こんばんは。
おかげさまで、「電力・ガス業界の動向とカラクリがよーくわかる本(第6版)」は無事に刊行されました。大きな書店では、平積みしていただいております。ありがたいことです。
9月は、軽いトレッキングと中くらいのトレッキングで。
まず、4日土曜日は、多摩丘陵へ。京王相模原線の若葉台から小田急多摩線の唐木田まで、多摩よこやまの道を歩きました。まあ、山というほどのものでもないですが、気軽にあるけるハイキングコースです。とはいえ、昔は山道っぽかったらしいのですが、今は半分はふつうの道路になっていて。まあ、楽しく歩けたからいいんですけどね。雨っぽかったので、山には行けなかったので、このくらいで、と。
11日土曜日は、高尾山から城山、小仏峠、景信山を経て、奈良子峠まで行き、陣馬山には登らず、奈良子尾根から陣馬温泉を目指しました。まあ、目的は温泉なのですが、そこまで、そこそこ距離のあるトレッキングになりました。
釣りは、9月23日に、ハゼ釣りに行きました。久しぶりですが、まあ、そこそこ釣れました。でも、ちょっと小さいですね。
もう1回くらい行ってもいいかな。
今月は、荒木飛呂彦の「ジョジョリオン」と、金田一蓮十郎の「ラララ」が完結しました。
「ジョジョリオン」は震災後の仙台みたいな場所から話が始まっていて、時間の流れを感じます。
「ラララ」は、最後は家族の話になっていくという、「ハレグゥ」から変わっていないなあと思うのでした。
今月もケア、ということで、小川公代の「ケアの倫理とエンパワメント」(講談社)を読みました。ケアといっても、文芸評論。というか、ケアという視点からいくつかの作家を読むというもの。ヴァージニア・ウルフからオスカー・ワイルド、三島由紀夫、多和田葉子、温柔又、平野啓一郎などが取り上げられている。ケアというのは、なぜか女性の役割として押し付けられてきた歴史があり、そこからケアすることの豊かさ、関係のありかたが語られ、ケアを描く作家の、結果としての両性具有性が語られる、という。ワイルドも三島もそうした文脈でとらえられる。
リービ英雄著「天路」(講談社)。ブルーバードに乗ってチベットを目指す。米国出身、日本に移住し、中国語を学ぶ作家が、さらにその先にあるチベットに向かい、チベット仏教に触れる一方で、過去のこと、母親や弟、血のつながらない妹のことなどが語られ、あるいは日本の新宿にある部屋が語られる。時間と空間がしみこむような小説。
和田静香著「時給はいつも最低賃金、これって私のせい?」(左右社)は、立憲民主党の小川淳也に取材しつつ、労働政策をはじめとする社会の問題について議論していく本。そうだよなあって思うこともたくさん。和田静香って、音楽ライターとして知られているかもしれないけど、CDが売れない時代、仕事がなくなって、コンビニでバイトしたりしている。フリーランスは大変である。ぼくもそう思うよ。
澁谷知美の「日本の童貞」(河出文庫)は、修士論文がもとになっている。「処女作は童貞です」ということらしい。このあと澁谷はひたすら日本の男性の下半身の政治的な研究をしていく。
フェミ系でもう1冊、「「テレビは見ない」というけれど」(青弓社)は、バラエティとドラマについて、それぞれジェンダーの視点から批評した本。バラエティのジェンダー感は救いがたいけど、ドラマについてはいろいろがんばっている、と。まあ実際、「逃げ恥じ」とかそうだったよね。ただ、お笑いについては、第7世代への評価が高いっていうのもなるほど、と。EXITとか、わりと嫌な思いをせずに見ていられるっていうのは、その通りだな、と。
サイエンス系から、椿玲未の「カイメン すてきなスカスカ」(岩波書店)、おもしろいです。カイメンがどんな生き物なのか、なかなかすてきです。
ということで、もうすぐ9月も終わりです。