こちら葛飾区水元公園前通信903

 

 こんばんは。

 

 世の中、すっかり新型コロナウイルスで、それも世界規模で、何がなんだか。

 言いたいことはたくさんありますが、とりあえず、衛生面には注意。それと、この機会に喫煙者は禁煙するといいですよ。肺の能力が低いというのは、命にかかわります。

 

 2月の休日はわりと忙しくしていたのですが、3月はペースダウン。イノベーションに関する自主ゼミもお休みになってしまったし。

 桜は開花しましたが、花見をしている人はちらほら、という感じかな。でも、確実に春には向かっていて。フェイスブックには、水元公園の写真をアップしているので、ぜひごらんください。

 

 最近、フェミニズムがまた、ブームということです。まあ、それそのものは、いいことだと思います。

 

 先月から読んでいるのが、「早稲田文学」の冬号と春号で、どっちもフェミニズム特集。それから「現代思想」の臨時増刊で特集「フェミニズム」。さらに岩波書店の「思想」3月号も特集「フェミニズムⅠ」。4月号の「フェミニズムⅡ」も3月末発売。

 菊池夏野の「日本のポストフェミニズム」(大月書店)に、田中東子の「メディア文化とジェンダー政治学」(世界思想社)。河野真太郎の「戦う姫、働く少女」(堀の内出版)とついでに「わたしたちの「戦う姫、働く少女」」(堀の内出版)も。

 ざっくりした流れがあって、ぞれは、戦前からの第一波フェミニズム、60年代の第二波フェミニズム、そしてこれに対するポストフェミニズムと第三波フェミニズム、そして最近は第四波フェミニズム

 あらためて、問題は、第二波フェミニズムからポストフェミニズムと第三波フェミニズムへの流れというのが、わりと問題になっているみたいです。

 

 フェミニズムブームの背景としては、#Me Too運動に加えて、SNS上でのツイフェミの存在はあるんだろうな、とは思います。この人たちのもぐら叩きについては、言うまでもなく、不当なものだとは思っています。最近では、高輪ゲートウェイのAIにまでいちゃもんというか。

 ただ、これはアカデミズムとはあまり近くないところでの話なのでしょう。雑誌の特集もそこから距離があります。

 

 第二波フェミニズムの問題って、けっこう根深い。まず、60年代から70年代にかけて、それは「白人中産階級フェミニズム」だという批判を受けます。女性を解放するとしても、ガラスの天井を壊すとしても、それは白人中産階級のものでしかない、と。もっと言うと、イメージとして、女性も専業主婦ではなく、労働市場で自分らしく働いてもいいのではないか、と。代表的なものが、シェリル・サンドバーグの「リーン・イン」。フェイスブックのCOOが書いた本です。そりゃまあ、女性がビジネスマンとして成功するっていうのは、悪いことではないし、そうした機会が平等にあるのはいいこと。

 でも、こうした思想が、ネオリベラリズムに回収されていった、という。その代表がヒラリー・クリントンとか。ガラスの天井は壊されていないけれど、ネオリベから排除される女性も多い。

 

 理論的には、ネオリベラリズムにのることで、一部の女性は男性のようになることに近づいたし、それはそれで悪いことではないのですが、それを代表するのが、河野によると「アナと雪の女王」におけるエルサだという。一方、そういうことはなく、ネオリベから降りて自分であろうとしたのがアナ。

 第二波フェミニズムの先には、ネオリベによって実現された世界としてのポストフェミニズムがあるけれども、同時に何も解決されていない、その多様性をすくう第三波フェミニズムがある、というところでしょうか。

 その先に、現在は第四波フェミニズムまである、とか。

 とまあ、そんなフェミニズムの現在です。

 

 ということで、東村アキコの「偽装不倫」(文芸春秋)が完結しました。主人公の鐘子は不倫を装ったことで恋に落ちることができた、というのがメインのストーリーなのですが、たぶん過半数の読者は、姉の葉子の方が気になるかもしれません。キャリアウーマンで理想的な夫も手に入れ、二世帯住宅で安定した暮らしを築いたのに、年下の格闘家と不倫しているという。河野の言うところでは、勝ち組の葉子と負け組の鐘子との、実はシスターフッドの話なのかもしれません。最後、葉子は何を選択するのか。その点、鐘子の方がわかりやすいですね。

 

 それから、岡和田晃編「現代北海道文学論」(藤田印刷)を読みました。わりと短い文章がたくさん収録されていて、北海道文学というものを考える上での見取り図のような本だと思います。

 北海道文学にはどんなものがあるかというと、円城塔の「エピローグ」「プロローグ」、池澤夏樹の「氷山の南」、村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」、荒巻義雄の「白き日旅立てば不死」などなど。北海道出身の作家から、北海道を扱った作品まで。北海道という土地のもつ特別なもの、というか、特別なものにしている事情が、惑星全体につながる問題、というふうにとらえればいいのかな。

 植民地であり、今もなお過疎地であり、辺境である。それは、ぼくにとっては、なかなか体感でわからないものではあるのですが。そうしたコンテクストで、作品と世界を見るのはいいきっかけになるかもしれません。

 

 ということで、3月は結局、山に行けていません。行こうと思ったのに、雨で。北高尾を考えているんですけどね。

 新型コロナではあるのですが、そもそも人のあまりいない山に行くというのは、そんなに問題ないんじゃないか、と勝手に思っているところです。

 まあ、不要不急の外出は避けろということですが、さりとて買い物に行かなきゃいけないし、閉じこもっていて何とかなるような、セーフティネットもないわけです。

 必要以上に人と閉ざされた場所で接触するのはどうかとは思いますが、外の空気も吸いたいとも思うはずです。せめて、手洗いの徹底とか、そんなことをしながら、やり過ごすしかないのかもしれません。

 

 では、おやすみなさい。

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