こんにちはです。
みなさま、GWはいかがおすごしでしょうか。
なんか、飛び石連休で、ゆっくり休めたという感じがないでもありますが。
まず、宣伝。トーキングヘッズ叢書No.58「メルヘン〜愛らしさの裏側」が発行されました。ダークなめるへん、てんこもりです。書店にはそろそろ並んでいると思います。
ぜひ、今回もご購読のほど、よろしくお願いいたします。
ぼくは、アンパンマンと中沢新一について書きました。それがどういうことかというのは、読んでいただければ幸いです。
で、GWの話題に戻るのですが、29日は、しながわ水族館に行きました。いつも釣っているような魚をはじめ、巨大な魚やくらげなどを息子と見てきました。
GWの企画は、さわってみよう、ということで、まずアオダイショウをなでてみました。ヘビはけっこうすべすべしています。それから、デンキナマズ。これは、ビリっときましたね。冬の静電気レベルはあります。なかなか貴重な経験でした。息子にもさわってみろと言ったのですが、さわってくれませんでした。まあ、いいんですけど。
村上春樹の新刊「女のいない男たち」(文芸春秋)は、早速、読みました。今回は、けっこうおもしろかったというか、端正な短編集というところがありました。
めずらしく、まえがきがあって、つまり女性を失うということが全体のテーマになっているということなのですが。
でも、それって、何をいまさら、という気がします。「ノルウェーの森」も「国境の東、太陽の南」も「ねじまき鳥クロニクル」もみんなそうでした。「1Q84」のように取り戻す話や、「スプートニクの恋人」とか「多崎つくると彼の巡礼の年」みたいにラストに暗示があるというのもあるけれども。
とは思ったのですが、それでもあえてテーマというだけあって、女性を失うことの意味が、もう一つ掘り下げられていたとも思います。
どういうことか。特定の女性を失うということは、男性にとって、大きな欠落をもたらし、あるいは裸にしてしまうことなのではないか、ということです。女性がいることによって、相対的に自分が規定され、保たれていたアイデンティティが、衣服のようにあったものが、失われる、それは何なのか。無力で裸の男性に戻ってしまう、それが等身大の自分かもしれないのだけれども。
そして、この世界は一歩間違えば、すぐに地獄というか強制収容所のような世界に落ちるような構造になっており、何かのきっかけで女性を失った男性は、裸にされ、強制収容所のガス室にむかって並ばされる。そんなことではないでしょうか。
では、女性は衣服のようなものなのでしょうか。「ノルウェーの森」以降の、男性の主人公の自己中心的な感性においては、無意識的にそうなるのでしょう。そうしたことが、「ノルウェーの森」以降、とりわけフェミニズム的感性を持った女性から非難されてきたことだったのかもしれません。
女性をメタファと考えると、残酷な世界というものがわかる気がします。結局のところ、村上の小説においては女性は他者でしかないので、それはそうなのかもしれません。それは、女性を永遠のミステリーにしてしまう、他の作家の感性と変わらないとも思います。
けれども、現実には女性はメタファではなく、実際に存在している人間です。そこが、問題なのかもしれません。
村上の作品の中で、「国境の東、太陽の南」はあまり評価が高くないのだけれども、ぼくはけっこう好きです。というか、女性が主人公に対して、自分をもっと頼って欲しいと訴えるのは、この小説だけだと思います。そこに、男性が自分が中心ではなく、他者とかかわれる存在だということが示されます。けれども、「ねじまき鳥クロニクル」ではこのことが後退しています。
とまあそんなわけで、「女のいない男たち」では、村上の小説世界において、女性を失うことの意味を、より深く掘り下げた、というのはそういうことです。その結果として、コンパクトで端正な作品になった、と。それに、短編集としては、こうしたテーマでまとめられたことはなかったし。
近藤ようこの新刊「五色の舟」(エンターブレイン)は、なかなかきわどいです。原作は津原泰水(で字は合ってる?)です。舞台は戦前、身体障害者による見世物の疑似家族を描いた作品です。そこで、あり得た世界をパラレルワールドとして描くとき、その意味って、何だろうか、と。それでもぼくたちは、ぼくたち自身が幸福になれる世界を選べるのだろうか、とか。
ということで、これはおすすめです。
1919年に書かれたカミの「三銃士の息子」(早川書房)は脱力のコミックノベルです。ハヤカワポケットミステリの一冊なのですが、あなどれません。そもそも主人公の名前が三銃士の息子なのですから。父親は三銃士の誰か、ではなく三銃士全員。ありえない設定です。でも、まあ、そういう小説なのです。
疲れない本を読みたい、という方におすすめです。
最近、季節限定のサントリーオールフリーのシトラススパークルが復活しました。ノンアルコールビールって、飲めたものではないのですが、これだけは別です。ビールらしくないところが、かえっていいのでしょう。ビールを飲む理由は、お酒だからではなく、おいしいからであって、おいしければアルコールが入っていなくてもかまいません。
そんなわけで、この夏はお酒を飲まない日が増えそうです。
ではまた。