安倍晋三に怒りを感じたことは1度しかない、あとはあきれるだけ

世界中が新型コロナウイルスで大変なことになっている中、4月13日のCNNのニュースはずっとブチ切れていた。誠実さのかけらもないトランプ大統領に対してだ。

その話は、後にする。

安倍晋三星野源のビデオのとなりでくつろぐ映像を見て、怒りを感じた人は多いと思う。でも、ぼくは怒りを感じなかった。ただ、あきれ果てただけだ。

ぼくが安倍晋三に対して怒りを感じたことは、1度しかない。それは、2006年に、教育基本法を改正したときだ。

安倍晋三はその年、郵政民営化というどちらかといえば迷惑な政策を実現した小泉純一郎の後をひきついて総理大臣に選ばれた。そして、安倍晋三が総理大臣としてやったことは、その他の優先する政治課題をさておいて、教育基本法を改正することだった。不要不急の、どちらかといえば「右翼」に都合がいいような改正が行われた。家庭教育に踏み込み、教育を通じて公共性を身につけるような方向だ。

基本法はすぐに目に見えて変わるものではないが、その他の教育関係の法律の根拠となるものだ。

教育基本法の改正が問題なのは、そもそも日本の教育現場がなかなか日本国憲法の理念や民主主義を実現できていないこと、というか理解していないことだった。そんな中で、憲法の理念から遠ざかるような形で教育基本法が改正されれば、ますますそこから遠ざかってしまう。

安倍晋三が嫌いな日教組ですら、日本国憲法の理念や民主主義を理解していない教師が多かったと思う。今でこそ、ブラック校則といわれているが、そんなことは当たり前だったし、頭髪の長さまで決められていた。いまだに、軍服をモデルにした学ランやセーラー服があることを、当たり前に思う人は多い。それどころか、ランドセルも本はといえば背嚢だ。6歳児に不必要に重い背嚢を背負わせることに違和感を感じない人は多い。いまだに男女混合名簿はあまり採用されず、数少ない前進は、家庭科の男女共修くらいかもしれない。

いまだに、学校現場がそんな状況であるにもかかわらず、1947年に、戦後の民主主義国家に向けて動きだした教育基本法が改正されたことに、大きな怒りを感じていた。

けれども安倍晋三は不要不急の法律の無理やりの改正の反動で、他の政治的課題に対応することなく、支持率は下がり、参議院選挙の敗北を受けて、腹痛を理由に辞任した。施政方針演説をしたあとの辞任という、あまりにお粗末な姿だった。

その後、2012年に再び自民党総裁となり、年末の総選挙で圧勝することで、再び総理大臣に返り咲く。

でも、安倍晋三にまともな政治を期待する方がまちがっていると思っていた。

安倍晋三という人は、憲法改正にしか興味がなかったからだ。その前哨戦として教育基本法の改正をしたが、そこで力尽きた。そのリベンジしか考えていない、そう思っていた。

金融・財政政策は「上げ潮派」とよばれる、金融緩和政策の推進を打ち出していた。一部の人たちは、緊縮財政を主張していた野田佳彦率いる民主党よりはましだとして、安倍晋三支持を語っていた。でも、いくら金融緩和したところで、緩和したお金は自分とその友達のポケットに入れることしか考えることができない安倍晋三に、効果的な財政政策ができるとは思っていなかったし、実際に財政政策は失敗している。

2012年の総選挙では、ぼくはメディアに対して、激しい怒りを感じていた。安倍晋三が政権をとったらどうなるのか、2006年から2007年の第一次安倍内閣が何をしたか検証すれば、すぐにわかることだ。その前の、NHKスペシャルに介入しかことも、検証されるべきことだった。にもかかわらず、メディアはそうした検証をすることなかった。おっちょこちょいの集まりだった民主党政権に対して、あれほど揚げ足とりに夢中になってきたメディアだったが、本質的な問題には対応できなかった。

このメディアのツケはすぐにまわってくる。中味のないアベノミクスをまともに批判することができず、安倍晋三麻生太郎はどれだけ失言しても許される。モリカケ桜を見る会でもなお、辞任することはないし、それどころかNHKをはじめとする放送、食事会によばれる大手新聞などのマスメディアは、まともに批判することすらできなくなる。

