こんばんは。
新年度です。ということで、自営業に戻って、少しずつ仕事が増えてきました。どうにか生活できそうです。
というか、忙しくなりそうです。
まあ、いいんですけどね。
ということで、新刊ですが、技術評論社から、「図解即戦力 脱炭素のビジネス戦略と技術がこれ1冊でしっかりわかる教科書」という本を出します。4月24日発売ですので、書店で見かけたら、手に取ってやってください。まあ、気候変動問題とか脱炭素とかの基本的な話をまとめているので、正直に言えば、読んでほしいと思っていますが、とりあえず、各章末のコラムとあとがきだけでも立ち読みしてもらえるとうれしいです。
花見の方は、4月2日に光が丘公園で行いました。まあ、桜は満開を過ぎていましたが、お酒が飲めればそれで充分です。
ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
光が丘公園は、20年以上前、昔の会社の人たちと、野球をした場所でもあります。ちょっと懐かしいですね。
4月の最初のゆる山は、「ヤマノススメ」で登場した飯能アルプス。4月1日に、東吾野駅からスタートし、天覚山、大高山、板屋の頭を通って子の権現まで歩きました。子の権現がある子の山でさえ標高600m台なのですが、途中アップダウンは多いし、距離も意外とあって、7時間くらいのトレッキングになりました。あおいちゃんとここなちゃんが歩いていると思って、あなどりました。
展望もあまりよくないし、わりと体力を無駄遣いするようなコースではありますが、危ないところはほとんどなく、トレイルランの人とよくすれちがいました。
まあ、子の権現は足腰にご利益があるので、このくらい歩かなきゃいけないのでしょう。
秋には子の権現のフォーカスして、名物のうどんを食べる、ということもしたいと思うのでした。
子の権現の手作りの饅頭はおいしいです。おすすめです。
最近読んだ本と言えば、まずは山尾悠子の「迷宮遊覧飛行」(国書刊行会)です。
初めてのエッセイ集ということで、かなり昔のも収録されているのですが、前半はわりと最近のもの。というか、復活してからのエッセイ。SFマガジンでデビューしたけど、そこが自分の居場所じゃなかったりとか。泉鏡花で卒論を書いたこと、とか。特に泉への偏愛と澁澤龍彦に対する尊敬とか。そのわりには、中井英夫はそれほどでも、とか。
初期のエッセイは後半に収録されていて、それはなにかといえば、エッセイのような幻想小説のような短い文章、という。
じんわりと楽しめる一方で、どこか自分の感性とずれているところも確認しながら読む、といったところでしょうか。
中森明夫の「TRY48」(新潮社)は、面白かったけど、いや、ほんとうに寺山修司を知らなくても面白い。寺山修司が生きていて、アイドルグループをプロデュースしたらどうなるのか、という話です。寺山のことをよく調べていて、小劇場出身のかみさんも面白がってくれています。
同時に、ぼくが寺山に興味を持てない理由もよくわかりました。
寺山が持つ母親への幻想というか、怨嗟というか、そういうものがあまりぼくにはないというのがひとつ。実験的な演劇をやってたとしても、それが現在において、どれほど意味があるのか、というのは、この本の中で中森が答えを出してしまっています。
ある種の狂気を帯びたところが、現在においては社会そのものが狂気を感じさせてしまっている、そのことに対して何もひびかなくなってしまった、ということなのかもしれません。
でも、小説はよくできていておもしろかったです。
多和田葉子の「パウル・ツェランと中国の天使」(文藝春秋)も読みました。難しくてよくわからなかった。ごめんなさい。
イアン・マクドナルドの「時ありて」(早川書房)もそうなんだけど、技術的に完成度が高くて濃密な作品って、どこかで読んでいて疲れてしまうところがあって、というのも緊張を強いられるところがあって、それはそれで受け止めればいいんだけど、気を許すとついていけなくなってしまう。ぼくの問題ですね。
壱岐津礼の「かくも親しき死よ」(アトリエサード)は、クトゥルフ神話と日本神話が一緒になった小説で、恵比寿神がニャルラトホテプだったり(小説中の記述をつかっていないです)とか、イザナギとイザナミが出てきて、戦うとか。
でも何より、話のスケールが大きくなって、「日本沈没」+「復活の日」みたいな感じで、意外に小松左京の影響は大きいのかもしれない、とか。
ラブクラフトを読んだことないけど、楽しく読みました。
大江健三郎と坂本龍一について、ブログで書きました。もし興味があったら読んでみてください。
今日は久しぶりにプールで1.2kmほど泳いできました。
あとは銭湯に行き、ビールを飲むだけです。