「葉桜の季節に君を想うということ」

tenshinokuma2010-02-11

 歌野晶午の「葉桜の季節に君を想うということ」を読んだ。
 最後の50ページでびっくりして、読み返すというのは何なのか、斉藤美奈子の指摘が気になって仕方がなかったという、ただそれだけの理由で。
 でも、考えることはあった。ただし、それはネタバレになるので、スクロールしなきゃ見られないように、ちょっと別の話題でつなぎます。

 その別の話題だけど、今日は午前中、久し振りに1人で区民プールに行った。
 子どもと行くことはあっても、その場合はたいして泳げない。一人でがしがし泳ぐためには、子どもを連れて行けないということ。
 ひょっとしたら、10年ぶりくらいかもしれないな。
 1人で行ったのは、子どもたちは勝手に遊んでいるようになったので、ぼくも相手をしなくてすむようになったから。

 というわけで、この日の目標は、とりあえず、1000m。以前であれば、2000mくらいは泳げたのだけれども、ブランクがあるので。
 というわけで、結果として、1500m、それも休みながらどうにか泳いだということになる。
 体力、落ちているのがわかりました。けっこう、へろへろになったな。以前であれば、2500mくらい泳いだときくらいには、疲れたんじゃないかな。
 50分の間に、がんばれば1200mくらいは、休みをたくさんはさんでも泳げたものだけれど、今日はようやく800mだったし。

 ということで、これからは少し、プールに通うようにしようと想うのであった。
 体重も、落としていかないとね。

 もうちょっと別の話題か。

 そうだ、写真のネコは、いつ撮影したものか、忘れちゃったよ。場所もね。
 でも、携帯ではなくデジカメなので、どうにか夜でも撮影できた。

 もうそろそろいいかな。

 「テガミバチ」の9巻、ちょっと展開が進むというか。ぼくは、想いを届けるということが、ちょっと、ぐっとくる設定だなって、思っている。いずれ、きちんと書評を書かなきゃ。

 もういいかな。

 ということで、「葉桜の季節に君を想うということ」だけれど、映画化不可能とも言われることって、こういうことだ。
 最初に、主人公とその妹は、てっきり20代だと思って読み始めることになる。セックスの後のシーンから入っていくのだから、まさか70歳のじいさんだとは思わない。しかも間に、主人公が20前に、探偵の仕事でヤクザに潜入する仕事をするシーンが入る。これが、直近のことのように思われるからなお更、だ。妹も海外旅行などを楽しんでいるお嬢様、なのではないか、と。
 おまけに、主人公が出会う女性まで、お金がなくて援助交際しているくらいだから、まさかもうすぐ70歳だとは思わないだろう。
 ということで、読者はずっと騙されていく。主人公が若い青年だなんて、どこにも書いていないんだけどさ、そのことがラスト50ページで明らかにされるから、聞いていないよ、ということになる。
 文章では騙せても、映像では、そうかいかないので、映画化不可能ということになる。
 まあ、やりようによっては、映画化できると思うけどね。

 で、ネタバラシまでして書きたいことっていうのは、こういうことだ。ぼくたちは、高齢者を1つのパターンでしか見ていなかったのではないか、ということだ。高齢者はセックスもしなければ、恋におちることもない。海外にでかけたりせずに、おとなしく毎日を過ごしている。筋トレなんかはげしくやったりしないし、「俺はそんなことはない」なんて口のききかたはしない。
 でも、そうじゃない。セックスをする高齢者も少なくないし、バイアグラくらいは使うかもしれないけれども、まあいい。70歳といっても、ルー・テーズカール・ゴッチの70歳を考えなくても、そう不自然ではないかもしれないと思える元気な高齢者は、確かにいる。高齢者の施設で恋愛問題がいろいろある、というのも事実だ。
 こうしたことについて、歌野は巻末でエビデンスを示す。
 という、70歳像というのを、あらためて感じてしまうし、反省もしなきゃいけない、と思うのだ。高齢者だからって、1つのイメージにおさめることはない、という。
 そのことの、歌野による強い批判は、やはり書いておくべきことだと思うのであった。