こちら葛飾区水元公園前通信856

 こんにちは。
 今日はいつもどおり、金町のマックで書いています。

 5月の連休はというと、4月29日に、久しぶりにトレッキングをしたくらいでした。
 神奈川県の藤野側から陣馬山に登り、高尾山まで歩くというコース。だいたい20キロくらいでしょうか。陣馬高原側から登ると、あまり距離がないので、あえて、ということだったのですが。でも、700メートル近くを一気に登っただけで、けっこう疲れました。体力は衰えているんですね。
 でもまあ、途中で山菜の天ぷらを食べたりとか、そんなこんなで、一人でのトレッキングですが、楽しかったです。
 もう、子どもたちも一緒にどこかに行くということはあまりないので、今年はこの調子で、秋までは月一回のトレッキング、という予定です。

 連休ではあとは、津田沼にある鷺沼温泉に行った、とか。天然温泉の銭湯なのですが、これが古い建物で、特に外観がすごいですよ。本当に営業しているのだろうか、というくらい。
 京成津田沼駅から歩いて10分ちょっと。ぜひ、行ってみることをおすすめします。

 高橋和巳の「わが解体」(河出文庫)を読みました。
 思うところあって、とか言いたいですけど、まあこの機会に読んでおくか、と。
 高橋は京都大学助教授だったのだけれど、大学紛争の中、学生運動をどちらかといえば支持していた。
 でも、この本の最初は、もっと昔の大学の教授会の場面からはじまる。教授会において、被差別部落出身の教官について。教授への昇進を認めないという議論がある場面。結局、享受になったあとすぐに退職するという条件で昇進することになるのだけれども。けれども、そんな議論が大学の中で行われることじたいを、批判している。
 高橋のいる京都大学の当時の教授会もまた、何かしら透明性を欠いたものであり、その点は学生による批判ははずれていない、ということではあるのだけれども。けれどもその後、学生運動内ゲバ化していく。そういう失望をも高橋は感じる一方で、郄橋自身が病気におかされる。文章のいくつかは、郄橋の死の直前まで、郄橋自身の生が解体されるところまでで書かれている。
 感じることはたくさんある。結局のところ、権威主義にからめとられてしまう人たち。寛容であるべきリベラルな思想が、不寛容になっていく姿。それは、現在と地続きだな、とも思います。
 もはや、当時の学生運動が何を求めていたのか、きちんと伝わっていないということもあるし。求めるべきものが何かということすら、今ではすっかり失われているのかもしれませんが。
 そして、反学生運動としての日本会議が残っているというのも、皮肉な現在なんだな、ということも思います。
 とまあ、そんなことを考えていました。

 ウィル・ワイルズの「時間のないホテル」(東京創元社)は、クリストファー・プリーストが絶賛しているし、J・G・バラードみたいな作品ということで、読みました。舞台は超巨大ホテルチェーンの中。主人公は展示会を視察してレポートすることを職業にしており、そのためにホテルに滞在しているのだけれども。前半は、ホテルというよりは主人公の職業をめぐる話で、何だかビジネス書を読んでいるみたいで、つらかったです。後半、ドライブがかかり、チェーンホテルの秘密が明らかになっているのですが。前半の不条理さなんかは、確かにバラードかな。
 まあでも、舞台は魅力的ですね。

 あと、川上未映子による村上春樹へのインタビュー「みみずくは黄昏に飛び立つ」(新潮社)も読みました。まあ、「騎士団長殺し」のサブテキストみたいな本だけれども、川上がうまくインタビュアーをこなしていて、よくできているな、と思いました。
 ぼくの中では、「騎士団長殺し」の評価はそれほど高くはないのだけれども、でも、いろいろとわかって良かったというのはあります。
 あと、確かに文体って大事だよな、とも思いました。というか、リズムかなあ。

 気が付くと、目の前にやらなきゃいけないことがたまっていて。電力・ガス業界本の改訂とか、6月のトークライブの準備とか、その他いろいろ。
 幸い、子どもたちも手を離れたので、遅くまで仕事をしていても大丈夫にはなったのだけれども、それにしても、です。