こちら葛飾区水元公園前通信862

 こんばんは。

というわけで、サラリーマンをやめました。20カ月しか続きませんでした。いや、いいんですけど。むいてないし。
 ベンチャーだったものが大企業の子会社になってしまって、自分らしい仕事ができなくなったっていうのはありますね。
 えーと、フリーランス。っていうと聞こえがいいですね。貧乏ひまなしの日雇い文筆業です。まあそれでも、仕事をくれる人がいるのはありがたいことです。

 源川真希の「総合戦の中の日本政治」と「東京市政」を読みました。源川は今は交流はないけれど、大学の同級生だった人です。そういう縁もあったわけですが。
 源川によると、戦前の翼賛政治について、最初に大政翼賛会に参加したのが、社会大衆党だとか。これはちょっと重い指摘です。
 最近、民進党の代表選挙があり、その後山尾議員の不倫問題がありました。ここで一貫しているのは、民進党内に足を引っ張る人たちがいるということ。そして、民進党がリベラルではなく、近視眼的であること。救い難いですね。
 民進党の足を引っ張る人たちって、そもそも、自民党のコバンザメ状態だった55年体制社会党をイメージしているのでしょうか。
 少ない利権を守るためにせいいっぱい。
 政権交代するということは社会を変えることなんだけれど、社会を変えたいと思っているのでしょうかねえ。

 そうはいっても、自民党がやっていることは、もっとクズなんですけどね。最近では、日立が英国で建設する原発に最大2兆円の財務補償ですから。不倫なんかよりよっぽど大きな問題でしょ。

 それにしても、不倫報道に時間をさく日本のテレビを見ていると、絶望的な気分になります。山尾議員を避難するくそツイートの山が目に入ってくると、気分が悪くなります。斉藤由貴の不倫報道とか、みんなうらやましいと思っているのではないでしょうか。
 みんな、カラオケでは「さざんかの宿」とか「天城越え」とかを歌っていたりしませんか?

 谷本真由美の「不寛容社会」では、最初にベッキーの不倫問題が取り上げられます。そんなのどうだっていいのに、熱心に報道する日本のメディアは異常だ、と。
 谷本は欧米を持ち上げすぎではないかという気がしないでもないけれども。でも、指摘はその通りだと思います。

 不倫報道は、報道そのものがもっと否定されるべきだと思います。
 第一に、不倫は犯罪ではないし、あくまで当事者の問題でしかないこと。第三者には何の関係もないし、そのことがテレビドラマの作品の質や政治における政策の質に影響するものではないということです。
 第二に、不倫報道はプライバシーを侵害する暴力であるということです。こうした報道がなされること時代、基本的人権をないがしろにしているのではないかと思います。

 実は、この2つのことにほとんど言及しない、この国のリベラル層って、何なのだろうと思います。
 本当に、憲法第9条を守ることはとても大事なのだけれど、そもそも第10条以降にある基本的人権に関するところが、この国ではあまり合意がなされていないし、というか多くの人が鈍感で守られていないと思うのです。そして、そうしたことをさておいて、憲法第9条を守るという人たち、例えば大江健三郎とか小森陽一とかは、実は日本国憲法を守るにあたって、有害なんじゃないかとさえ思います。
 第9条を守ったところで、それだけでは権利が侵害されている人たちの環境は改善されません。健康で文化的な生活ができるわけではないし、奨学金が給付型になるわけでもないのです。だとしたら、憲法第9条を守る会への支持が広まるとは思えないのです。
 いくらノーベル賞作家や東大教授だといっても、そんなことに考えが至らないのは、ダメなんじゃないか、と。

 この点について、一部のフェミニストの鈍感さにも腹が立ちます。
 最初に気になったのは、森奈津子と牟田和恵のツイッターでのやりとりだったのですが。まあそれはそれとして。

 そもそも、弁護士の太田啓子氏は、「真空パック アダルトビデオ」で検索して出てきた映像についてのブログでの非難が炎上したことがありました。
 真空パックというのは、女性をビニール袋に入れて中の空気を抜いた状態でことにおよぶというアダルトビデオがジャンル化しているということで、検索すれば出てきます。酸欠によるエクスタシー、というのが売り者なのでしょうが。
 正直なとこと、こんなアダルトビデオの制作そのものが、事故が起こりかねないものであり、障害未遂として立件できるようなものだと思います。女性を消耗品としかとらえていないアダルトビデオ業界なんて、もっと浄化されてもいいものです。これに限らず、ほぼ犯罪といっていいことが横行しているとも考えられますし、報告もされています。
 こんな犯罪前提で製作されているものを、擁護するという気はないし、擁護しているほとんどの人は批判されるべきだと思うのです。
 ですから、太田弁護士の指摘はそこまでは正しいとは思うのです。
 けれども、こうしたビデオに対し「猟奇的で吐き気がする」とした上で、そうした嗜好を持つ人がいること非難するということについては、行き過ぎだと思うのです。そこが、炎上した理由だとも思います。そして、そうした見方が、困難さを抱えているがゆえに、アダルトビデオに出演するしか選択肢がない女性を分断してしまうのではないかと危惧するのです。

