こちらつつじヶ丘野川どんぶらこ通信957

 こんにちは。

 今年は花見はしそこなってしまいました。開花が遅かったというのもあるけれど。でも、ソメイヨシノも開花とともに若葉も出てきて、いつもとは違う感じだったと思います。

 

 前回、予告したように、栃木県鹿沼市の岩山に行ってきました。でもその前に、丹沢のエボシ山から。

 トレッキングシューズを新しくしたので、その足慣らしに、ゆるく行ける山に行きました。そうして選んだのが、大山の麓にあるエボシ山。マイナーな低山だし、道もはっきりしなくて、尾根を歩けばいいんだけど、それでもときどきルートファインディングが難しかったりとかもありました。山頂の標識のエボシの絵はかわいいんですけどね。

 ちょっと落ち葉が積もっている感じでワイルドなコースだったので、靴の感触を確かめるのにはちょうどよかったです。

 帰りは小田急を寄り道して、お風呂の王様高座渋谷店。

 

 その翌週、岩山に行きました。ここはその名の通り、凝灰岩の岩の塊で、登山道というよりは岩の間を通り抜け、あるいははいのぼって進んでいくという、アスレチックな山です。ロッククライミングの練習をしている人もいました。

 この山のメインは、山頂付近から下る、最大斜度80度、距離約70メートルの鎖場です。7本の鎖をたどって下っていくのですが、なかなかのものです。危険なので、あくまでも自己責任で、とくどいくらい標識が立っています。

 とはいえ、ぼくもここを下るために来たので、引き返せません。今回はヘルメットをかぶり、手袋をして下り始めました。

 上の方は、斜度が60度くらいだし、岩も乾いていたので、どうにか下ることができたのですが、下の方に行くと、一昨日の雨でまだ乾ききっていない上に、斜度がきつくなってきます。まあ、最後の2本ほどは、鎖につかまったまま滑り降りていきました。でも、ちょっと擦り傷ができたかな。

 本当は、ハーネスくらいつけた方がいいんでしょう。

 それにしても、やっぱりここは危ないです。埼玉県小鹿野町にある四阿屋山のツツジ新道、8mの垂直の鎖場も余裕、というくらいの人でなければ、行かない方がいいと思いました。

 この鎖場、上る人もいるんですよね。

 それにしても、鹿沼はちょっと遠かった。帰りは東武金崎駅で途中下車して、栃木天然温泉夢ロマンへ。

 

 その翌週は、公演が終わったかみさんとともに、超ゆる山。高尾にある、初沢山と金毘羅山。標高200メートルくらいで、高尾駅から1時間もしないで登れます。でもこれでは物足りないので、多摩森林科学園を散策。桜保存林こそ公開中止になっていましたが、そのかわりに入園料は100円。桜の一部は遠くからも見えました。

 帰りは竜泉寺の湯八王子みなみ野店でまったり。

 

 そして、昨日は、秋川丘陵へ。

 五日市線武蔵増戸駅からスタートし、標高300mくらいのゆる山を歩きました。弁天山から網代城山に至る道は、サクラもまだちょっと残っていましたが、それ以上にミツバツツジが見ごろでした。

 さらに小峰公園を通り、桜がほぼ終わった桜尾根を歩くわけですが、終わったといっても花びらは雨のように舞っていたりして、それなりに風情がありました。

 トレッキングの終点は瀬音の湯。

 

 しかしまあ、トレッキングとお風呂はずっとセットになっていますね。

 5月までは、もう少し山を歩いてみたいです。

 鳥取県に行く機会ができたので、大山と蒜山もちょっとねらっています。

 

 テレビドラマ「不適切にもほどがある」はけっこう楽しく観ることができました。宮藤官九郎のドラマって、はまれるときとはまれないときがあるんだけど、今回ははまれるほう。まあ、テーマの選び方も良かったし、阿部サダヲはともかく、俳優もいい感じで、河合優実は注目されちゃったかな。毎回後半のミュージカルシーンもよくできていたし、ストーリーもよく作り込んでいたし。それとSFということでは、タイムパラドックスネタもいろいろ仕込まれていて。昭和のなつかしさもかんじさせてくれました。バスもノンステップバスじゃないし。

 だからといって、昭和賛美に与しようとは思いません。だめなものはだめです。ただ、このドラマが受け入れられたのは、政治的な正しさに疲れてしまった人たちも少なくないことと、そもそも政治的な正しさについて盲目的に信じてしまったこと、というのが、背景にあるのだと思います。

 特に後者、何が不適切なのか、あまり考えてこないまま、従ってきた、という人が多いのかもしれません。そういう人には、阿部サダヲの言葉は響くのかもしれないですが、基本的には吉田羊の言っていることの方が正しいと思うのです。

 まあ、そんなことを思いつつ、楽しく観ていました。

 

 少し本の話も。

 香山リカの「61歳で大学教授をやめて「へき地のお医者さん」はじめました」(集英社)はけっこう楽しく読めました。年代も近いし、趣味も近いというのはあります。60代で新しいことを始めるというのは、ちょっと人生の軌道修正というのは、アリですね。精神科医から総合診療医になるだけでも、けっこう大変だったと思うし、北海道に移住するために自動車の免許を取得しなおすというのも大変だけど。

 

 竹村和子の「彼女は何を視ているのか」(作品社)もようやく読みました。絶版の本だし、アマゾンでけっこう高かったけど、竹村の本はこれだけ読んでいなかったので。

 クイアスタディーズを中心に論じてきた竹村だけれど、基本は文学批評の方にありました。でも、そこから少し離れて、映画に対する批評というのは、少し竹村の趣味もかんじさせるところがあって、楽しく読めます。ハリウッド映画をレズビアニズムの視点から見直していく試みとか。本当は「ジュディ・フォスター論」が中心になるらしかったのですが、それはついに書かれないままでした。

 

 中沢新一の「精神の考古学」(新潮社)も面白かったです。中沢がチベット方面(ネパールあたり)に行って、師の元で20年くらいにわたって修行してきたことが書かれています。修行していたのは知っていたけれど、ずいぶん後まで続けていたということだし、師について語ったのは初めてじゃないかな。

 森で裸になったりとか、そんなこともしているわけですが。苦行ではないんですね。むしろ、自分の身体に対していかに敏感になっていくのか、そしてそこから見えるものは何なのか、そのことは、そもそも身体が持っているものであり、かつての人間は修行によってそれを発見してきた。それを現代によって修行を通じて発掘していく。そんなことが行われているのだと思います。

 瞑想することにも意味があるし、そこで見えることは、身体というものにとっては、真実であるのだとも思います。

 

 クワハリ原作、出内テツオ画「ふつうの軽音部」(集英社)、けっこう好きです。ふつうの軽音部って、たぶんこうだよな、というところがなんかいいです。放課後ティー


タイムのようにはいかないです。

 あと、龍幸伸の「ダンダダン」(集英社)も読み始めてしまいました。オカルトも宇宙人も出てくるし、美少女もオタクもありだし、何なら怪獣とロボット。カオス感が半端ないです。そもそも、河野真一郎が取り上げていたのが読むきっかけだったんだけど。「怪獣8号」もそうだったな。

 

 とりあえず、「この素晴らしい世界に祝福を3」と「転生したらスライムだった件3」が楽しみです。