あけましておめでとうございます。
年末はあわただしくって、忘年会の案内しかしませんでしたね。
1月も半分以上すぎてしまいました。
まず、宣伝から。トーキングヘッズ叢書の最新号、今月29日頃に書店に並びます。ぜひ、ご購入のほど、よろしくお願いいたします。特集は「メメント・モリ」。
ということで、正月はどんなふうに過ごしましたでしょうか。
こちらはというと、かみさんのいない年末年始でした。といっても、二日にはかみさんも実家から帰ってきたんですけど。
何があったのかというと、かみさんの父親、つまり義父が危篤だったので。結局、大晦日に葬儀。年末に飛行機のチケットがとれるはずもなく、娘は受験生ということもあって、本当に申し訳ないのだけれども、葬儀には参加できませんでした。まあ、かみさんも、いろいろ言われたみたいで、義理を欠いてすまないとは思うのですが。
したがって、本当は喪中なんです。
牛乳通信の封筒に「年賀」と書いていなかったのは、そういうことです。
年末から年始にかけて、大江健三郎の「晩年様式集」(講談社文庫)を読んでいました。80代の作家が、過去の自分の作品もふまえつつ、その背後にある社会・時代、妻や妹や娘といった三人の女性たちの声を取り込んだ、トリッキーな構成のフィクション。
大江がずっと時代に伴走してきたし、そこに何かを残してきたとは思うのです。そこが、微妙に面白いとも思ったし、けれどもそれは微妙なことなんだな、とも思います。
ピーター・トライアスの「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」(早川文庫)は、その社会・時代を、別の面から光をあててくれる作品だと思いました。
設定こそ、第二次世界大戦で日本とドイツが勝利した世界、ということです。ディックの「高い城の男」が下敷きになっている、ということですが、そっちは読んでいないので。
読んでいて、思ったのは、作者は別の歴史などを書いているわけではない、ということです。外国人から見た日本、というゆがんだものもありません。
どういうことか。日本が戦争で勝利した、という設定を持ち込むことで、かえって日本という国の本質が明確になってしまっているのです。南京大虐殺を行った人々が、アメリカを支配する、ということです。
また、アメリカというものに対しては、一見、理想的に語られます。けれども、それは理想であり、本質はそんないいものとは限らない。日本がアメリカに対しておこなった残酷な行為のいくつか(例えば原子爆弾の投下)はアメリカが実際に行ったことでした。しかも、日本の原爆投下の理由は、同じ戦勝国のドイツをけん制するためだと語られます。
天皇を神としていだく国、何よりも絶対的な存在でありつつ、実際には社会の中で不在であり、政治的に利用されていく、その存在。天皇を侮辱したものは死に値する、という。
これが、誇張された日本だとは思えないのです。まさに、戦前の、明治時代に戻りたい人たちは、天皇というものに「人間である」ことを求めない、そういった議論が行われているのが、現在なのですから。
そして、このストーリーを彩るのが、攻殻機動隊みたいな。もちろん、作者が日本のサブカルチャーが大好きだということです。
実際に、作者は、日本についてかなり多くの文献を読みこんで書いています。
たぶん、日本にいる多くの人の方が、日本をゆがんだ目で見ているのではないか、とも思いました。そういった視点から、もっと日本で読まれるべき本だと思います。
そう思うのですが、それでも、小説としたら、ガジェットの山でしかない、そんな感じもしました。むしろ、見慣れた風景が続いていくようなもの、といったところでしょうか。
大江健三郎の「定義集」(朝日文庫)を読んでいて、正直なところ、大きなお世話だと思わずにいられないところがあります。
ぼくがどうしても大江に違和感を持ってしまうのは、彼が憲法第9条を守ろうということを語ることで、他のいろいろなものがこぼれ落ちてしまう、彼がそのことに無頓着である、ということなのです。そんな立場から言われても、こっちのことなんか、何にもわかってないんじゃないか、と。だから、大江がモデルである「晩年様式集」の主人公が、三人の女性から批判されるのはしょうがないんじゃないか、しかも、当の大江が書いているせいか、手ぬるい批判しかない、というふうに思うのです。
