こちら葛飾区水元公園前通信760

tenshinokuma2010-02-25

 おひさしぶりです。
 ようやく、年賀状の発送を開始しました。
 基本的に、住所がわかっている人には出そうと思っています。でも、ぼく自身が引越ししたときに、わかんなくなっちゃった人とかいて、そういう人はゴメンナサイ。
 でもまあ、内容は、以前メールで送ったものとほぼ同じです。ちょっと、落書きが増えているだけですので。無理に送るというほどのものでもないのですけどね。

 というわけで、実は、あまり忙しくはなかったのですが、何だかいろんなことをごちゃごちゃとやっていて、それで。
 昨年秋には、二冊の本も手を離れたし、そんなこんなで、次の仕事の仕込みをしているといったところです。ひそかに、プロジェクトA〜Cとよんでいるのですが。どうなることやら、ですね。

 そんなことはさておいて、2月は釣りも行かなかったし、寒いなあっておもいながら、おとなしくしていたので、あまり書くことはないのですが、本はけっこう読みました。
 今月は、そういう話を。

 斉藤美奈子の「誤読日記」(文春文庫)を読んでいて、どうしても気になったのが、歌野晶午の「葉桜の季節に君を想うということ」(文春文庫)。映像が絶対に不可能だっていうし、信頼できない語り手のパターンではあるのだけれども、出版された年には、けっこう評価されていた。で、それはというと、ラスト50ページになって知らされる驚愕の事実、主人公たちが「○者」だと思っていたら、「×人」だったという。ちょっと前の小説だし、もうこれは、歌野の反則技だと思うので書いてしまうと、主人公が若者だと思っていたら老人だったという。70過ぎた老人が主人公なのに、話はセックスの後の描写からはじまるし、ヒロインも70近くなのに援助交際してるし、チャーリーズエンジェルだし、ということで、それは反則だろう、とは思うんだけれど。
 でも、これを読んで、思ったのは、ぼくたちの老人感がパターン化されているという事実がつきつけられているということ。老人がセックスしたっていいじゃん、というか、そういうことを歌野はエビデンスで示してくれている。そういうところは、素直に反省しなきゃいけない。
 ということで、次につきつけられる本が、佐藤友哉の「デンデラ」(新潮社)だったりする。ある村では、70歳になった老人は山に捨てられる。捨てられたはずの老婆が死なずに生き延びてつくった集落がデンデラ。男は役に立たないので、そのまま捨てて置かれるっていうのもすごいな。
 ここで描かれる老婆は、みんな70歳を過ぎていて、リーダーにいたっては100歳だというのに、描写の上ではみんな元気だったりする。村への復讐を企画し、襲撃の準備をしていたり、襲ってきた羆と戦ったりする。山を走り回るし、ぼけたりなんかしていない。
 佐藤が「子供たち、怒る、怒る、怒る」の作者だということを考えると、これは「老人たち、怒る、怒る、怒る」だよな、とは思う。というか、束縛し、あるいは捨てるということをする者たちに対しては、怒る、というのが本質なんだろうって思う。その怒りのあまり、老人たちは元気に戦い、元気に死んでいくということになる。
 正直、そんなに元気かよ、と思うし、その点では、反則だろ、とは思う。でも、怒りは正当なものだとも思う。「デンデラ」はそういう小説なのではないか。
 主人公は、70年間、村の中で流されるように生きてきて、そして捨てられた。そこから、自分自身について考え、答えを出していく。その過程は、まあ、ヒロインとしていいよな、とは思うだけどね。でもやっぱり、元気過ぎて。佐藤が高齢者ではないからこその、リアリティの欠如なんじゃないか。そうであっても、怒りの分だけ、「葉桜の季節に君を想うということ」よりはずっと、重い読書になると思う。いや、ホント、読んでいて楽しくないです。だからすすめはしないけど。
 システムの外側に出てまとまり、戦おうとする女性の集団って、「クレイモア」みたいだよな、と思ったのはぼくだけでしょうか。

