こちら葛飾区水元公園前通信797

tenshinokuma2012-12-21

 どうもです。
 えーと、また宣伝、ですか。今月は2回目ですね。現在発売中の、週刊「エコノミスト」で、敦賀原発について、書きました。また、立ち読みでもしてやってください。廃炉のドミノ倒し?ってなぐあいです。

 選挙結果については、言いたいことはいろいろあるのですが。とても暗い気持ちにもなりますし。だいたい、16日は開票速報を見ると憂鬱になるので、録画しておいた「The Manzai」を見ていたくらいだし。
 でも、7年前の郵政選挙のときも、同じでした。あのときより救いがないのは、民主党がなくなっちゃったことですか。
 それにしても、イタリアだってベルルスコーニの時代はあったし、米国はブッシュが8年間もいたわけだし、そう思えば、まだまし、と思うしかないですね。
 かつて、フランスで、極右のルペンが大統領選挙の決選投票に残ったとき、リベラルな人たちは、鼻をつまんでシラクに入れたと思います。日本人には、鼻をつまんで民主党もどきとかに投票する気持ちもなかった、ってなところかもしれません。

 今月前半は、ずっと中沢新一を読んでいました。「フィロソフィア・ヤポニカ」と「東方的」(講談社学術文庫)です。
 読みながら、ずっと思っていたのは、中沢にとってのサイエンスということです。数学や物理学や生物学です。
 それは、一見すると、アナロジーのように感じるかもしれません。例えば、フラクラル幾何学とマンダラ、とか、超弦理論の丸め込まれた7次元と八百万の神、とか。
 けれども、実はそうではなくって、科学が仮説を記述するときの言葉というのが、そもそも何かのアナロジーになっているのかもしれない、と。あるモデルがあって、それにしたがって、仮説を記述していく、と。
 そのモデルによって、記述される仮説がちがってくる。そのモデルのところに引き戻していくということを、中沢は、やっているのかもしれない、ということです。
 ぼくたちは、モデルによってしか、世界を理解できない、ということでもあるのでしょう。

 「フィロソフィア・ヤポニカ」は、日本の哲学者の田邊元について見直し、対立する西田幾多郎についても論じたエッセイ。どんな内容か、紹介するには手に余るのだけれども。
 「東方的」は、本当にタイトル通り、東欧から東の果てまで、ハンガリーからチベット、熊野まで。それが何か、それも説明するのは手に余るな。でも、ハンガリー人の姓名って、日本と同じく姓が先だっていうのを、思い出した。ここは東欧に取り残されたアジアだったんだ。

 そのあと、保坂和志の「言葉の外へ」(河出文庫)も読んだ。保坂と村上春樹の違いは、一方がベイスターズファンでもう一方がヤクルトファンであること。
 って、どうでもいいことだな。
 でもなにか、ぐだぐだと書いてみる、という保坂の文章は、嫌いじゃないです。言葉って、そういうものだって。
 学校の国語の授業ではないけれど、ぼくの文章力は、どこか破壊されているところがあるなっていう自覚はある。もう、それでしかないっていう、そういうところで、文筆業もないもんだ、という。国語の授業は、本当に苦手だったものな。
 ということで思い出したのは、吉木りさの「世界は教室だけじゃない」なんだけど、聞いていると、歌詞が直接的すぎて、ちょっといやかも、とも思ったりしました。「ボカロがライバル」は笑ってしまうけど。
 でも、吉木りさの声は、あらためて、好きだな、とも思うのでした。ビジュアルは、ともかくとして。どうしても、顔より身体に目がいっちゃうのだけど。

 そうそう、保坂の本の前に、会田誠つながりで、Chim↑Pomの「芸術実行犯」と、同じアイデアインクつながりで、園子温の「非道に生きる」(朝日出版社)も読みました。
 Chim↑Pomっていうのは、現代美術のグループだけれども、たぶん、一番知られている作品は、渋谷駅で岡本太郎の原爆の絵に福島の絵を描き足したっていう事件かもしれません。社会性っていうのか、そこに対して言うことは言う、おさわがせな人たちなのだけれども。でも、そんなおさわがせに対して、本はすごくまともな現代芸術論になっていて、でもな、それを芸術って言ってしまうと、まあ、コンセプチュアルアートとか、いいんだけどさ、という。あー、これは肯定的に言っていることです。
 園の映画って、そういえば見たことないな。映画監督としてサバイバルしていくのも、たいへんだよな、とか。そういう本ではないけど。

 えーと、最近は早起きして録画がたまっているアニメを見るのが日課だったしします。ようやく、「坂道のアポロン」と「人類は衰退しました」を見終えました。まあ、人類は本当に衰退しているし、そのなかでどうにか楽しく生きていくっていうのは、未来としてアリかもしれない、と思ってしまったりもします。
 それと、「中二病でも恋がしたい」の最終回も。実は普通のラブコメ、であっても、その強引な自己肯定性は、心地よいと思いました。前半のおばかさはどこに行ったんだろうって、文句も出るのかもしれないけれど。

 年末まで、仕事はたまっている状態ですが、どうにか乗り切りたいな、といったところです。年賀状も、どうなることやら。3年くらい出していないから、たまっています。