それでも、民主主義について、考えないといけないんじゃないか、という危機感は、いろいろな人が持っていて、郄橋源一郎の「丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ2」(朝日新書)もそんな一冊。高橋は、前の本で、朝日新聞の論壇時評という形で、小説ではなく、直接民主主義について語っていました。それは小説にすることができない思いだと感じました。
それが、時間を経て、小説という形に近付いていく、そういった過程が、「丘の上のバカ」に収録されています。
それは、保坂和志がいつも語る、小説としかよべないもの、というものに近付いているということです。
わかるように説明できるなら、それに越したことはない。けれども、そうとしか書きようがないもの、として、保坂の小説は存在しています。
「地鳴き、小鳥みたいな」(講談社)は、そんな短編集です。キース・リチャーズはすごいし、ボブ・ディランの晩年のほうがしっくりくる。
でも、こういう小説って、説明がむずかしいですね。
高山羽根子の「うどん、キツネつきの」(創元SF文庫)も、SFなんだ、と言われても、そうかあ、としかいえないような、変な小説がいくつか収録された本でした。
この変さも、説明がむずかしいですね。
1月20日、トランプ大統領が就任しました。
実は、いちばん違和感を感じているのは、平然とトランプ大統領の政策をようすみしようという人たちです。
これだけ不人気で就任式に反トランプデモが起こるというのも、なかなか前例がないと思うのですが、そこには、様子見ではすまない危機感があるのだと思うのです。
例えば、保険制度、いわゆるオバマケアが廃止されたら、1000万人を超える人が無保険になるのです。貧乏人は医者に行かなくていい、ということでしょうか。
分断はあちこちで起こると思います。貧富の差が拡大するのではないか、と言われています。黒人が射殺される事件が増えるかもしれません。それは、対岸の火事ではなく、米国の混乱そのものが、私たちに影響を与えるということです。
あるいは、イスラエルにこれまで以上に肩入れすれば、中東は混乱するかもしれません。しかも、米国はすでに産油国であり、中東に依存するものは何もありません。これは何を意味するのか。
トランプが当選した背景には、オバマ前大統領が十分に成果をあげてこなかったということはあると思います。しかし、常に難しい議会運営を迫られ、議会は野党多数という状況では、同情の余地もあると思うのです。
まあ、その点、同じ状況ですぐに失脚した日本の旧民主党の面々は、タフさが欠落していたとは思いますが。
それでも、トランプ大統領の時代は、4年で終わればいいか、と思っています。
極端な保護主義が、グローバル経済の中で成立するとは思えないのです。自動車工場を米国内に誘致しても、もうその自動車を買う国はないのです。
地球温暖化を否定したとしても、地球温暖化を促進されている国の製品を買わなきゃいけない理由はないのです。
もっとも、いつまでたっても、安倍晋三の時代が終わらない日本もどうかと思うのですが。
本当に、「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」にあるような日本に近付いている、そんな現在の日本なのですから。
それにしても、コメンテーターとして、トランプ大統領の放言癖を批判する石原良純は正直でいいですね。
先週末、ようやく、録画してあった「トットちゃんねる」を見終えました。面白かった。満島ひかるが美しいです。いや、そこより、黒柳徹子のしゃべりをうまくコピーしているところに、ちょっと感動。
で、今年もJR SKIのポスターに毎日いやされています。
桜井日向子は前々からすごく好きでした。「いい部屋ネット」のコマーシャルの、ふやけた雰囲気が何ともいえなくって。で、それが今年の冬のポスターですから。なんか、ふつうにかわいいじゃん、とか。ちょっとふつう過ぎるかなあ。
ではまた。