こちら葛飾区水元公園前通信859

 こんばんは。
 お元気でしょうか。

 今週の前半は、鳥取まで行ってきました。
 仕事です。
 鳥取砂丘コナン空港から鳥取市である会社を訪問。
 翌日は、米子に移動して別の会社を訪問したあと、米子鬼太郎空港から帰りました。
 米子空港に行くには境線に乗るのですが、駅のアナウンスは鬼太郎と根子娘がやっています。で、思ったのですが、鬼太郎とコナンの声って、何となく似ていますね。
 特に観光というのはしなかったのですが、鳥取市の北側、鳥取城址は、小高い山になっていて、石垣も残っていて、ゆっくり歩いてみたい場所でした。時間がなくて、歩けなかったけど。博物館にも入れなかったし。
 ゆっくりと行く機会はあるのでしょうか。
 まあ、岩ガキを食べて地酒を飲んだので、それで満足ですが。
 あと、鳥取でも米子でも銭湯には行きました。

 などと書いた後、3週間もすぎてしまいました。

 岡和田晃の「世界にあけられた弾痕と、黄昏の原郷」(アトリエサード)も読みました。中身ぎっしりの評論集です。SFもTRPGも同じ器にてんこもり、です。
 微妙に、読書傾向がかぶるところがあって、そういう関心もあります。具体的に言えば、ニューウェーブSFとヌーボーロマンでしょうか。その一方で、ぼく自身はTRPGはやらないし、現代日本SFもあまり読んでいないので。でも、伊藤計劃円城塔は読んだか。
 たぶん、そこで共通するのは、戦うということなのかもしれません。現状に対抗するものとして、そこにある、というのでしょうか。じゃあそれがどういうことなのかというのは、説明しにくいのですが。ただ、保守的な現状があって、カウンターとしてニューウェーブSFがあったし。そして現在の日本においては、目の前の不条理な政治もさることながら、時間軸をともなった不条理さもある、そういったものも含めて、現代SFに何かしら反映されている、ということもいえるのでしょう。

 松浦理英子の「最愛の子どもたち」は、彼女の最高傑作ではないか、と思っています。さりげなくすごい小説だなあ、と。
 舞台は高校。男女同学というか、男子クラスと女子クラスに分かれていて、実質的には女子高だけど近くに男子もいる、というくらいで。そこで、中心となる3人の生徒がいて、それぞれパパ、ママ、王子という役割。教室はある種の疑似家族。もちろん、それぞれの生徒にはそれぞれの家族がいるし、なかなかぶっとんだ両親とか、支配的な母親とか、まあいろいろ。で、この小説は「わたしたち」という一人称で語られる。それが誰かということはない。わたしたち、でしかないという。
 わたしたちは疑似家族として互いを愛し合っている、そうした世界が描かれるというわけ。「ナチュラルウーマン」や「裏バージョン」で描かれた世界が、主人公たちの年齢を高校生まで下げ、より濃密に、より精神的なものとして描かれた、居心地がいいけど締め出される、そんな小説。
 今年のベストとして、おすすめしておきます。

 図書館のリサイクルコーナーから拾ってきたのが、村上春樹編「月曜日は最悪だというけれど」というアンソロジー。村上が選んだエッセイ、それにティム・オブライエンの短編2つを収録した本。レイモンド・カーヴァーをめぐる2つのエッセイは、作家と編集者というものについて考えてしまう。村上はそうではないかもしれないけれど、日本の文芸誌ではハード・エディティングはあるという。新人作家の作品を編集者がすっかり書き直してしまう、とか。それもどうかとは思うけど。カーヴァーの初期の作品も編集者が大胆に手を入れたし、それを後年、カーヴァー自身が復元してきた、ということもあるらしい。
 オブライエンはベトナム戦争に従軍した経験を持つ。そのハードさというのが、作家としてどのように折り合いがつけられているのか。ジョン・アーヴィングの取材に基づくエッセイは、正直、笑えます。そういや、アーヴィングの小説、しばらく読んでいないです。
 まあ、会社員をするようになって、毎週のように、月曜日は最悪だって思うようになりました。

 結局、今月はトレッキングには行っていないですね。丹沢の大倉尾根を登ろうとひそかに思っていたんですけど。
 トイレのタンクが壊れてしまっていて、その修理のために家にいなきゃいけない、と。
 まあ、いいんですけど。

 ではまた。