こちら葛飾区水元公園前通信846

tenshinokuma2016-08-16

 残暑お見舞い申し上げます。
 って、ぜんぜん暑いままですね。

 まず、宣伝から。
 「トーキングヘッズ叢書」67号が出ました。特集はトラウマ。
 今回もまた、よろしくお願いいたしますです。

 世の中、コメントすることに事欠かないですね。参議院選挙に東京都知事選挙。神奈川県相模原市の大量死傷事件。天皇生前退位。オリンピック。

 選挙は、まあ、しょうがねえなあ、と。
 感じたことは、人々にとって切実なことが、政治家に伝わっていないこと。伝える言葉もない。なんだか、民進党がだらしないんじゃないか、という言い方がされそうだけれども、市民活動が政治に対して適切なメッセージを発してこなかったと思っている。市民活動も、リベラルな思想を持った「文化人」も、人々にとって切実なものを受け止めることも、言葉にすることもできていなかった。そのことを強く感じます。

 「文化人」って、かっこでくくってみたけれども、その説明もちょっとしとかなきゃいけないですね。
 これ、マスメディアで発言するという役割を担わされた人のことです。
 それは、重いポジションなんだと思っています。

 言葉にできなかったというのはどういうことか。
 今回の参議院選挙の争点は、「憲法改正」でした。それはその通りだと思います。けれども、改正されるのは、第9条だけではありません。基本的人権国民主権に関わる部分は、より大事なことだと思っています。第9条を改正しなくても、戦争にまきこまれるような法律はできてしまっているので、もうそこは重要じゃないともいえます。
 基本的人権国民主権に関わる部分というのは、どういうことか。それは人々に対して「貧困でもがまんしろ」というような内容です。国の方が大事だろ、という。
 そして、多くの人にとって、そちらのほうが切実な問題なのだとも思います。
 たぶん、貧困をなくすような経済政策と、それを支える憲法の理念がきちんとセットになって提示されるのであれば、もっとちがった結果になったのではないでしょうか。
 もちろん、それが認知されるのにも時間はかかるので、選挙結果を大きく変えることはなかったと思います。

 脱原発憲法第9条擁護も正しいと思うのですが、それだけでは多くの人は共感しないと思うのです。わかりやすいけど共感しない言葉に、リベラルな人たちはずっと、そこに安住してきたのだと思います。
 鳥越俊太郎については、結果として悪く言う人もいるけれども、でも、むしろ悪く言う人たちの問題だと思います。宇都宮健児野党統一候補できない時点で、限界を露呈させたと思うし。
 古賀茂明の方が良かったという意見もあるのですが、古賀だったら宇都宮は立候補を取り下げなかったと思います。ぼくの古賀に対する評価って、あまり高くなくって、結局はこの人も経産官僚なんだな、と思うことも少なくないです。

 選挙だけじゃなく、神奈川県相模原市の障害者施設での死傷事件、そして天皇生前退位の問題を考えるときに、結局のところ、この国の人は、「戦争放棄」は考えても、「基本的人権」のことは突き詰めて考えることはしてこなかったのではないか、という無力感があるのです。
 障害者だって生きる権利が保障されている、という思想があることで、だれもが幸福になれるしくみが用意できるのだと思います。そして日本においては、そのすきまに皇族がいる。そう思います。
 日本では、神社の移転とか、わりと簡単に行われているし、都合が悪ければご神木も切り倒される。神がかなり軽く扱われている国だと思っています。
 そして、皮肉なことに、天皇を現人神だと思っている人たち程、天皇を軽く扱っているような気がします。

 このところ、けっこう本と読んでいます。
 今は、グレアム・ジョイスの「人生の真実」(東京創元社)を読んでいるのですが、これはひさびさに文句なしに面白い本だと感じています。創元海外SF叢書の一冊なのですが、SFじゃないですね。相当ひねりのきいた幻想文学とでもいうのでしょうか。
 訳者によると、奇妙な人が登場する「若草物語」だとか。
 主な登場人物は、マーサと7人の娘、そして孫のフランク。フランクの母親であるキャシーはマーサやフランクと同じく、というかそれ以上に霊感が強いというか、死者を見ることができるというか。まあ、あと、娘たちの配偶者、産婆、その他。
 話としては、未婚の母親になってしまったキャシーの息子のフランクを姉妹で交代で育てる、その背景の中で、大きくは戦争の影(というか、時代設定が戦争直後ですから)と復興、小さくは戦争がきっかけの不倫とかリベラルな政治活動と多くの男女による共同生活のダメさかげんとか。長女の夫の仕事はエンバーミング
 ある種の、人生について、あまり語られないきれいごとじゃない部分を語ってくれる、そういうストーリー。マイルドでビターなイギリスのビール、といった味わいの作品です。一家をとりまとめるマーサが毎日一本ずつ飲んでいるような。

