こちらつつじヶ丘野川どんぶらこ通信956

 こんにちは。

 春分の日ですね。風が強くて寒いですけど。でも、来週には桜が咲くとか。

 

 というわけで、予告通り、ためぐそ山に登ってきました。武蔵五日市駅から北東に歩いていきます。マイナーな山すぎて、登山口が見つからないのですが、それでもどうにかたどりつきました。何もない見晴らしの悪い里山でしたが、ちゃんとためぐそ山って書いてありました。その下、谷間には金玉水。なんかいいですね。

 ここから幸神尾根を登り、金毘羅尾根から下山。幸神尾根は整備はされていないけどなだらかなアップダウンの道、金毘羅尾根はけっこう整備されていて歩きやすい道でした。

 植林の針葉樹と常緑広葉樹でちょっと面白みには欠けるコースではありますが、そこそこ長いコースが歩けたので満足です。

 

 次回は鹿沼市の岩山を考えています。

 

 このところ、ツイッターのタイムラインはパレスチナのことで埋まっています。

 そうでなくとも、毎朝NHK-BSのワールドニュースを見るのですが、とりわけアルジャジーラのニュースを見ていると、心が押しつぶされます。ドイツのZDFは逆の意味で怒りを感じますが。

 イスラエルのしていることは、もはや頭が狂っているとしか思えないですね。でも、その狂気を育ててしまったのが欧米であり、なおかつその責任をとろうとしていないことには、怒りをおぼえます。

 そんなこんなで、岡真理の「ガザとは何か」(大和書房)やサラ・ロイの「ホロコーストからガザへ」(青土社)なんかを読んでいます。

 岡についてはこれまでもアラブ文学からパレスチナ問題へ続く本を読んできましたが、「ガザとは何か」は昨年暮れの2つの講演を収めた本で、昨年10月7日のレジスタンスから現在までの背景・構造を語っています。

 「ホロコーストからガザへ」は、もう15年前の本なのですが、当時もまたハマスレジスタンスをきっかけにイスラエルが残虐な軍事行動に出たこと、そしてとりわけドイツがそれを批判できていないこと、などが語られており、現在の構図がそのままあてはまります。また、オスロ合意に関する評価には、考えさせられました。表向きは和平の合意だけれども、裏側ではイスラエルパレスチナ支配が進むようにつくられたしくみであること、パレスチナへの先進国の支援はイスラエルが支配することを支えていること、など。当時から南アフリカイスラエルアパルトヘイト国家だと非難していました。

 どちらの本も、読むことをおすすめしておきます。

 

 この件に関しては、10月7日直後のジュディス・バトラーの発言にはちょっとがっかりしたこともあります。「無資格に、ハマスの暴力を非難する」と、最初に言ったからです。

 ユダヤ人であり、かつシオニズムには批判的なバトラー(そのことは、「分かれ道」で書いています)ですから、現在のイスラエルがどのようにできたのか、パレスチナをどのように侵略していったのか、知らないわけではありません。それでも、「非暴力の力」の著者は最初にそう言わざるを得なかったのでしょうか。それとも、最初にそれを言わなければ、米国のアカデミズムから排除されると思ったのでしょうか。

 バトラーは基本的に、イスラエルを批判する立場です。だから、昨年末にフランスでの講演がキャンセルされたことにも、文句を言っています。フランスでは、イスラエル批判は反ユダヤの極右とつながってしまうので、キャンセルされたけど、でもそもそもシオニズム批判と反ユダヤ主義をつなげることの方がまちがっているんじゃないか。

 また、米国でもパレスチナを支持すると、ハーバード大学の学長みたいに辞任に追い込まれているというのは、どうかしている、と。

 後にバトラーは、ハマスに対する見方を変えています。ハマスの行為「テロではなくレジスタンスである」と、はっきり語っています。イスラエルが行っているのは、戦争ではなくジェノサイドである、と。

 少なくとも、1948年からの時間軸で見れば、今起きていることが戦争ではないことはわかると思います。

 

 結局のところ、欧州にあった反ユダヤ主義という負債を、当時英国とフランスが統治していたパレスチナに押し付けたこと、そしてその後に起きた問題について、欧米はずっと無視してきたことが、イスラエルという狂気を育ててきてしまったのだと思います。日本はパレスチナ支援という名目でこの状況の維持を支えてきました。

