こんにちは。
もうすぐGWですね。自営業者にはあまり関係ないですけど。クライアントの1つは韓国だし。
たまった仕事を片付けるだけです。
ということで、今回も業務連絡から。
トーキングヘッズ叢書No.94「ネイキッド〜身も心も、むきだし。」が刊行されます。書店には4月28日ごろから並びます。ということで、今回もご購読のほど、よろしくお願いいたします。
ぼくはまあ、裸ということで、公衆浴場にかかわる作品について書かせていただきました。映画では「湯を沸かすほどの熱い愛」と「湯道」、マンガだったら「いいゆだね!」や「入浴ヤンキース」「のの湯」、小説だったら「メゾン刻の湯」、特撮だったら「仮面ライダーリバイス」など。
それとは別に、ジャン=フィリップ・トゥーサンの「Naked」とヴォンダ・マッキンタイヤの「夢の蛇」。
「シン・仮面ライダー」や「暴太郎戦隊ドンブラザース」なんかも。
とまあ、そんな感じです。表紙は七菜乃です。
読みどころたくさんあって、ヴィジュアル的も楽しめるはずです。
新刊おかげさまで、アマゾンは一瞬だけ、環境・エネルギー系の白書部門で1位になったりもしています。まだ店頭並んでいないで。100万部くらい売れないかな。
トレッキングの方はというと、あれから行ってないですね。超ゆる山には行きましたけど。例えば、等々力渓谷近くにある大塚山という古墳の山とか、芝公園にある丸山という古墳の山とか、日比谷公園のある三笠山という築山とか。いちおう、山ですね。
来週には、西丹沢の檜洞丸に登ろうと思っています。
体力的にもつのかどうか、というところではありますが。
本はですね、遠藤達也の「Spy×Family」(集英社)を11巻まで読みました。犬がもふもふでいいですね。それぞれの登場人物に見どころをつくっていて、上手だな、とも思います。こういうのを読むたびに、カルチャーの中では、家族の定義なんてとっくに変わっているのに、一部の政治家(と宗教団体)だけは旧態依然とした家族を求めているな、とも思います。
早良朋の「へんなものみっけ」(小学館)も8巻まで読みました。地方の博物館が舞台ですが、博物館には研究者もたくさんいるし、裏側というか、いろいろ面白いです。絵には少し難があるな、とも思わないでもないですが、博物学的にいろいろためになります。
日常生活に役立たない知識ではありますが。
温又柔の「私のものではない国で」(中央公論新社)は、いろいろ考えてしまうエッセイ集です。
温は3歳から日本で育っているので、日本語ネイティブだけど台湾国籍です。台湾は、政府はあるけれど、国家として認められていないという微妙なところでもあります。
温は永住権を持っているので、とりあえず日本でずっと暮らせますが、中国に行くときには、自分は中国人であることを認める書類が必要になります。書類だけの話ではあるのですが。
その温が心を痛めているのが、日本語が話せない外国人の子供です。適切なサポートがうけられず、うっかりすると支援学級に送られてしまう。
でもそれはまだいい方で、日本生まれだけど在留資格のない子供もいます。そういう子供も強制送還しようとし、あるいは親だけを強制送還しようというのが、日本政府であり、改正してそれをさらにやりやすくしようという入管法改正案が出ているのが日本です。
そういった問題をとらえつつ、自分のアイデンティティについても語る、そういうエッセイ集です。彼女を力づけたのが、李良枝ということも語られています。
表紙の、幼い温と妹の写真がかわいいですよ。
ダリア・セレンコ著「女の子たちと公的機関」(エトセトラ)は、ロシアの若い世代による小説。なんだかほぼノンフィクションみたいらしいけど。
ロシアの若い女性は、安い給料で働かされて、理不尽な男性上司の要求に応えつつも、責任感だけは持ってしまうので、仕事はきちんとやる、でも、それってどうよ、と思い、政治的な行動に出ると、当局からにらまれる、という。イラストもなかなかすごいですが。
