こんにちは。
もう年末ですね。気持ちは冬休みです。
まず、業務連絡から。
週刊エコノミストに記事を書きました。といっても、2週間前に発売になったものなので、大書店でバックナンバーを立ち読みするか、Webの有料記事になってしまうのですが、2024年の原発再稼働などについて書きました。
このあと、さらに2誌ほど、掲載予定がありますが、それはまた追って。
息子が来年2月にオペレッタに出演します。2月10日と11日、北とぴあで、「シューベルトの青春~三人姉妹の家」です。もしご関心があれば、ぜひ。
前回、糖尿病の薬をやめて、筋トレを始めたことを書きました。おかげさまで血糖値は下がりました。あいかわらず、毎日筋トレをしています。メインは腹筋、休日は全身、それに週一回のプール。コレステロールだけは下がっていないので、これはアトルバスタチンを飲んでいます。多少、筋肉はついてきました。
友人Kがつくば美術館でグループ展「鴇展」を開催しているので、行ってきました。第44回だそうで、足掛け40年ですね。今回はつくばでの開催なので、アクセスがいいので、行ってみたというところです。
けっこう広い展示スペースで大きな作品が多く、いろいろ面白かったです。
40年という時間をどう考えるのか。世界はその間にどうなっているのかな、とか。目の前の風景がどんなふうに見えているのか、とか。人の心をどのように反射するのか、とか。
友人Kの作品は4点。1つはリスカするリカちゃん人形に目が行ってしまいますが、その背景には原爆も原発もよど号もあさま山荘もあります。日本国憲法は沼に沈んでいきます。戦後、結局のところ日本人は少しも成長しなかったのかな、と。
タブレットの画面にガザとウクライナの画像が背景として置かれていて、おなかからケーブルを出している女性。日本とイスラエルとロシアの国旗が重ねられていて、つながっているというのでしょうか。
美術展といえば、近くの世田谷文学館で江口寿史展もやっているので、足を運んでみました。いろいろ懐かしかったりもします。やっぱり、江口が描く女性はいいですね。
先月と今月、小田原に釣りに行きました。江之浦港と米神漁港です。
釣果はいまいちでしたが、それでもネンブツダイ系のクロホシイシモチがたくさん釣れました。
釣った魚は刺身にする、というのが最近のテーマ。ゴンズイも刺身にしました。今までは天ぷらとかにしていたけど、それだとカロリーが高いので。
あまり大きくないけど、かみさんがスズメダイやカゴカキダイを釣ったし、メジナも釣れたので、それはまあ刺身としてはおいしい方でした。
あと、クロホシイシモチはこぶ締めにしてみました。これがなかなかおいしかったです。このためだけに、またクロホシイシモチを釣ってもいいかな、と思うくらいです。
来年は、もうちょい食べがいのあるサイズの魚を釣りたいですね。
秋から冬にかけての登山は、その後、神奈川県の藤野にある日連アルプス、陣馬山から高尾山への長いトレッキング、そして逗子の神武寺から高取山までのゆる山歩き。
冬が近づくと、紅葉もほぼ終わりかけているけれど、落葉広葉樹が葉っぱを落としているので、視界は広くなります。もっとも、三浦半島は常緑広葉樹の林なので、そうはいかないですが。
三浦半島でトレッキングをすると、特定外来種のタイワンリスをたくさん見ることができます。
本はいろいろ読んでいます。
ガッサーン・カナファーニーの「ハイファに戻って/太陽の男たち」(河出文庫)は今だからこそのおすすめです。パレスチナの小説です。パレスチナがどのような場所に置かれているのか、伝わってきます。
ぼくはハマスをテロ組織だとは思っていません。そもそも、イスラエルがパレスチナを侵略したのですから。
もっと言えば、イスラエルではなく英国なのですが。そのことは、ファドワ・トゥカーンの「『私の旅』パレスチナの歴史」(新評論)で、1920年代から1967年までのこととして描かれています。
女性であるトゥカーンは、英国・イスラエルによるパレスチナへの侵略と、アラブ社会における女性差別を経験します。アラブ社会は変わっていきますが、イスラエルはより強硬になっていきます。
イスラエルの小説も読みました。「シオンズ・フィクション」(竹書房文庫)というイスラエルSFのアンソロジーです。この本を読んでいると、イスラエル人がホロコーストのトラウマをかかえ、中東諸国に囲まれた中で怯えて暮らしているというメンタリティが伝わってきます。でも、イスラエル人には同情はしません。和平の決定権を握っているのがイスラエルなのですから。
ただ、そうしたことを見過ごしている、ロバート・シルヴァーバーグのまえがきには、ちょっと絶望的な気分にもなります。
