こちら葛飾区水元公園前通信925

 こんにちは。

 寒波がきて、寒いですね。公園では池に氷がはっていました。

 ということで、12月も半分がすぎましたが、いかがおすごしでしょうか。

 

 11月の日本シリーズでは、めでたく東京ヤクルトが日本一になりました。何だか、マクガフ劇場みたいな感じでしたが、接戦ばかりでファンとしては身体に悪い試合ばかりですね。

 第2戦の高橋の完封、第4戦では石川が勝ち投手、第6戦では代打川端の勝ち越しタイムリーと、いろいろ見どころも多かったと思います。

 今シーズンの東京ヤクルトは、けが人が少なかったということがいえますが、投手に関しては中6日のローテーションにこだわらず、間をあけて投げていたというのが良かったのだと思います。それぞれの投手の勝ち星こそ少ないけれども、多くの人数でまわしていくというのは、長いペナントレースではありだな、と思いました。秋になって、各チームの主力ピッチャーが疲れてきたころ、東京ヤクルトのピッチャーは元気でしたからね。

 常識にとらわれない方法というのが重要だと思います。

 それから、中村がすごくよくなりました。たぶん、去年までと、ミットを構える場所が大きくちがっていたはずです。以前であれば、アウトコース低めを要求してフォアボールを出したところで打たれるというパターンが多く、コントロールの良くないピッチャーをうまくリードできないでいました。

 今年はアウトコース低めをもう少しストライクゾーンに近づけ、他のコースにも気を配りながら、ピッチャーに自信を持って投げさせていたと思います。

 ということで、よかったよかったということです。

 

 12月もトレッキングに行ってきました。

 埼玉県小鹿野町にある四阿屋山です。以前、両神山に登ったときから、ちょっと気になっていた山でした。とはいえ、コースそのものは短いので、後回しにしていた山です。とはいえ、12月ともなれば日が短くなるので、長いコースを歩けません。ということで、行ってきました。

 西武池袋線から西武秩父線をのりつぎます。飯能から三峰口行の電車があるので、それに乗りました。

 三峰口駅からは、両神山方面に行く日向大谷行のバスですが、今回は薬師の湯で降ります。登山口はこのちかく。

 四阿屋山はいくつか登山口があるのですが、今回は薬師コースとよばれるところから。もちろん薬師様をおまいりしてから登り始めます。とはいえ、ゆったりとした山道で、山居とよばれるところまではのんびりと歩けます。

四阿屋山にはツツジ新道という急登ルートがあるのですが、山居からこのツツジ新道の途中につながっています。でもこの道がなかなか歩きにくい。ここから先、山道です、という標識にはいやな予感がしたのですが、コースがわかりにくいし、トラバースがせまいし、あまりおすすめしません。山居ではなく展望台方向に登ることをおすすめします。

 ということで、ツツジ新道と合流したのですが、そこにはさらに、この先鎖場の多い上級者コースです。初心者は山居方面にうかいしてください、との立て札。

 まあ、実際に目の前の道はなんか道っぽくない急な尾根ですからね。

 でも、実際に鎖場の連続でした。いきなり岩場を直登。足がかりになるところもあまりない感じで、ちょっと途方にくれました。岩の壁ですからね。まあ、腕力で上りました。

 このあとも、岩の突き出たやせ尾根と鎖場の連続で、まあ、距離はさほどでもないのですが、なかなかスリリングなトレッキングでした。もう二度と行きません。

 とまあ、そんな感じでどうにか山頂に到着。せまい山頂ですが、景色はいいです。

 700m台の低山なんですけどね。

 帰りは鳥居山ルートという、こちらものんびりしたルートで下山。もっとも、山頂から両神神社奥社までは急な下りで、岩場ではなく階段ではありますが、鎖があります。

 帰りは再び、薬師の湯のバス停に。ただし、お風呂はここではなく、横瀬武甲温泉に行きました。行ったことのないお風呂に行く、というコンセプト。

 それにしても西武秩父線のボックス席でお酒を飲みながら帰るっていうのはいいですね。小田急でもJR青梅線でもこれはできません。

 

