ダニエル・ペナックの「学校の悲しみ」を読み終わった。
ぼくも息子も、学校では劣等生、というか授業をまともに聞いていなかった方なので、いろいろと感じるところはある。
教師は、子どもが「できない」ということを理解しないと、という。そうだよな、と思う。
教育問題はいずこも同じだな、とも思う。
でも何より、この本がいいのは、当事者の立場で書かれた本だから。
これは前も書いたことがあるけど、「今の教育はなってない」などと、教育行政や学校や教師や組合や親を批判する人はたくさんいるが、実はみんな当事者じゃないから勝手なことを言える。結局のところ、「(俺たちに都合がいい子どもを育てることができない)今の教育はなってない」と言いたいのだろうけど、その( )の部分を語っていないだけじゃないかって思う。そうした無責任な発言をしたり顔をする人間を、ぼくは基本的に信用しないことにしている。
それはさておき、以下、自分の別のブログからの転載
Twitterが有料サービスを開始する、らしい。まあ、ネットのサービスはどのように収益を上げるのかということが、昔からけっこう重要だった。 Amazon.comもスタートしてしばらくは赤字だったらしいし。mixiもGoogleも広告依存型、ということになるのかな。
とはいえ、広告も無制限に出るわけじゃないだろうし、効果も検証されるだろうから、どうやって利益を上げるのかは、考えるのは大変だろうな、とは思う。
とはいえ、長期的には、ネットのサービスは基本無料でいいと思っている。それはこういうことだ。
そもそも、マイクロソフトがWindows XPをリリースしたときに、米国で独占禁止法をめぐって問題となった。IEを組み込んだこと、などが問題だった。というか、ライセンスがなければ、ソフトが開発できなかったし。
一方で、リナックスが登場し、あるいはオープンソースというものがもてはやされるようになってきた。
結局、何だったのかというと、OSというのは、公共財ではないのか、ということなのだ。道路のようなもので、みんなが使えるもの、ということになる。そうすることで、社会が便益を受けるし、独占して、いやなら他の道路をつくれ、と言われても困るだろう、ということだ。
結果として、マイクロソフトはGoogleの追い上げを受けることになる。ネットを通じて、スウィート系のワープロや表計算ソフトが無料で提供されてしまうし。
そして、ネットでのサービスは、どんどん公共財的な性格を帯びてくる。Googleのブックリサーチがそうだ。ネットに世界一の図書館を作るということは、とても意味があるし、有意義だと思うけれど、だからといってその利益を独占するということには、みんな違和感を持っている。
おそらく、Twitterのサービスもまた、同様なのだと思う。こうしたサービスは独占の方向に向かいやすい。
けれども、リナックスを思い出してほしい。あるいは、Wikipediaもそうだ。ボランタリーな多くの人のはたらきによって、価値を持つようになってくる。
本当に、純粋に、ネットがより便利なサービスを提供してくれればいい、そう思って、関わりたいと思っている人はたくさんいるのだと思う。
公共財が、こうした人々に支えられるのであれば、有料化を考える必要はない。
けれども、その人たちにも生活がある。
もし、こうした人たちに最低所得保障を適用したらどうだろうか。
ベーシックインカムが基本にあることで、ネットが成長する。
本当なネットだけじゃない。クラシックの演奏家も、ダンサーや舞踏家も、画家、詩人、アニメーター。なかなかお金にならない職業を支えていくことで、社会が利益を得ていくことになる。
ベーシックインカムであれば、それを選別することもないし、個人の意思で好きなことができる。
ネトゲ廃人を生み出すのではないか、と批判されるかもしれないが、無理にお金をもうけようとして、迷惑なビジネスが立ち上がるよりはよっぽど健全だと思う。
ベーシックインカムによって、創造的だけれどお金にならないことが支えられれば、社会はもっと進歩できるはずだ。
ITやネットは、その象徴的なものだと思う。
クラウドコンピューティングということになってくれば、その性格はますます強くなるだろう。
ということで、写真は、昨日の昼食、トムヤンクンヌードル、銀座コリドー街のタイ料理店にて。