こちら葛飾区水元公園前通信855

 こんにちは。今日は、福岡県みやま市からです。
 仕事で来ているのですが、訪問先のオフィスの一階がカフェになっていて。それで、早く着いたので、そこで、これを書いているというわけです。

 今回は、九州新幹線初体験でした。博多から筑後船小屋まで、わずか22分でしたが、快適な車両でした。
 昨夜の、羽田―福岡の飛行機の椅子の座り心地の悪さと比較したら、えらいちがいです。
 というわけで、移動は鉄道に限ります。

 花見は、今年も雨にたたられました。天気予報ははずれ、午後も霧雨。けっきょく、うち飲みです。
 でも、今年は長く花が楽しめたかな。うちの桜(桜桃)も咲き始めました。
 今年のメンバーは、友人A、友人I、友人Kといういつものメンバーがいませんでした。なかなかめずらしい顔ぶれですね。

 さて、そろそろ村上春樹の「騎士団長殺し」の感想などを。
 読んでいて、すごく強く感じたことは、この作品が、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に次ぐ、村上にとっての印となる作品なんじゃないかっていうことです。
 まず、主人公の年齢ですが、30代後半。これは、村上が「世界の終わり・・・」を書いた年齢に相当します。村上は、40歳を前に、まとまった仕事をしたいと考えて「世界の終わり・・・」を書いたとどこかで語っていました。
 実際に、主人公は、それまでの仕事の区切りのような形で、絵を描きます。そこに、再生という意味もあります。
 また、「海辺のカフカ」以降の村上は、自分の子ども(仮にいたとして)に相当する年齢の主人公を描いています。
 その意味では、「海辺のカフカ」以降の、次世代シリーズの一つの到達点なのかもしれません。
 そして、この作品の中では、見慣れたものがたくさん登場します。穴、第二次世界大戦における日本軍の蛮行、新興宗教、ふかえり似の少女、主人公から逃げる妻(恋人)、小人、絶対的な悪の存在、年上の女性とのセックス、その他いろいろ。その一方で、たぶん主人公は「やれやれ」とは一言も言いません。
 登場人物の一人が、「偉大なるギャツビー」からの引用だとは、気付きませんでした。
 それと、村上の80年代ポップに対する悪意も健在です。どこかの小説で、ヒューマンリーグをくさしていたけど、今回はバナナラマですか。
 でも、これって、重要な欠点かもしれません。2000年代を30代で過ごした人の音楽的な趣味としては、リアリティに欠けています。いや、80年代ポップが嫌いでもいいんですけれども、それにしても、聞く音楽が、という。
 いや、まあそれはいいんですけれども、感想ということでは、本当に、見慣れた景色ばかりで、何か新しいものがないな、と。ラストにいたるまでは。
 ラストだけが、村上が先に進んだということかなあ。なかなか、それが何かは書きにくいのですが。
 作家として、先に進んでいくことは、簡単ではないな、と。そんなところです。
 たぶん、本質的なところに、もっとちがうアプローチが必要なのかもしれません。穴はもっと深く掘るべきだし、他者である女性の心にもっとよりそってみるべきだし。日本が抱えている構造的な暗黒はもっと明確にすべきだし。
 そう思います。

 とまあ、ここまで書いたのが10日前のこと。ここから先は、金町のマックで書いています。

 バナナラマ村上春樹の小説に出てきましたが、そのバナナラマ、29年ぶりに元メンバーのシボーンが復帰、3人に戻って、ツアーをするそうです。これはかなりびっくり。

 で、村上の小説を読んでいて、80年代ポップが聞きたくなって、TSUTAYAでトンプソンツインズとかデュランデュランとかカジャグーグーとかカルチャークラブを借りてしまいました。いや、いいんですけど。

 で、宣伝も。
 トーキングヘッズ叢書のNo.70「母性と、その魔性」が、そろそろ店頭に並びます。今回もぜひご購読のほど。七菜乃さんのすてきな表紙です。

 本の話の続き。

 グレアム・ジョイスの「人生の真実」が面白かったので、「鎮魂歌」(早川書房)も買ってしまいました。やっぱり面白かった。こういう、地味なファンタジーが好きです。
 舞台はエルサレム。妻が死んで、それで昔の恋人がいるエルサレムに来た主人公。なぜエルサレムなのか、といえば、そこは信仰ということになるんだけど。主人公の妻への思いと裏切り、昔の恋人の思い、キリスト教の背後にある背徳と、そのことが記述されているのかもしれない死海文書。そんなものが、まじりあい、現実と幻想の間をさまよっていく、そんな小説です。
 キリストはマグダラのマリアと結婚していたが、それは後の教団によって秘匿される。けれども、キリスト教の世界にはエロスが横たわっている、とまあ、そんなことが、ヨーロッパにおける人生の真実、といったところでしょうか。
 この小説には、イスラエルパレスチナの政治的な問題もしっかり織り込まれています。

 で、続けて、G・ウィロー・ウィルソンの「無限の書」(東京創元社)も読みました。こちらも舞台は中東。ジンが出てくるところも共通しています。ただし主人公は中東とインド人のハーフのハッカー。まあ、サイバーパンクアラビアンナイトが混じった小説というのかな。まあ、ネットの世界とジンの世界っていうのは、見えない世界ということでは共通しているし。主人公のアリフは、ハッカーとして、特に思想的なことがあるわけではないけれど、政治的な抵抗運動なんかを、その技術で支援したりもしています。ところが、彼が作成したプログラムが盗まれ、アリフが圧倒的に不利な立場になります。ところで、そのプログラムの作成に関係するのが、恋人からの別れで渡された一冊の本、「千一日物語」。そこに、コンピュータのプログラムの世界とファンタジーの世界をつなぐものがある。
 というわけで、人の世界とジンの世界とサイバー世界が入り乱れる冒険になるという。
 幼馴染とのロマンスもあったりして。「鎮魂歌」が大人の小説なのに対し、「無限の書」はヤングアダルトといったところでしょうか。
 それでも、この小説では、やはり中東の民主化運動が織り込まれています。

 村上の小説も含めて、それぞれの作品が積極的に政治的なものだとは思わないのですが、同時に、政治から逃れられないものだとも思います。
 だから、かえって政治性を抜き去った作品の方が、不自然ではないかと思うのです。
 にもかかわらず、この国では、何となく、政治的なものが忌避されているような気がしてなりません。

 今期の深夜アニメですが、「冴えない彼女の育て方♭」が始まったのがいいですね。前回の続きというよりは、ちょっとテイストが変化したな、と思ったりもします。すでにキャラクターが確立されているので、その先でいろいろなことができそう、と。

 でも、内容はともかくとしてびっくりしたのが「エロマンガ先生」で、何にびっくりしたかというと、ぼくが通っていた高校が舞台のモデルになっているというあたりでしょうか。それだけなんですけど。
 なんか、今年は足立区がブームなのでしょうかね。そんなドラマが前期には2つもあったし。

 とまあ、そんなわけで、おやすみなさい。