安くこき使われるけど責任感だけはもたらされる女性の話って、日本でもどこにでもあることなんじゃないか、とも思いますが、いかがでしょうか。
ウクライナ侵攻直前に発表された作品ですが、ロシアでも政府に対する不満は強いな、ということがわかります。
アンジェラ・マクロビー著「クリエイティブであれ」(花伝社)は、フェミを期待すると、ちょっと肩透かしをくらうかもしれないです。
テーマはクリエイティブ系の自営業者について。さまざまな現場で、デザイナーとか、カメラマンとか、いわゆるクリエイティブ系の人たちが、自営業者として働いています。そうした人たちが、やりがい搾取を受けている、ということです。それはそれで、イギリスではサッチャー以降の新自由主義になって、環境は悪化してはいるのです。それでも、クリエイティブ系の人を育てる教育機関は重要だし、それはそれとして、自営業者に対して、ビジネスであることも学んでもらうことは意義があるし、そうしたところには、希望もある、ということです。
もちろんマクロビーは自己責任をおしつけるやりがい搾取を肯定しているわけじゃないですが、明るい面も見よう、といったところでしょうか。
実際にマクロビーは、自営業者がなかなか休暇が取れない、結婚して子供を持つというライフデザインが描けない、というような問題があることは指摘していますし、それらは解決されるべきことです。
これ、日本も同じだし、自営業者を活用するなら、彼らを守る制度にしていかないと、とも思います。って、ぼくもそうですね、よくわかります。
こうした問題を、一方的に社会の問題だけにするのではなく、フェミとしては、とりわけ女性の自営業者が困難に陥ることを指摘してもいますが、同時にクリエイティブ系の仕事がもっと質が高くなること、事業であるという感覚を養うこと、などについても指摘しています。
笙野頼子の「女肉男食」(鳥影社)も、怖いもの読みたさで読んでいまいました。ここでは笙野は自身がターフ(TERF:トランスジェンダーを排除するラディカルフェミニスト)であることを認めています。
ターフの主張は、性自認を自己申告にしたら、性自認の男性が女湯や女性トイレに入ってきて、犯罪が起きる、といったものなのですが。これって、夫婦別姓にしたら子供がかわいそう、という右翼の主張とよく似ています。
そもそも、性自認に関係なく、女湯に入りたいバカは女装して入るだろうし、女性トイレはほぼ個室なので、見た目が女性なら女性トイレでもいいんじゃないか、と。問題は、トランスジェンダー当事者が社会で需要されていないということだし、それは夫婦別姓にしないと多くの場合女性がさまざまな場面で自分を変えなきゃいけない、キャリアなどもつながらない、ということ。
ターフの主張は、右翼の思想と構造的に似ていることもあって、右翼と親和性が高い。それで、笙野は政治家として山谷えり子を支持している、というところにつながります。よりにもよって日本会議べったりの山谷ですか、と。あるいは、高市早苗がLGBTQ法案に反対するのは正しい、と。
同じ自民党でも、野田聖子は批判されちゃうし、稲田朋美も同様。
ジェンダーは原発と同じ問題で、左翼は結局は欧米に屈していると。まあ、TPP反対ではあれほど協力していた共産党に対しても、もう信じない、と。
ここまでくると、狂気すら感じます。デマを信じて、でも世の中の多くの人はこの事実を知らない、と。さすがに講談社も笙野を見限るわけですね。
小説家といえども、小さな世界にはまりこんでしまうと、何も見えなくなってくる、というのは、あとがきで取り上げられている、森奈津子や伊藤麻紀も同じなんだな、とも思います。
本書の帯には「ジェンダーの怖い話」ってあるけれど、人は簡単に狂信的になるという怖い話、なのだと思います。
村上春樹の新刊は注文しましたが、まだ届いていません。次回はその話なども。