こちら葛飾区水元公園前通信863

 こんにちは。

 まず、宣伝から。
 9月29日に「電力・ガス業界の動向とカラクリがよーくわかる本〔第4版〕」(秀和システム)が刊行されます。第3版と比較すると、28ページ増で価格も100円上がっていますが、ほぼ半分は書き換えたので。
 もっとも、業界本なので、誰にでもおすすめするということにはならないのですが。
 でもまあ、業界本だけど業界ヨイショ本ではないので。そこは誠実でありたい、ということです。

 このところ、土日のどちらか、ないしは両方はいろいろと歩き回っています。不思議と予定が入って。
 まず、8月最後の日曜日は、娘が通っていた中学校の保護者の「大人の遠足」で、勝沼まで行きました。昨年、大人の遠足で奥多摩の澤の井の蔵に行ったのですが、なんかお酒がからむと遠足の参加者が多くなるということで、今年はワインでした。
 マンズワインのワイナリーを見学したあと、勝沼ぶどうの丘へ。
 いろいろなワインをおいしくいただきました。

 9月2日−3日は、つくばステーショントラベルの尾瀬ツアー。Sさん、Eさん、Nさんというメンバー、ってイニシャルだとわかる人しかわからないですね。50代から60代のおっさん4人で、尾瀬を歩いてきました。ベーシックに、鳩待峠から入り、山小屋に宿泊し、尾瀬沼を通って沼山峠というコース。水芭蕉はとっくになくって、紅葉はまだ先という、人の少ない時期だったのですが、それだけに、広い湿原を楽しむことができました。
 まあ、もともと、山に行くっていうのは、人が少ないところに行くっていうのが、ぼくの中であるので、そういった意味では良かったです。

 9月9日は取材で新神戸。まあ、これはいいですね。もちろん銭湯に入ってきました。
 おもしろかったのは、メンタルヘルスに関して「うつ病になるのは本人が原因」と考えている上司を持つ部下ほどうつ病になりやすいということでした。

 9月16日には、前々から行きたいと思っていた、鶯谷にある銭湯、萩の湯。都内で、最大の銭湯ということで、今年5月に改築オープンしました。ほぼスーパー銭湯だけど460円という。これだけの銭湯に一人で行くというのもつまらないので、友人Sを誘って行きました。
 たくさん浴槽があって、露天風呂もあって、生ビールも飲めて(ここでは飲まなかったけど)、となかなかすてきな場所です。時間はたっぷりあったので、少しぬるめの露天風呂にゆったりと入って、いろんなことを考えていました。考えることはたくさんあります。自営業者に戻っちゃったわけだし。というか、クリエイターとして自分はどうなのか、とか。自分の中でなくしていたものを再発見してしまったので。それって、自分は何をつくるために生まれてきたのか、という、クリエイターとしての自分について。とか、そんなこと。
 何だか、Jon AndersonのSome Are Bornという曲を思い出してしまいました。
 で、そんなこんなで、風呂上りに、友人Sと話していて、何となくもつ焼きが食べたくなってしまい、萩の湯の食堂ではなく、外のお店へ。でも、もつ焼き屋さんが混んでいて、隣のお店で生ビール。もつ焼きはこの次ということで。枝豆のアヒージョと自家製ローストビーフ、おいしかったです。

 で、三連休だったけど月曜日は仕事してました。というのも、母方の伯父が亡くなったので、水木と葬儀。その前にできるだけ仕事をしなきゃ、と。栃木県真岡市まで。
 今度の土日はめずらしく予定はないです。
 でも来週、9月30日は東京拘置所の公開日。また行こうかなって思っています。

 宮内克典の「永遠の道は曲りくねる」(河出書房新社)を読んで、そのあと辺見庸目取真俊の対談「沖縄と国家」(角川書店)を読み、さらに目取真俊の「沖縄『戦後』ゼロ年」(NHK出版)まで読みました。

 「永遠の道は曲りくねる」は、沖縄を舞台にした小説。旅の果てに、基地のそばに住む医師のところに身を寄せる主人公、迎え入れる末期がんの精神科医。シャーマン、基地の精神科医、日本からもアメリカからも沖縄からも阻害されるアメラジアンネイティブアメリカンの血をひく女性たちが、侵略された側の声をとどけに世界を回り、そこに沖縄のシャーマンも加わる。たとえば、水爆実験場となったビキニ諸島の元住民。宇宙ステーションに滞在する友人はまた別の景色を見る。
 宮内はいつだっけ、ローカルの深刻な問題を宇宙から見ようとする。そんな気がする。海亀のように世界を回ってきて、足元の困難さに出あう。困難さは真実だけれども、のどを天使の羽がこするような泡盛の古酒もまた真実。
 宮内の小説に対しては、読者は身を投げ出すことができる。そう思う。
 そうなんだけど、いろいろなところで、男性の性欲をメタファとして使うのは、あまり好きじゃないなあと、そんなことも思いました。何か、女性に救いを求めてしまう男性というのは、だめなんじゃないかなあ。正直ではあるんだけど。

