こちら葛飾区水元公園前通信改めこちらつつじヶ丘野川どんぶらこ通信937

 おはようございます。

 

 今回からタイトルを変えました。引っ越して半年たったし、まあ、いいかな、と。

 

 まずは、業務連絡から。

 すでに書店に並んでいますが、「トーキングヘッズ叢書No.92 アヴァンギャルド狂詩曲」が発売されました。今回も内容はてんこもりです。

 ぼくは、といえば、ニューウェーブSFについて書いています。なんだか、自分の原点に戻るみたいですね。ラングドン・ジョーンズの「レンズの眼」からはじまって、J・G・バラードの「残虐行為展覧会」、そしてマイクル・ムアコックのジェリー・コーネリアスシリーズ、最後はパメラ・ゾリーン。この機会に、ゾリーンの唯一の短編集「宇宙の熱死とその他の短篇」をペーパーバックで読みました。「宇宙の熱死」と「心のオランダ」しか訳されていないけど、未訳の「羊」や「忙しい家系図」もおもしろかったですね。

 

 そんなわけで、まずはトレッキングから。

 日が長いうちに、長めのトレッキングをしたいと思って、戸倉三山に行きました。JR武蔵五日市駅からバスで20分くらいから、臼杵山登山口があります。ここから、市道山、刈寄山を越えていくという。この3つが戸倉三山で、桧原村あきる野市、八王子市にまたがる、8時間くらいのコースです。

 低山ではありますが、そこそこアップダウンを楽しめます。風景は、とくに観るところはないとはいえ、けっこうきれいな落葉広葉樹林がところどころひろがっていて、これからの季節は、ほんとうはいいのかもしれません。でも、長いコースなので、日が短い時期はおすすめできないというのが問題ですね。

 最後は今熊山を経由して下山。あまり人もいなく、すれちがったのは10人くらいじゃなかったかな。逆ルートだと、下山後は瀬音の湯が近いです。

 

 釣りも少々。ハゼ釣りは2回目も行きました。10月中旬でも岸から釣れるので、やっぱり水は暖かいのかな。ウグイも一匹だけ釣れました。

 10月最後の日曜日は神奈川県の根府川。でも大根が人でいっぱいだったので、江の浦漁港に。ここで、唐揚げ用にネンブツダイ系の魚を釣ったりしていました。何やってんだか、という感じですが。最後にちょっとだけ大根に戻ってみましたが、ベラしか釣れなかったです。釣った魚は、キタマクラを除いて、すべておいしくいただきました。

 また機会をあらためて、アカハタを狙いに行きます。

 

 最近のイチオシの本は、ショーン・フェイの「トランスジェンダー問題」(明石書店)です。

 よくLGBTとかLGBTQ+とかいいます。でも、LGBとTには大きな差があります。それは自分の性別を変えているということです。とはいえ、それは単純な異性装から、性別適合手術まで、いろいろあります。そして、TはLGB以上に困難な状況に置かれてきたということ、同時にTへの対応は、それ以外の一般的なマイノリティへの対応へと適応可能であるということが語られています。

 例えば、Tのセックスワーク就業率は比較的高いものとなっています。でも、その背景にあるのは、Tの一般的な就業の困難さです。とりわけ、フェイの住む英国では、移民のトランスジェンダーが困難な状況にいるということです。そこには、一部のフェミニズトや左派が言うようなセックスワーク禁止論への反論があります。余談だけど、ぼくもフェイの考えを支持するし、最近ではフェミニズトで文化人類学者の山口智美もセックスワーク禁止論を考え直したということです。

 もちろん、社会制度的な不平等もありますし、何より一部のフェミニズトから排除されているという問題もあります。いわゆるTERF(トランスジェンダー排斥ラディカルフェミニズト)の問題もあります。これ、最近では、笙野頼子が有名ですよね。実際、清水晶子の解説では、冒頭に笙野のことが書かれています。

 笙野のケースがすごくわかりやすいのだけれど、英国でもTERFがいて、女性の居場所からTを排除しようという運動になっています。そして、こうした運動が、保守的な層と結託しているということです。笙野が参議院選挙で山谷えり子に投票したことを告白していますが、まさに同じことが英国で起きているということです。

 TERFの主張というのは、性の自認を認めてしまえば、ちんこのついた女装男性が女性用トイレに入ってくる、ということです。それどころか、自認しているのであれば、男装でも入ってくる、と。でもまあ、現実的な話をすれば、トイレは個室だし、男装で性自認が女性だったら、男性用トイレを使うだろうな、と思うのですが。

 そういうわけだけど、トランスジェンダー問題の深刻さを表しているのは、実は平均寿命が短いということです。単純に、困難な環境を生きていること、社会によるストレスが大きいことなどが、その原因としてあります。

 誰もが生きやすい社会は、Tであっても生きやすいし、そう思います。

 ところで、この本はそうした問題を指摘しつつ、希望を与えてくれる本でもあるのですが、フェミニズム的に、1つユニークなアプローチをしています。というのは、その理論的根拠を、第二波フェミニズムに求めていることです。トランスジェンダーに理解がある、第三波以降のフェミニズムジュディス・バトラーの主張からTの問題を導くことは可能だとしたうえで、あえて第二波フェミニズムがTを排除していなかったことを引用しているのです。

 例えば、ポルノやセックスワークに強く反対しているキャサリン・マッキノンやアンドレア・ドウォーキンを引用しているというのは、ちょっとびっくりです。でも、そこまで戻ることで、より強固な論拠を固めようという意思があるのだと思います。