もっとも、メディアがダメだと思い、大きな失望感を持ったのは、2005年の郵政民営化選挙だった。どうでもいいような政治課題を争点にし、小泉純一郎は圧勝した。中味がなかった。むしろ、小泉純一郎の影にいた竹中平蔵が、どれほど日本の雇用を破壊しかかは、いくら語っても語りきれないほどだし、そこには本当に怒りを感じている。だから、小泉純一郎脱原発のシンボルとして担ぐ人たちには絶望感しかないのだが、まあそれは別の話か。それに、小泉も憲法改正が念頭にあったが、彼にとってはそれほど重要ではなかったことが幸いだった。

正直に言うと、安倍晋三は予想以上に無能な人間だったので、まだ良かったと思っているくらいだ。けれども、だからこそ、政権が長く続いたのかもしれない。安倍晋三を追い詰めるネタは、本人の失言や汚職であり、本質的な政策課題ではない。政策を争うようになれるほど有能ではないということだ。その結果、幸いにも憲法はまだ改正されていない。

ただ、本質的な政策課題ではなく、安倍晋三の失言や汚職には、怒りではなく、ただあきれるだけだった。人をバカにしたようなアベノマスクも、星野源とのくるろぎビデオも、あきれ果てるだけだ。

さて、CNNの話だ。

トランプ大統領コロナウイルスの感染拡大に対し、効果的な手を打ってこなかった。現在、患者の伸びが鈍化しているとはいえ、深刻な状況は変わらない。

そうであるにもかかわらず、経済の再開を打ち出した。各州の知事には、とてもそんな状況ではないと反論しているが、大統領は「すべての権限は私にある」と述べる。

これは、4月13日、コロナウイルスのタスクフォースのブリーフィングでのことだ。

このブリーフィングでは、公費で製作した、まるでトランプの選挙キャンペーンのような映像が記者に披露され、記者の質問にはまともに答えず、いらだちと攻撃を続ける大統領の姿があった。大統領には権利はある、でも責任はない、感染拡大防止のために、私はしっかりやってきたじゃないか、と。感染拡大の可能性を指摘してきた高官は更迭するのだろうか。

(もっとも、ブリーフィングをするだけ、トランプは安倍晋三よりましかもしれない)

こうした大統領に付き合っていたら、人は死ぬばかりだとして、東部7州、西部3州の知事は連携して対策にあたる協議をしているという。1人を除き、民主党系の知事だが、トランプ大統領はそれが気に入らないのか、権限は自分にある、と主張する。合衆国憲法には、そんなことは書かれていないにもかかわらず。

フェイクと保身を繰り返すトランプ大統領に対し、CNNの出演者(記者、キャスター、ゲストなどなど)はブチ切れていた。大統領がこんな人間であることが、どれほど悲しいことか、その間もそれだけ多くの人が亡くなっているか。

CNNだからブチ切れるのであり、FOXだったら大統領を絶賛しているかもしれない。でも、それはどうでもいい。

いいかげん、マスメディアは、アベノマスクと星野源でごまかそうとする安倍晋三に、補償を他人事だと思っている麻生太郎にブチ切れてもいい。

彼らに対し、徹底的なファクトチェックを、通常営業でやってほしいくらいだ。

ぼくは緊急事態宣言は不要だと言ってきた。知事には、そんなものに頼らずとも、どれだけ危険な状況か、どうすれば回避可能なのか、それを丁寧に説明し、在宅勤務の推進や居酒屋などの営業の自粛を求めることは、できたはずだ。実際に、愛知県はそうした対応を先行させた。

そもそも、政府が出した緊急事態宣言は、権利はあるが責任はないというものだ。そんなものはいらない。というより、これは政治家が責任を回避するための制度だとしか思えない。実際に、小池東京都知事も、よく見ると、責任をなるべく回避し、結果だけを得るように動いているように思える。

もっとも、責任を取らなくてすむ政府とちがい、責任ある知事にとって、決断は簡単ではないだろうが。

安倍晋三には怒りを感じない。ただ、これほど低俗な人間が、総理大臣をやっていることに、ただあきれるだけである。それをよしとする与党議員に対しても同じだ。

ただ、そんなものを放置するマスメディアにはずっと怒りを感じている。まがりなりにも、メディアで仕事をしてきたから、なおさらそう思うのかもしれない。

そして、そんな人たちを選挙で、投票ないしは棄権を通じて選んできた人たちも、どうかしていると思う。

誰に投票しろ、とかは言わない。ただ、自分たちの声を聴いてくれる人を探してほしいと思う。それが有能な政治家だとは限らないが、政治家は育てられるものだと思っているし、そうでもしなければ救いがないのが現状だ。

それでも、政治に殺されるよりははるかにましだ。

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