参議院議員選挙について思うこと

参議院議員選挙の結果は、予想されていたとはいえ、あまり喜ばしいものではなかったとは思う。
ぼくが投票した二人のうち一人は当選したけど。
ところで、投票にあたって、環境政策やエネルギー政策のことはまったく考えていない。仕事としてはこれらの分野について語るけれども、それはそれ、これはこれ、なのである。
投票にあたって重視しているのは、「まともに基本的人権について考えている」のかどうかだ。というか、本質的に、国政選挙の最大の争点はそこだとも思っている。
今回の選挙結果にがっかりはしていない。こんな状況が、もう10年も続いている。
それでも、憲法改正は近づいたかなあとは思う。
日本国憲法でもっとも守られるべきものは、第9条ではなく第10条以降、つまり第3章だと思っている。いわゆる基本的人権だ。
ほとんどの争点が、この部分を基本に考えることができるとも思う。
賃上げも教育も医療も、同性婚や選択的夫婦別姓技能実習生の問題や死刑制度なども。沖縄の問題もアイヌの問題、あるいはセックスワークの問題も同様。経済政策は豊かさ再分配で語られるべきだし、外交において人権は最重要カードだ。
だから、本質的には、今の日本において、基本的人権を守る側と人権を規制する側での選挙戦という構図になるべきだし、この文脈において野党は共闘してほしかったと思う。
けれども、共闘すべき人たちの間ですら、この基本的人権ということが十分理解されていないとも思う。
政治家だけの問題ではないのだけれども。
メディアは参議院でも改憲勢力が3分の2を超えたとしている。
ぼくは、改憲には反対なのだけれども、それは憲法を変えるべきではないということではない。そうではなく、第3章の内容が十分に理解されていない中で変えるということが問題だと思っている。それは、「理解できるレベルまで劣化させてしまう可能性が高い」からだ。
例えば、「健康で文化的な生活」ができていない人たちがいる状況に対し、憲法を変えれば違憲ではなくなる。人が基本的にどのような権利があるのか、ということが理解されていなければ、容易に人の権利よりも国家=政府の都合が優先されるようになってしまう。
選挙だけが政治にかかわることではない。それよりも、日常から人が持つ基本的な権利はどういうものなのかを考えていくことも、十分に政治にかかわることだと思う。メディアが政治的なものである限りは、そうしたことを伝えていくことも、政治的な行為だと思う。そうしたことなしには、野党共闘は強固なものにならないだろうし、わかりやすい改憲勢力が得票数をのばすことにつながっていくのではないか。
ぼくは以前、第9条をまもることだけでは貧困は解決しないって、どこかに書いた。だから、ひたすら9条だけを守ろうとすることは、かえって人を分断させてしまう。
原発廃止も環境保全もそれだけでは貧困は解決しないし、だから同様に人を分断させる。
でも、基本的人権を考えていくと、誰もが原発のリスクを受け入れない権利があるし、環境が保全された未来を持つ権利があると思う。
もっとも、日本だけがこんなことになっているわけじゃないとも思う。6年前のアメリカはトランプを大統領に選んでしまったし、フランスの大統領の決選投票は中道と極右だった。イギリスは保守党が混乱しているのに労働党の存在感はまるでない。
ロシアから天然ガスを買うのをやめてイスラエルから買おうとしているEUの行動には、二重基準にもほどがある、とも思う。
そんな世界ではあるけれども、あきらめているわけじゃない。まだこれから先、今回のような選挙結果が何度も続くのかもしれないけれど、それでも少しずつでもましな方向に変わっていけばいいと思う。
ぼくは日本国憲法はすばらしいと思うけれど、それは第9条ではなく、第3章の思想的な到達点にあると思っている。完璧ではないにせよ。
問題は、そのことがリベラルな政治家を含め、日本人に十分に理解されていない、というよりもつきつめて考えられていないことだと思う。
よりよい社会になっていくためには、こうした点を変えていくことが必要だろうと思うし、その結果が少しずつ選挙に反映されるようになっていけばいいなと思う。