 

 清水晶子つながりで、「ポリティカル・コレクトネスからどこへ」(有斐閣)も読みました。清水とハン・トンヒョン、飯野由里子の3人による鼎談を中心とした本で、それぞれの論文も収録されています。

 清水はフェミニズム担当ですが、ハンは在日問題、飯野は障害者問題をとりあげています。マイノリティが差別されるということに対し、政治的な正しさ(PC)をもってそれが是正されてきたものの、米国のトランプ現象など、PC疲れということも言われるようになってきました。日本でも、繰り返されるヘイトの問題があります。

 ただ、本書を読んでいて、虚を突かれるであろうことは、ハンの日本における戦後民主主義への批判です。

 日本国憲法が日本語に翻訳される過程で、「自然人だったものが国民と訳されてしまった」ことにより、日本では国民とそうではないしととの分断が放置されてしまったこと、そして放置してきたのが戦後民主主義であること、という指摘です。これはぼくも本当に重大な問題だと思います。

 ツイッターで岡野八代が岩波書店の「世界」の戦後民主主義特集を引き合いにだし、ジェンダーの問題はイチからやり直さないといけないということをつぶやいていたのだけれど、実はそもそも、戦後民主主義といわれているものが、どれほど人権問題に対して鈍感であったのか、ということを考えると、やり直すもなにも、始まってすらいないのではないか、とも思います。

 ハンの指摘は、分断によって、国民ではない人の人権を考えない社会になってしまったということです。本当に、この国では、まともに人権が考えられてこなかったと思います。

 

 高山羽根子の「オブジェクタム/如何様」(朝日文庫)は、ちょっと水木しげるみたいなテイストがあるなあ、とあらためて思いました。どこか、あの世的で、戦争の影響を残している、という。「オブジェクタム」の、壁新聞をつくる祖父、なんだか水木かつげ義春の絵が浮かんできます。「太陽の側の島」は、南の島に戦争に行った夫と内地に残る妻との文通なんだけど、南の島があの世っぽい。「如何様」は画家である夫が戦地から復員してきたのだけれど、どうも別の人っぽい。でも妻はそもそも、かつての夫に会ったことがなかったので、わからない。でも、ミステリーなんかじゃなく、まあそれでいいんじゃないか、という。そこでリアリティを失っていく。

 意外に面白かったです。高山はときどき東京新聞で美術評を書いていて、それもすきなんだけど。まあ、SFでデビューした人でもあるけど、だからといってデビュー作の「うどん、きつねつきの」がガチなSFではないので、このゆるい感じがいいかな、と。

 

 石沢麻依の「月の三相」(講談社)は、リアルな分断を経験したドイツを舞台にした、山尾悠子のような感触の小説でした。濃密すぎて読むのはちょっとしんどかったけど。ドイツのある町が舞台、人々は成長にともなって、仮面をつくってもらうという文化を持つ。とはいえ、仮面をつくられるのがいやな人もいるし、どこかで仮面の成長が止まっている人もいる。祭ではその仮面を付けて踊る。仮面というアイテムそのものが、想像力をくすぐってくれるし。

 フェリシアを読んだ人は、南野骨茶の「真実の仮面」を思い出すかも。ぼくは、仮面というと能面のようなイメージを思い浮かべてしまう。

 

 麻生羽呂と吉田史朗の「野湯ガール」(小学館)は3巻で完結。命がけでいく秘湯はなかなか良かっただけに、ちょっと残念。

 末永裕樹と馬上鷹将の「あかね噺」(集英社)は3巻まで読みました。落語はいいですね。

 以前、テレビで観た春風亭ぴっかりがわりと元気があって気になっていたんだけど、今年真打になって、蝶花楼桃花と名前を変えて、やっぱり気になっています。

 

 山本義隆の「リニア中央新幹線をめぐって」(みすず書房)、だいたいその通りだなって思います。リニアは電気の無駄遣いだし、環境を破壊して建設してるし、経済的効果も見込めないし、負の遺産だよな、と。安倍晋三JR東海会長だった葛西はお友達で、3兆円の融資を勝手に決めちゃうし。リニアは安倍案件でもあるわけで、モリカケと同じじゃないか、と。

 大山の水が涸れることのないところで水が涸れているのも、リニアの工事のせいだって言われているので、静岡県の川勝知事の反対は、静岡県民の暮らしを守る上でも、大井川の水源を守るということで、ぼくは支持するのだけど。

 ただ、山本が指摘するストロー効果は、ちょっとちがうと思います。たしかに、交通機関が発達することで、かえって地元経済が沈下するというのは、よくあることなのだけれど、でもアクセスが良く成ることで、経済圏をリフォームすることも必要だと思うし、地方に住んでいる人にとって、大都市圏へのアクセスが良くなることは、やはり悪いことではないとも思うのです。それでもリニアは不要だし、新幹線の整備については反対するものではないけれど、在来線を残してほしいとも思うのです。確かに新幹線ができると、在来線の収支が悪化し、維持ができなくなるのだけれども、それは新幹線と一体化して考えるべきなんじゃないかな。鉄道もまた、公益事業なので、ユニバーサルサービスという視点があってもいいと思う。

 それに、鉄道輸送はCO2排出が少ないので、貨物も含めてもっと見直されるべきだと思うのです。

 それって、テツの考えなのかもしれないですけど。

 

 ではまた。