 アリ・スミスの「冬」(新潮社)、おもしろかったです。アリ・スミスはぼくとしては今イチオシの作家です。

 舞台はブレグジットの英国。移民排斥を目的にEU離脱をうったえる守旧派とリベラル派の微妙な対立の中にあります。主人公のアートは実は背景で、守旧派であるアートの母親のソフィアの偏見と、アートの別れたパートナーの身代わりを引き受けてアートとともにソフィアのところに向かう移民女性のラックス、ソフィアと仲の悪い姉のアイリスとの対立が、そこに凝縮されている話です。対立はそんな単純なものではないということだけど、その複雑さをわずか4人の人間関係で描いてしまうというのもすごいです。

 この冬のおすすめ本です。

 

 イブラム・X・ケンディの「アンチレイシストであるためには」(辰巳出版)も読みました。日本に置き替えても、日本もまたそれなりにレイシストは多いですからね。いろいろな視点からレイシストについて、自分の経験も交えて語られます。それはフェミニズムとかLGBTQへの差別もからんでくるし、と。単純に差別はいけない、というのではなく、文化の許容なども含めないと、ということになってきます。いや、許容という言い方すら、差別的ですね。

 

 サドッホ著「セックス」は、実は日本人3人によるユニークな哲学書

 よく、生物的には雄と雌はこうなっているんだから、男女の関係もこういうものが正しいという人がいますが、そもそもそれが正しくないです。生物における性というのを哲学的に掘り下げながら、いろいろと検討していくという本になります。

 実際に人間の男女の役割を、チョウチンアンコウハダカデバネズミにたとえられたら困るだろうし。

 

 宮内勝典の「二千億の果実」(河出書房新社)は、短いセクションがずっとつながっていく、そんなスタイルの作品で、決まった主人公や時代や場所があるわけではなく、ハルピンから引き上げる自分の母親やゲバラのエピソードやアインシュタインのエピソード、あるいはアフリカで発見されたルーシーのエピソード、自身と子どものエピソードまでをまじえ、スケールの大きな時間と空間からその中にいる小さな人々の存在を浮き出たせる、という。おもしろかったです。でも、そこに、どうしても宮内の視点の限界を感じてしまって。宮内は確かに特異な体験をしているかもしれないし、世界という視野で見ているのかもしれないけれども、それもまた限られたものでしかないし、そのことを自明視している「セックス」とはちがうなあと、ちょっと思ったりもします。

 

 小谷真理著「性差事変」(青土社)は面白く読めました。

 これはまた、別の機会にゆっくり書きたいって思うのですけど、簡単に。

 小谷にとってのフェミニズムの基本が、第二波フェミニズムだということはわかるし、その文脈でル=グインやラス。ティプトリーをはじめとする作家を論じるというのは、すごくよくわかるんです。ル=グインがその後、どのような展開をしていったのか。

 そして、その一方で、BLを論じ、コスプレイヤーにもなる。そもそも、SFやファンタジーでは描かれる性はしばしばクイアなテイストがあります。

 第二波フェミニズムは、シスジェンダーの白人女性のためのフェミニズムだと批判されていました。女性一般の問題を扱っているようで、そこからはいろいろなものが抜け落ちている。そのことが、一方でポストフェミニズムからバックラッシュにつながり、他方で第三波フェミニズムになっていったと理解しています。

 つまり、小谷はフェミニズム思想の面では第二波に依拠しつつも、本質的にそうではないものにひかれているという、どこかにギャップがあると思うのです。その点が興味深いし、変化する可能性ってあるのかな、と思います。

 

 ということで、秋本治の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の201巻とか、「ブラックティガー」の8巻とか、そもそも「ミスタークリス」を含め、秋本の脱ジェンダー化っていうのはなんか面白いなと思ったりします。

 あと、坂井恵理の「シジュウカラ」の4巻も出ました。待たされましたが、1月には5巻も出ますし、何より1月からテレビ東京でドラマ化です。ドラマが楽しみですね。

 

 ということで、ではまた。

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