こちら葛飾区水元公園前通信904

 こんばんは。

 

 まず、告知から。

 「トーキングヘッズ叢書 No.82 もの病みのヴィジョン」が発売されました。店頭にはもう並んでいます。といっても、書店に行くのもたいへんですが。

 別に、新型コロナウイルスだからこの特集になったというわけではないのですが。

 今回も、ぜひ、ご購読のほど、よろしくお願いいたします。

 

 新型コロナウイルスの感染拡大は世界規模では大変なことになっていますね。

 たくさんの方が亡くなっていることには心が痛みます。

 同時に、国連のホームページでは関連情報が毎日アップされているのですが、COVID-19とSDGsということでは、なかなか考えることがあります。

 例えば、教育が受けられなくなった子どもが全世界で15億人もいるそうで、日本も例外ではないのですが、日本において休校で何が困ったかといって、子どもを置いて働けないことや給食が食べられなくなるので、食事がとれない子どもがいる、といったこと。日本は途上国だったのかって思ったかもしれません。まあ、これについては、いろいろ思うところがあるのですが。

 

 謎なのは、まだ幸いなことに、日本では感染者が欧米ほど多くないことです。政府の対応は後手後手だし、やることは中途半端だし、アベノマスクだし。

 4月28日現在、感染者が指数関数的に増えることにはなっていません。

 いくつかの仮説が考えられます。

 まず、日本人はけっこう新型コロナウイルスの免疫を持っていたのではないか。感染しても発症しない人が多く、船橋市の調査だと3割近くが陽性だったとか。昨年末のなんか治りにくい風邪というのがそうだったのではないか、という可能性もありそうです。

 2月の段階で、けっこう感染に注意しはじめていたということ。すでに、マスクをしている人は多かったし、展示会なんかも人が行かなくなっていたし。

 もちろん、感染者が少ないのは検査が少ないから、ということもあるかもしれません。とはいえ、それにしては死者は少ないとも思います。いや、陽性なのに亡くなった方はいます。でも、桁が違うというか。

 とはいえ、5月になっても緊急事態宣言はそう簡単に終了しそうにないですから。もうしばらくこんな社会が続きそうです。

 そして、感染拡大が終了した後、多少はまともな社会になるのでしょうか。どんな社会にするべきか、考えるのですが、実際になるのかどうか。あまり明るい気持ちにはなれないのですが。それでも多少は、とも思います。

 

 今月は、おかげで山にも行けないし、演劇にも行けないし、おこもりです。

 仕事もずっと在宅勤務。取材などはできないので、この機会に、ちょっと違うこともやってみたりしています。

 

 自宅にいると、電車に乗らないので、あまり本を読めないです。

 でも、そこはなんとか。

 まず、チャールズ・L・ハーネスの「パラドックス・メン」(竹書房文庫)と「ウルフヘッド」(サンリオSF文庫)を続けて読みました。

 「パラドックス・メン」はワイドスクリーンバロックということで、なかなか大技のようなアイデアが使われていて、なるほどびっくりです。

 一方「ウルフヘッド」は、書かれたのがかなり後で、宇宙ではなく地底の冒険。オオカミと意思疎通ができるというアイデアは、なるほど、と。

 でも、この2冊、共通することがあります。いずれも、アメリカ帝国が悪役ということです。いや、帝国なんですよ。ハーネスはアメリカ帝国がよほど嫌いだったのかな。

 

 フェミニズム続きとしては、モニック・ウィッティグの「レスビアンの身体」(講談社)を読みました。日本で出たのが1980年なんだけど、そもそもウィッティグの本が「子どもの領分」「女ゲリラたち」以外にも訳されているって気付かなかった。

 内容はというと、全編が性的記述で、まあ身体といえばそうなのですが、大事なことは男性名詞を女性名詞にしていること。リュス・イリガライが理論家しようとしていることを、小説として組み立ててみた、というところでしょうか。

 勢いで、英訳された「Across The Achron」も買ったのだけれど、いつ読むんだろう。

 

 「思想」の4月号は特集「フェミニズム2」です。3月号と異なるのは、むしろ第二波フェミニズムにフォーカスし、そこで求められていたものが現在にあっても、いかに実現していないのか、ということがまとめられています。

 「思想」の2冊を続けて読むと、哲学としてのフェミニズムはかなり先に進むことができたけれども、社会学としてのフェミニズムは現実をなかなか変えることができていない、とまあ、そんなことなのでしょうか。

 そうした狭間において、フェミニズムとは遠く離れたところにいる小池百合子がポストフェミニストとして支持を集めるというのは、何だかなあ、とも思うのです。

 

 さらに「現代思想」の2019年3月臨時増刊号「特集ジュディス・バトラー」まで読んでしまいました。

 バトラーの講演が収録されているのですが、なんか難しかったです。「ジェンダー・トラブル」から「アセンブリ」までの間というのは、簡単ではないなあ、と。簡単ではないことが、いろいろな人にいろいろ書かせている、というのが、この特集なのかな。

 「アセンブリ」に引き寄せるなら、身体を持った私たち自身の存在そのものが政治的であることなんだろうと、そんなところかも。身体には属性もあればその人の本質的なものもあるし。

 などと考えるわけです。

 

 五十肩がひどくて、夜、眠っていても目覚めてしまうので、整形外科に行くことにしました。お客が少ないのはいいのですが。しかし、湿布とか電気マッサージとか、効くのかなあ。

 

 ということで、ではまた。

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