もうベースは弾かない

tenshinokuma2011-06-21

島村楽器のお題「楽器に関する思い出」
 今、村上春樹のインタビュー集を読んでいる。
 面白いかって言われると、村上春樹の小説ほどではないと思うのだけど。でも、自分とどんなふうに違う人なのかというのが、比較しやすいので、そういう意味では、自分で、こうしようとか思うことがある。
 どういうことかっていうと、例えば、ぼくも村上も文章を書くことが仕事なわけだけど、村上が一流の音楽家だとしたら、ぼくは底辺のスタジオミュージシャンくらいかなあって思う。村上が自分のリズムで仕事ができるとしたら、ぼくは生活のために、仕事をこなさなきゃいけないっていう。だから、今は長編、今は翻訳っていうのではなく、仕事に間に合わせるように、しかもそれなりの質を確保しつつ、ということになる。
 そうであっても、自分のスタイルとかあったりして、多少はレスがあるとうれしいというのもある。
 あるいは、村上は毎日、ランニングしたり水泳したり。身体が大事だっていうのは、そうだと思う。けれども、ぼくだって、子どもができるまでは、毎週くらいはプールで1500mくらい泳いでいた。でも、生活しなきゃいけないっていうのは、自分の仕事や自分の余暇だけじゃなく、子どものめんどうもみなきゃいけないし、それはまあ、けっこう時間をとられる話だ。それはそれで、悪いことばかりじゃないから、不平を言うつもりはないけれども。というか、そうじゃなく、同じ文章を書く仕事なのに、立場もスタイルも読者の数も何もかもが違うんだなあっていうこと。
 そうであるはずなんだけど、じゃあ、村上のしていることがわからないのかっていうと、そんなことはない。文章のねじを締めていくこととか。村上が「アンダーグラウンド」を書いたように、ぼく自身、たくさんのインタビューをしてきて、それはかなり違う内容ではあるのだけれども、やはりぼくの中で大切な財産になっているし。そういうことってある。
 で、楽器についての思い出だけど、村上はミュージシャンになりかかったけど、楽器が上手じゃなかったという。ぼくも、下手だった。それで、ベースギターという楽器を、多少はやってみたものの、まるで才能がないので、あきらめてしまった、というのはある。でも、楽器から学んだことって、少なくないな。
 村上やヤクルトの試合を見ていて、小説を書こうと思ったという。ぼくもヤクルトの試合を多少は見てきたし、村上同様にファンでもあるのだけど。そんなこととは関係なく、今でも小説を書こうということは思ってはいる。でもね、仕事に追われるのである。セッションミュージシャンなので、リーダーアルバムをつくるのは難しいし、ヒットさせることなんて、遠い話だな、とも思う。まあでも、たぶん、大多数の人が、そういう側にいるのだから。せめて、そうであっても、たまに、自分の演奏が誰かの心にひっかかってくれればいいや、というのもあるわけです。例えば、先日の「エコノミスト」の記事は、投書もいただいたようで、ありがたいことです。