 辺見庸の本はだいたい読むので、「沖縄と国家」も。でも、どちらかというと主役は目取真。沖縄の作家で、沖縄戦を描いた小説で芥川賞も受賞している。
 目取真は現在、小説を書くことをさておいて、辺野古基地建設阻止運動に参加している。「こんなことで小説を書く時間がとられるのはくやしい」のだけれども、そこに参加している。強い想いがある。
 本当に戦うべきだと思ったら、現場に来い。そういう目取真の言葉には、なかなかいたたまれなくなります。こっちは、官邸前の集会だってほとんど足を運んでいないのだから。
 安全なところで何を語っても、と言われてしまうと、返す言葉もないですね。
 それから、辺見がこの本の中で読むべき本だと語っているのが「沖縄『戦後』ゼロ年」。
 沖縄から見たら、戦後60年(この本が書かれた当時)なんてとてもいえない。日本の捨て石にされ、アメリカ軍の占領が続き、今もたくさんの基地がある。戦争時、軍時評的にされてもおかしくない土地であるがゆえに、戦後ではなかった。そこから、朝鮮、ベトナムへと軍隊が出発していく、そういう場所。そして、戦争の直接の犠牲者ではないにせよ、多くの女性が犠牲になってきている場所。
 けれども、沖縄県外の日本では、沖縄文化をもてはやす。現実はさておいて。

 そうだなあって思います。沖縄のことを考えること、想像をおよばせることは簡単にできません。
 戦後70年を過ぎて、日本はずっと平和だった、というのも欺瞞だなあと思います。そもそも、高度経済成長は朝鮮特需からはじまったのではないでしょうか。
 結局、日本は平和なのではなく、平和を体現してきたのかもしれません。そしてたくさんの人がそのことに慣れてしまった。
 ぼくができることは、そうじゃないっていうことを言うことだけなのかもしれません。
 小学校の運動会では、しばしば沖縄をテーマとしたダンスがプログラムにあるのですが、そうしたとき、沖縄の元気なダンスだけではなく、沖縄がどういう状況にあるのかも、同じ教育現場で子どもに伝えてもらえるといいのになあ、とも思います。

 あらためて思うのは、日本はもう戦後ではなく戦前に戻っている、という見方は違うなあっていうことです。まだ、戦後になっていないのではないか。日本国憲法も第9条こそみんな知っているけれど、第10条以降、基本的人権に関することはあまり理解されていない、まだ自分たちのものになっていないんじゃないかと思うのです。そうでなくて、どうして沖縄の現状が無視されるのでしょうか。
 けれども、それを日本というローカルな目ではなく、宇宙ステーションから見るような目で見ると、もっと違うのでしょう。沖縄があり、ビキニ諸島があり、ネイティブが差別されてきたオーストラリアやアメリカがあり。
 今、ミャンマーで起きていることは、かつてドイツで迫害されてきたユダヤ人がイスラエルパレスチナで逆のことを行っている、そんなことと重なります。
 あるいは、移民排斥にむかって進むアメリカのトランプ大統領ですが、その排斥をずっとしてきた国が日本だったりします。

 坂井恵理の「ひだまり保育園おとな組」(双葉社)の2巻も出ました。今回も面白かったです。保育園を舞台にした、あるある、というあたりで、たくさんの人に読んでもらえるようになるかな。1巻と比べると、ちょっと重い話が多いかな、という気がしますが。あいかわらず、いろいろな子育て世帯が登場します。子供をあずかってもらえず、お店に子供がいる状態の美容院とか。さりげなく、1巻で登場したゲイの保育士も再登場。帯にあるように、夫に読ませたいマンガNo.1というのは、とてもよくわかります。

 坂井恵理とともにもっときちんと読まれるべきマンガ家だと思っているのが、金田一蓮十郎木尾士目なのですが、そのうち金田一の本が4冊まとめて出ました。
 「ライアー×ライアー」(講談社)は10巻で無時完結。正直、この作品へのぼくの評価は低いのですが。番外編のレズビアンカップルの話が好きですね。
 「ラララ」(スクエアエニックス)の6巻。ちょっとじらしモードに入ってきたかなあ。
 それと「ゆうべはお楽しみでしたね」(スクエアエニックス)の4巻。
 共通するのは主人公がいわゆる草食系男子であること。「ラララ」では主人公は裸族の美人医師と結婚するのだけれど、いつも彼女のナイスバディがあるのに、ようやくキスするところまできた、というくらい。「ゆうべはお楽しみでしたね」はちょっとした勘違いで女性と家をシェアすることになった主人公が、そこから恋に落ちる話だけど、オタクで女性とつきあった経験がなくって。4巻でようやく告白までたどりついたのですが。
 金田一がもっと読まれるべきだって思うのは、ひとつは女性にとって居心地がいい男性像の一つの形を示していること。それから、ジェンダーとか性別にかかわるロールとかを棚上げした上で、家族を描こうとしていること。
 金田一も坂井も、人は多様なものだし、結果として家族も多様なものになる。そういったことをきちんと描けるということで、評価されてもいいと思うのです。
 「しめきりはおとといでした」(スクエアエニックス)は、まあ、コミックエッセイなので、特に言うこともないのですが、作家とアシスタントたちがハロオタだそうです。ジャニオタではないところが、金田一なのか、と。

 別におすすめではないのですが、大場鳩太郎の「異世界銭湯 松の湯へようこそ」(泰文堂)も読んでしまいました。舞台は葛飾区の銭湯だったので、つい。異世界ものって、はやっているんですね。