が受理されず、子どもは日本で育ったのに、退去しなきゃいけない、とか。日本語しか話せないし、帰国したら命も危ないかもしれないし、と。

 日本というのは、寛容さのない国だなあと、しみじみと思います。

 まあこれは、LGBTQ法案に反対するために、トイレや銭湯のことでデマをまきちらす人も同じなんですけどね。

 

 早瀬耕の「十二月の辞書」(小学館)は、「グリフォンズ・ガーデン」のスピンアウトみたいなものかな。元々は短編だったのを長編にしたとか。

 全編、理系漫才のような主人公のツッコミは、わりと好きです。でも、そこまでかなあ。

 

 鵜飼哲の「いくつもの砂漠、いくつもの夜」(みすず書房)は、あまり知らない人が取り上げられていて。でも、大きな流れとして、サブタイトルの「災厄の時代の喪と批評」っていうのが、9.11から3.11を経て、コロナで旅が終わる、というところに重なっていく。その間、いろいろな人が鬼籍に入っていく。その向こう側には、さらに二十世紀に残してきた問題があり、詩人の金時鐘、作家の金石範が紹介される。前著ほどストレートではないので、なかなか入ってこないけど。

 

 日原雄一の「死にたさの虫が鳴いている」(幻戯書房)は、いただきものだけど、そういうことでなしに、変な本で面白いです。

 イメージとしては、陰キャの落語家(ってどんなんだよ)が高座に出てきて、笑えないような話をずっとしていてお客さんはみんな困るという、そんな可笑しさがあります。

 著者は精神科医なんだけど、少年愛が強くて、ちょっと鬱で、それでも生きている、という。精神科医が鬱でどうするって思われそうだけど、北杜夫の例もあるし。

 そこ、〇学生男子に手を出しちゃだめだろ、とか。

 村祖俊一の表紙がいいです。というか、どんなエロ漫画のレジェンドなんだよ、って、ちょっとびっくりしましたけどね。

 日原雄一のこれまでの本は、「ローリング・ヘッズ叢書」じゃなかった、「トーキング・ヘッズ叢書」に書かれたものが中心だったけど、今回は書下ろしの小説。ということで、素直に楽しめた、というのもあるな。

 

 源川真希の「東京史」(筑摩書房)も面白かったです。これはおすすめ。

 源川は日本の近代史の研究者で、都立大学の教授。歴史というと遠い昔の話のように思えるけど、たかだか200年もない期間が、歴史として扱われるというのは、けっこう学ぶことが多いかもしれない。そんなわずかな昔のことでさえ、正確には記憶が伝承されていないから。

 東京オリンピックひとつをとっても、何となく1964年は成功したけど、2020年(の翌年)はさんざんだったなあ、くらいに思うかもしれない。でも、1964年ですら、さんざんだったことがたくさん。どれだけホームレスを排除したか、無理な新幹線の工事でどれだけ死んだか。

 日本は戦争はもうしないと思われているけど、戦後復興に朝鮮戦争がどれだけ寄与したか。

 関東大震災の復興と太平洋戦争の復興はどうだったのか。東京のどこが郭町だったかも。

 荒川放水路の掘削なんかも、遠い話。

 結局のところ、そういう歴史の上にぼくたちがいるわけで、もちろん平安時代も江戸時代もあるけれども、近代史もある。というか、ひょっとしたら、タチが悪いことに、近代史は捏造され続けてきたのかもしれない。明治時代以降のものが、なんとなく日本の伝統にされているし。

 という意味で、近代史は政治的にスリリングだとも思うのです。

 

 アミア・スリニヴァサンの「セックスする権利」(勁草書房)は挑発的なタイトルだけど、それにおとらず、おもしろかったです。勧めないけど。

 どんな本かというと、例えばセックスワークについて、そんなものは禁止しろという人と、合法化した方がいいんじゃないか、という人がいます。フェミニストの中でさえ、意見が分かれています。それぞれについて、一理あって、あーでもない、こーでもないと考えるので、読むとけっこうめんどくさいです。でも、はっきり言うところもあって、セックスワークを犯罪化したところで、貧困に追い込まれている女性が助かるわけではなく、非合法のセックスワークにおとしこまれているだけだと主張します。

 これまでの膨大なフェミニズム関連のテキストを読んだ上で、いろいろ考えをめぐらす、なかなか力業だというところもあります。

 

 マンガはといえば、鹿子と門馬司の「満州アヘンスクワッド」(講談社)を最新刊まで読んでしまいました。悪人の話といえば、ほめられたものではないのですが、戦前の満州からアヘン戦争に負けた中国を舞台に、高純度のアヘンをつかって、日本軍や中国の闇組織を相手に狡猾に立ち回る、多国籍のメンバーというのが、どこか「ワンピース」にも似たところがあって、読んでしまいます。

 ろくな人間が登場しないというのがいいですね。

 

 鈴木祐斗の「SAKAMOTO DAYS」も最新刊まで読みました。娘が面白いっていうし、表紙の安西先生が気になるし。主人公はこの安西先生そっくりの坂本太郎なのですが、元殺し屋で幸せ太りでこんな姿に。実はまだ20代という設定。殺し屋をやめたのに、殺し屋に狙われるので、どうにかしなきゃいけない、という話で、5巻とか6巻ぐらいまでは面白かったです。でもそこから先、ちょっとだれてくるなあ。

 

 えーと、以前、アナウンスした、よなよなの第1回公演「班女/マウンティング」は無事に終了しました。足をお運びくださったみなさん、ありがとうございました。