 太田弁護士に対して、真空パックを好きでやっている人もいる、とか、そんな見方には同意できません。
 そもそも、アダルトビデオに好きで出演している女優もいる、とか、そんな言い方も支持しません。ほとんどが仕事と割り切っているのだと思います。けれども、同時に、だいたいの仕事は好きでやっているものではないとも思うのですが。
 太田弁護士の発言で問題があるのは、次の2つです。まず、猟奇的で吐き気がする、という評価ですが、そもそも、猟奇的なものに対する嗜好を持っている人は少なからずいるし、それは内面の問題だから、批判するにはあたらないのです。そうでなくて、江戸川乱歩の「盲獣」(乱歩自身が吐き気をもよおすような作品)への評価ということも成り立たないし、だからこそ幼女の写真は否定されてもイラストやマンガは認められるべきだとも思うのです。
 第2に、女優が好きでやっているわけではないにせよ、それを選択せざるを得ない女性がいるということです。鈴木大介の「貧困女子」では、知的障害を抱え、それでもブランド品を持ちたくて性産業に従事する女性が紹介されています。ブランド品どころか、生活のためにそれを選ぶということもあります。また、菜摘ひかるを読んでいると、性産業において顧客に喜んでもらうことでようやく「社会的認知」を得られているのではないか、という気もします。鈴木涼美のエッセイにも、そんなところを感じます。

 人がその内面において、どれほど猟奇的な嗜好を持とうと、それは他者の権利を侵害しないことを前提として、自由だと思うのです。ですから、かつての会田誠展における、18禁コーナーに対する非難も、北原みのりによる「オリエント工業展」に対する批難も、それはあたらないと思うのです。
 作品に対して、批評として語ることは必要だと思います。都合のいい女性ばかりが登場する村上春樹の小説とか。あるいは、少女にばかり世界を背負わせてしまう、例えば「魔法少女まどかマギカ」とか。でも、それが社会的に存在するべきではない、というのは、人の内面に対する、権利に対する侵害だと思うのです。
 うんこやゲロを食べるアダルトビデオとか、本当に吐き気がしますが、でもそれが好きな人のことは尊重してもいいと思うし。そんなものではないかな、と。

 そして、2つ目の点については、犯罪ともいえる(実際に事故が起きているし、そもそもほとんど詐欺のようにして出演させているケースが限りなく報告されている)アダルトビデオ業界についてはきちんと取り締まるべきだと思うのですが、そうした世界で生きるしか選択がなかった女性のことについて、もっと目を向けるべきだと思うのです。
 だから、簡単にアダルトビデオを切ってしまう太田弁護士の記述には、どうしても「高い位置からの批判」というものが感じられてしまうのです。

 ぼく自身、フェミニズムに強い影響を受けてきました。だから、社会的な不平等に対してはつねに怒りを感じます。けれども、同時に、内面の自由ということは、基本的人権として保障すべきものだとも思うのです。好きなものはしょうがないじゃん、というコントロールできないものなのだし。

 そこで、最初の不倫の話に戻るのですが、犯罪ですらない、人を好きになってしまうのは内面の問題だし、当事者だけの問題だし、そんなことで離党せざるを得なかった山尾議員や今井絵理子議員、ラジオ番組を降板した斉藤由貴を、リベラルな人たちやフェミニストはもっと声をあげて守ってあげてもいいと思うのです。ベッキーをもっと守るべきだったとも思うし。
 それが、人の命にかかわるアダルトビデオより優先されるとは思いませんが、けれども、そうしたことに、あまりにも鈍すぎるのです。
 欧米で不倫が問題にならないのは、人権に対する意識が違うからなのかもしれない、とも少し思いましたが、どうでしょう。ビル・クリントンは大統領をやめることはなかったですよね。

 日本では憲法第9条を守ることが問題となっています。しかし、基本的人権については、ほんとうに意識されなさすぎです。
 基本的人権が侵害されている人と、憲法第9条を守ろうという人が分断されていることが、この国のリベラルをダメにしていると思うし、その結果が、分断されずに利権にあやかりたい人が集まっている自民党公明党の圧倒的多数という国会の議席数にもつながっているとも思います。

 どうやら、国会は近く解散、総選挙ということになるようです。民進党が混迷し、内閣支持率が回復する中での総選挙には、期待できないというか、絶望的な気分にすらなります。
 それでも、希望としては、共謀罪や秘密保護法、さらにはずっとさかのぼって改悪された教育基本法など、安倍政権の負の遺産を廃止することで、野党にはまとまって欲しいと思います。
 同時に、政権が交代すれば人々の生活がもっと良くなることも伝えていただきたい。
 北朝鮮については、日本にミサイルが落ちないように「あらゆる手段」を使うということでいいと思います。

 まあ、社会に対しては欝々になりますが、プライベートでは刺激と穏やかな幸福に満ちた9月です。