 アンナ・カヴァンの新刊が毎年出る、というのは、良く考えるとすごいことですね。最新刊は「チェンジ・ザ・ネーム」(文遊社)。
 カヴァンといえば、代表作は「氷」で、その幻想的な終末の風景というのは、何度か書かれているのですが、「あなたはだあれ?」や「鷲の巣」はそんな感じの長編。あとは、「アサイラム・ピース」に代表される、逃げ場のない不条理さを描いた短編集。
 そのどちらでもないのが、「愛の渇き」で、ここでは冷たい母親のリジャイナと、不幸な娘のガーダが主人公。でも、その行き場のなさっていうのか、母親と娘との、母性があたりまえのように欠落した作品は、実はぼくとしてはカヴァンのもっとも好きな作品。
 そして、「チェンジ・ザ・ネーム」は「愛の渇き」に先行する、ほぼ同じテーマの作品。
 ヒロインは冷たい親の下で育てられ、同じく冷たい母親になる。娘を愛することができず、むしろ娘がいなくなることで自分を取り戻すことができる。でも、そこには、それが本来の自分であるという肯定的なものがこめられている。
 ヒロインは自分の姿として、小説家になることを目指し、実際になる。カヴァン自身がモデルなのだと思う。
 愛さないことを肯定しつつ、愛の不在を呪う、そのジレンマが、そのまま「氷」の終末につながっていくのかもしれないし、その溝を埋めるものがヘロインだったのかもしれない、とも思いました。

 蓮見重彦の「伯爵夫人」は、ポルノじゃないです。まあ、御下品な表現はいくらでも出てくるのですが。でも、舞台は1945年よりも前の日本。上流階級のような世界、政治がうごめく世界でも、結局のところ、人間って下半身なんだよな、という、アナーキーともとれる見方が、この作品のテーマ。そう思うと、蓮見の三島賞受賞の弁の、あの感じも理解できます。だって、権威なんてくだらないものなんだぜ、と、まさにパンクな感じで書いてきた80歳の作家にとって、そう言うしかないじゃないですか。

 「日本会議」関連本は、つい読んでしまうのですが。まあ、それはいいや。

 深夜アニメは「甘々と稲妻」がおすすめ。って、妻を失った数学教師が、娘といっしょに、学校の生徒の料理屋でごはんを作って食べるというほのぼのした話で。何ともいえない味わいです。
 娘的には、作家はBL漫画家だそうで、途中から登場する主人公の同級生の料理人とのBLショットに萌えるそうですが。

 「Orange」は、未来の自分から手紙が届き、過去を変えるという高校生活をする話。ヒロインが恋に落ちる男の子が冬には死んでしまうというのが未来。そこにいたるまでの後悔を過去の自分にはさせない、そして死なないようにする、という、そういう流れなのですが。
 アニメとしては、ヒロインのあーでもないこーでもないという花澤香菜のモノローグが気持ちいいのかもしれません。
 まあ、未来のヒロインは不幸かというと、そうでもなく、別のクラスメートと結婚して子供もいるのですが。
 でも、単純に、後悔しない、というメッセージが、高校生とかには受け入れられたのだと思います。まあ、それはいいことだと思います。

 オリンピックは、かみさんが見ていると、ついこっちも見てしまいます。
 こういう機会でもないと、見ることがないようなスポーツを見ることができるというのが、オリンピックのいいことだと思っています。わりとマイナーなスポーツでも、見ると面白いです。
 だから逆に、サッカーやテニスやゴルフはオリンピックでやるべきじゃないとも思っています。オリンピックよりもグレードの高い試合があるんだし。したがって、東京オリンピックで野球を復活させるのも反対なのですが。
 それから、こういう機会でもないと知る機会のない国があるということにも意味があると思っています。
 ロシアのドーピング問題に対する対応には、不満があります。結局のところ、オリンピックはアスリート個人個人の資格の問題だと思うので、ドーピングで陰性の選手は参加させるべきだと思っています。したがって、国を背負う必要もないし。
 まあ、そんなこんなです。

 先日はひさしぶりに、江戸川放水路にハゼ釣りに行きました。まだ小さいのですが、大漁でした。釣ったハゼは下ごしらえをしたあと、実家のフリーザーに入れてあります。
 夏の間に、海にも釣りに行きたいですね。
 それと、トレッキングもしたいと、8月も半分が終わる段階で、そんなふうに思っています。