森達也編「あの公園のベンチにはなぜ仕切りがあるのか?」(論創社)は、日本における排除と差別を扱った本です。いつのまにかベンチは真ん中に仕切りがあるものばかりになりました。これって、寝そべることができなくって、良くないですよね。誰にとっても不便なものにするというのはなぜなのか。
この本は、日本社会において、ホームレスをはじめ、シングルマザー、生徒、外国人などがいかに排除されているのかが語られています。
ぼく自身、まだ東銀座で仕事をしているとき、地下通路に排除アートが置かれて絶望的になりました。20年以上前のことです。当時、銀座から東銀座に向かう通路にはホームレスの人たちが住んでいました。でも、そこで寝泊まりできないように、干支の置物が置かれたのです。
ホームレスの人を排除したところで、その人たちがいなくなるわけではなく、より過ごしにくい場所に行くだけです。何も解決しません。
学校も同様です。いじめられている生徒の方を排除すれば、問題は片付く。その程度です。
森がまえがきで書いているように、日本人は戦後、マッカーサーから12歳って言われて、でもそのあとも少しも成長していない、そう思います。
ほとんどの教師が人権について考えたこともない、そんな学校に子供たちが通っているということは、絶望的ですらあります。
いろいろ考えさせられる、というか見えにくいものを見せてくれる本なので、おすすめしておきます。
大江健三郎の「親密な手紙」(岩波新書)も読みました。大江の著作はいくつかは読んできたし、現代に対する問題意識も明確だし、だいたいは同意します。ヒロシマや沖縄、あるいは原発の問題も、その通りだし、日本国憲法は第9条を含めて守られるべきだと思います。
でも、やはり少し違うなあと思うこともあるのです。
大江がもう少し人権ということを考えていたら、違ったのではないか、と思うのです。
「親密な手紙」にも、しばしば息子のことが話題として出てきます。しかし、これまで小説やエッセイなどで大江が息子のことを書いた時に、息子の人権って守られていたのだろうか、そのことが少し気になりました。
ぼくはずっと以前から、死刑制度がなくならない限り、憲法第9条は変えられる危険性が高いって言ってきました。結局のところ、死刑制度も、人をこの世から排除するしくみでしかないのです。それで問題が解決するわけではないのです。
別に、死刑だけの話ではなく、「あの公園のベンチにはなぜ仕切りがあるのか?」で取り上げられた、シングルマザーの貧困も、使い捨てられる外国人労働者も、生活保護受給者予備軍も、見えないところに排除されているのです。
そう思うと、大江のこのエッセイが、成城に住むお金持ちの話にしか見えなくなってきます。というのは言い過ぎかもしれないのですが。
大江が「沖縄ノート」で沖縄の人たちがいかに本土の人たちによって使い捨てられてきたのかを感じ取ることはできます。それでもやはり、戦後28年たっても、日本人は12歳のままだということにたいして、多少なりとも知識人の責任というのはあってもいいと思います。
古川健の「追憶のアリラン」(ハヤカワ演劇文庫)も読みました。太平洋戦争末期の挑戦とそこから帰ってきた1948年の2つの時代を行き来しながら、日本人がいかに朝鮮人を排除してきたのかが語られています。この作品の舞台は観たことがなかったので、こうして本で読んだわけですが。
古川は劇団チョコレートケーキでの作品を中心に、歴史を掘り起こし、日本人が何を間違えたのかを上演し続けています。今年観た「テレビより愛をこめて」は、古川としては異色の、特撮ドラマの撮影現場を舞台にしたものでした。「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」というエピソードを軸に、構成された作品でした。
そこでは、「ウルトラマン」でのジャミラやウー、「ウルトラセブン」でのノンマルトやギエロン星獣もまた、排除される存在でした。
結局のところ、排除の論理は戦前から現在まで変わっていないし、それは地続きでもある。
それは時間軸だけではなく、パレスチナに対するダブルスタンダードということにまでつながっている。
そうしたことに見えづらいままにしておく日本人は成長しなかったけれど、今の欧米を見ると、彼らもまた似たようなものに思えてきます。
けれどもそうした中で、若い世代ほどパレスチナを支持している、そういうところにはまだ希望があるかもしれません。
セネガル系フランス人のマリー・ンディアイの戯曲「パパも食べなきゃ」もまた、フランス社会において黒人がどのようなところにいるのか、そうしたことが描かれています。排除される中で、必ずしも幸福になれるわけではないけど、愛しあうことはできる。そうした救いを多少なりとも見出すことができます。
そんなわけで、ではよいお年を。