こちら葛飾区水元公園前通信776

tenshinokuma2011-04-21

 おひさしぶりです。

 こうやって、パソコンに向かっていても、何を書いたらいいのか、ちょっとわからないところもあるんですけど、とりあえず、元気です。
 地震のこともあるし、そのこと以上に原発事故のことは、ぼくも無縁ではありませんでした。かつては、原子力推進の旗を振っていた会社に勤めていたわけだし。それに、その経験をもとに本を書いたわけですが、そのことから、ラジオ局やテレビ局からも声がかかることもありました。ぼくに声をかけるなんて、よほど人がいないのか、とも思いましたが、大量に人が必要だったことは確かです。

 でも、そんなことだけじゃなく、目の前の仕事はあいかわらずあるし、PTAのこともあるし、子供のこともあるし、母親の入院(今週土曜日には無事に退院するので、ご心配なく)とか、そんなこんなで、身体は決して忙しいわけじゃないからいいんだけど、頭が追い付いていかないという状況でした。
 それでも、毎朝、「GOSICK」のオープニング曲で目覚め、子供を学校に送りだし、仕事をしていたわけです。

 プライベートなことはまあ、いいんですけど。
 話すべきことは、どうしても福島第一原発のことになってしまいます。
 現時点では、緊急の危険はなくなりつつも、まだまだ予断を許さないといったところでしょうか。そのため、首都圏は平常の生活に戻りつつあります。
 けれども、どうしても気になることがたくさんあるのです。
 事故現場がどのような状況なのか。短期的にも過酷な労働環境になっているということですが、同時に、将来の放射線障害のことを考えると、胸が痛みます。とりあえず、250ミリシーベルト/年というのが、臨床的な影響が見られないレベルであるということを信じたいと思います。ぼく自身、多少なりとも、放射線について学校で触れたということもあり、それが影響ないということを示しているわけではないということを理解しているのですが。
 原発から半径20キロメートルなりそれなりの距離、汚染区域は、半年以上は人が住めない場所になります。その町や村、風景は失われてしまったということです。永遠ではないというのが、せめてもの救いですが。

 原発事故の責任は、やはり東京電力にあると思います。十分な地震対策をしてこなかったのですから。想定外だったとは思いません。ただ、甘く見ていたのではないかと思います。
 東京電力は、新潟県柏崎刈羽原発地震によって大きな被害を受けた経験をしています。このときに、原発地震に対して十分に強いわけではないということを理解したはずです。また、福島におけるリスクも示されていました。けれども、そのリスクに対して、見ないふりをしてしまいました。正確に言えば、これから多少の耐震工事はするつもりだったようなのですが。それも十分なものではなかったのではないかと推測します。非常用発電設備が故障するとは思わなかったでしょうから。

 では、誰がこうした地震を甘く見る意思決定をしたのでしょうか。おそらく、逆です。誰もが、地震のリスクを大きく見るということを主張できなかったのだと思います。
 東京電力という会社に、どれほど経営者のリーダーシップが欠如していたのか、そのことはすっかりメディアの中で示されてしまいました。社長といえども、ただのサラリーマンです。むしろ、誰もが責任をとれないという体制が、この悲劇につながっていったのだと思います。
 核燃料サイクル施設、六ヶ所村再処理工場というのがあるのですが、これが経営的にはメリットが少ない施設だということは、電力業界でも経産省でも内々にはわかっていることでした。しかし、誰も核燃料サイクルを止めることはできませんでした。東電の勝俣会長もまた、不合理だと理解していたと思います。けれども、中止していません。高速増殖炉の「もんじゅ」も同様です。
 同じように、積極的な耐震工事をする、というお金の出ていく判断が、誰もできなかったのだと思います。それは、自分たちの誤りを認めるということだからかもしれません。

 自分たちの誤りでなければ、変更は容易です。Jパワーが青森県大間町に新型転換炉という特殊な原発をつくる計画をしていましたが、コストがかかりすぎるので、別の型式の原発に変更させています。

 誤りを認めない、積極的に責任を背負わない、そうした人間の姿勢が、そのツケを現場の労働者に、あるいは周辺住民に、そしておそらくは電気料金や税金という形で日本中の人に押し付けてしまう。少なくとも、最初の2つについては、どうしても耐えられないほどのことだと思いますし、それを強いる人間の弱さというのは、残酷なものだと考えてしまうのです。

 たぶん、こうした人間の弱さというのは、一般的なものなのでしょう。弱さは、想像力の欠如とも言い換えることができます。
 同じ文脈の発言を、多くの人がさまざまな場面で問題のある発言をしているからです。
 原子力が期待できないから、温暖化対策の二酸化炭素削減目標を修正しようという人がいます。でも、そういう人たちは、温暖化によって暴風雨や洪水、あるいは砂漠化や海面上昇で大きな被害を受けるかもしれない未来のことを想像できないのかもしれません。
 ひょっとしたら、この期に及んでなお、もっと安全な原子力を開発すべきだと考えている人は、ましなのかもしれません(皮肉です)。脱原発をすべきだといって、少しずつ原発廃炉にしていくことそのものが、今日にでも大地震が来るかもしれないという可能性に向き合っていない気がします。それでも、多くの人を納得させるためには、そのようにしか言えないとも思うのですが。
 そのことは、省エネは我慢じゃないということと同じくらい、偽善的な感じもします。同じように、快適な省エネと言わないと、進む気がしないのですけれども。

 地震のあと、ずっと、石牟礼道子の「苦海浄土」(河出書房新社)を読んでいました。人は水俣病からどれほど進歩したのだろうか、と。
 あるいは、J・G・バラードの「千年紀の民」(東京創元社)のことを考えていました。こんな状況下でなお、耐え忍んで生きる人々こそ、バラードの言う千年紀の人々なんじゃないか、と思いながら。

 これからどうなるのか、という質問があるかもしれないので、ぼくの予想を書いておきます。
 福島第一原発には、水冷式の石棺ができるのだと思います。これから1年くらいかけて建設するのでしょうか。そうして、時間がたつのを待つのだと思います。東芝は10年くらいで廃炉にするプランを出していますが、優先されるべきは、時間ではなく安全です。
 当面、原発の新設は無理だと思います。ほとんど完成している島根3号が例外でしょうか。中国電力は、電力会社の中でも、とりわけまともな経営ができない会社だと思っているので、しぶしぶですが、お金をかけて県が納得するような耐震工事をするのだと思います。
 福島に石棺がある状況で、原発をつくろうという気になる人はいないでしょう。何年かしてほとぼりがさめたら、ということはないと思います。
 福島第一の3号機で再処理した燃料を使っていたことから、毒性の強い再処理燃料を当分は使えないと思います。そのため、再処理工場も撤退するかもしれません。
 中部電力浜岡原発はどうなのでしょうか。これ以上の耐震工事をしていったら、原子力は割高になりすぎるし、見切りをつけるかもしれません。
 西日本でも、古い原発は順次廃炉になっていくでしょう。

 西日本でも、ゆっくりと、電気をたくさんは使えない社会になっていくのだと思います。そのとき、それでも昔のように電気を使う社会に戻していくのか、電気を使わない社会システム、技術、文化を構築していくのか、分かれるところです。ぼくは、後者でいいと思います。スローな社会は、電気もあまり使わないのではないかと思っています。
 仕事をさぼって、デーゲームを見に行くような社会で、いいのではないでしょうか。

 最近、「日常」を見るのが楽しみになっています。
 そうそう、実は「まりあほりっくあらいぶ」も見ています。