 新旧ビジネス書も何冊か読みました。
 三枝匡の「戦略プロフェッショナル」(日経ビジネス人文庫)は、製鉄会社から医療機器の子会社に常務として出向した主人公が、業績を劇的に向上させるという小説。ほぼ、実話らしい。まあ、戦略を考えるというトレーニングとしてはいいと思う。それに、現場に即した考え方をしているということもいい。あとがきで三枝は正直に「本当はもっとどろどろしたことがあったけど、それは割愛した」と話してもいる。
 結局、戦略って理論と現場の間でつくられていくものだな、ということは思った。でもね、実際には、三枝が割愛してしまったどろどろしたところがあって、だいたいは思い通りにいかないんじゃないかな。その結果、理論は役立たないということになってしまう。
 ジレンマ、ですね。
 現実に、いろいろなコンサルタントと話す機会が少なくないのだけれど、みんなキラーコンテンツというような理論を持っているのに、それをふりまわすのではなく、それをなじませていく、泥臭い仕事をしているのが現実だと思う。コンサルティングを行なう相手の組織に入り込み、一緒に汗をかいているっていうのかな。
 こういう話や、自分自身の経験を通じて思うことは、コンサルティングを依頼する企業の場合、依頼した本人がまず変わらなきゃいけないっていうことかもしれない。例えば、人財育成をしようと思ったら、まず自分が育成されなきゃいけないっていう。そこが欠落したまま、どろどろしたところにはまりこんでいくっていうのが、現実なんじゃないだろうか。
 高い地位にいる人ほど、変化を望んでいるのに、自分自身が変われない、っていうことですね。

 石井淳蔵の「マーケティングを学ぶ」(ちくま新書)は、石井のインタビューをかつてまとめたこともあったので、興味があったから、ということになる。ブランドやマーケ、セールスの基本的なことが書いてあって、コンパクトでいいです。それだけだけど。
 あ、いや、いろいろな実例が紹介してあって、それは面白いです。でも、そうした優れた事例が、時間を経て没落していくっていうのも、よく感じることですね。
 有楽町西武の閉店というのが、象徴的かもしれません。高いブランド力があるはずなのに、実はなくなっていた、という。
 けっこう、ビジネスモデルの賞味期限って短くて、良い品を安く売っていたダイエーも過去のものになっています。家電製品を買うために秋葉原に行く人はいません。古書店めぐりもいつのまにか、ブックオフめぐりになっています。
 新しいビジネスモデルほど、賞味期限が短いと思うし、そのことはいつもこころにとめておきたいですね。業界紙のビジネスモデルが破綻しているということを、今はまのあたりにしているところです。
 ということで、トヨタが没落する姿も、見なきゃいけないのかな、とも思ったりします。だって、今はみんな、スズキに注目してるでしょ。トヨタアメリカ市場に高級車を供給して稼いでいたビジネスモデルからどのように転換するのか。でも、今は、いいチャンスかもしれませんね。

 内田和成の「異業種競争戦略」(日本経済新聞社出版)は、帯の「電力vsガス」というのが目にとまったので買ったのだけれど、けっこう面白かったです。
 このところ、政府のエネルギー基本計画だの、噂のスマートグリッドだのを相手にしているから、なおさら思うのですが、顧客にサービスを提供するというレベルでは、異業種で競争しているということになります。音楽ビジネスが、レコードからCDになり、MP3で配信されていくと、どうなるのか。CD屋もCD会社もいらなくなってしまう、ということになります。ライバルは、アマゾンでありアップルストアである、という。カメラもフィルムからデジタルになることで、フィルムメーカーや街の写真屋は違うものと競争することになります。昨年はたまたま、カメラのキタムラの社長の話を聞く機会があったのだけれど、それってまさに、どのように業態を変化させ、自分たちを守っていくかっていう話でした。カメラを「思い出を残す装置」として定義することで、フィルムの現像からフォトブックにシフトし、あるいはプロとしてスタジオマリオを展開していく。
 ただ、内田は明確には指摘していないけれど、異業種というのは、供給する事業者にとっての定義であり、サービスを受ける顧客から見れば、そうではないということです。業界紙の没落という話をしたけれども、それを対象とする業界が生き残る為の情報サービスという定義にすれば、やることは違ってくると思っています。業界紙が紙で情報を提供する事業だという定義であるうちは、ネットに負けるし、不景気でカットされていきます。
 でも、考えてみると、石井の「マーケティングを学ぶ」では、消費者の視点ということが強調されていたし、その意味では、結論は出ているのかもしれません。

 梅田望夫のことも書いておこうと思ったのですが、それは別の機会に。

 そうそう、先月末に、トーキングヘッズの最新号「トラウマティック・エロティクス」が出ました。ぜひとも、今回も買って下さい。アマゾンで買えますので。
 で、そこで、ほんとうにひさしぶりに小説を書きました。短い作品ですし、イエスとはまったく関係ないけど「こわれもの」というタイトルだし、ではありますが。まあ、正確に言うと、前回書いた「Yesterdays nature of catastrophe」も小説といえばそうなのですが。で、書いてみて、あんまり、自分は変わってないかもしれない、というのはありましたね。まあ、こち水ももう、20年くらい書いているんですけど、やっぱり変わっていませんからね。退化しないだけ、マシでしょうか。
 いかんですね。

 Twitterをずっとやっていますが、いまだに、感覚としてわからないでいます。
 でも、名酒センターに行くときは、きっとつぶやくと思いますので、よろしく。