 多くの人がパレスチナ問題に関心を持たなかったことでは、すべての国に責任はあるけれども、とりわけ欧米には大きな責任があると思います。「共通だが差異ある責任」ですね。だからこそ、この問題の解決にあたって、本当は欧米が強くコミットしなければならないのですが、腰が引けています。

 しかし、パレスチナ問題を解決しないということは、持続可能なものではありません。紛争は拡大します。イスラエルは中東諸国にかこまれてハリネズミのように過ごすことになります。

 若い世代ほど、パレスチナ問題への負の影響が大きいし、イスラエルを通じて利益を得ているのは年寄りばかりだということでは、世代間でも違っているということです。したがって、米国でも欧州でも若い世代ほどパレスチナを支持しています。

 また、15年前と比べても、グローバルサウスの発言力が高まっているし、SNSでの発信も増えています。

 若い世代がパレスチナ問題に対する正義を求めているというのは、気候変動問題における気候正義と、相似形だと思いました。先進国が言い訳をして問題に適切にコミットできていないことも含めて。あるいは無力な国連も含めて。

 

 ただし、イスラエルによるパレスチナ侵攻には、もうひとつの側面があります。それは、ネタニヤフの政権維持という目的です。ネタニヤフは訴訟を受けています。これを回避するために、最高裁の権限を抑制し、議会が優越するという司法改革を進めてきました。

 こんな民主主義を破壊するような政権の支持率が高いわけではなく、ネタニヤフは極右政党と連立することで形を保ってきましたが、それも限界です。

 支持率が低下した政権は、仮想敵をつくり、さらに戦争を行う。これは、米国の息子の方のブッシュをはじめ、プーチンも行ってきたことだし、仮想敵をつくるだけなら安倍晋三も行ってきました。

 そうしたとき、イスラエルの狂気がエスカレートするほど、ネタニヤフの首がとばないと収まらない(比喩的にですよ)ようになってくると思います。米国民主党上院議員のトップがそうした発言をしているのも、その通りだと思います。

 問題解決にあたっては、すでにネタニヤフを戦争犯罪人として裁くことが必要になっているとも思っています。

 今のまま、仮に停戦で合意したとしても、さらにパレスチナ国家が樹立されたとしても、その先、責任をとるべき欧米が適切にパレスチナの支援をしていかないと、問題は解決しないし、イスラエルの狂気は解消できないと思います。

 イスラエルの正常化とアパルトヘイト政策の解消、パレスチナ国家が国家として運営できるだけのキャパシティビルディングに対する支援、そういったことが必要になると思います。

 

 昨年末から、映画もちょっと観ています。

 石井裕也監督の「月」は、原作が辺見庸の小説。相模原障害者施設での大量殺人事件がテーマです。宮沢りえはちょっと重い演技だったけど、二階堂ふみや磯村優斗などがいい感じで頑張っていたし、オダギリジョーもいい味出してました。というか、宮沢とオダギリの夫婦訳って、「湯を沸かすほどの熱い愛」と同じですね。

 

 ヴィム・ベンダース監督の「Perfect Days」も観ました。しみじみと良かったとは思いましたけど、役所広司の老後が気になりますよね。でも、今の暮らしはどことなく、近いものがあるような気もしています。

 ついでに、帰宅してから録画しておいた小津安二郎の「秋刀魚の味」も観たりして。岩下志麻がかわいい、とか、岸田今日子のエキセントリックさもいいなあ、とか、そういうのもありますが、同時に感情的にも戦争の傷や戦後になりきれていないことがあるんだなあ、ということも感じました。

 

 前々から見たかった「さかなのこ」、沖田修一監督ですね、これも観ることができました。さかなくんの役をのんがやっているのですが、こういうこともできてしまうんだ、と。

 のんがやるっていうのは、けっこう意味があって、男性とか女性とかではなく、さかなのこである、という、そうした自分らしく生きることが前提になっています。さかなくんを理解しようとする母親役の井川遥も良かったな。

 

 他にも、録画しておいたノーラ・エフロン監督の「奥様は魔女」を観たりとか、湯浅弘章監督の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(押見修三が原作なんだな)を観たりとかしていました。

 

 そんなこんなで、仕事がたまる一方です。