未読の人は注意
ということで、読み終わりました。
感想を言うと、長年、村上が感じてきたことが、小説として結晶させようとしたけれども、うまく結晶させることができなかった、というものです。
結晶には、不純物が入り込みます。それが結晶の格子の中に入ることで、さまざまな色になります。ルビーやサファイア、エメラルドのように。けれども、結晶の格子にずれが生じると、そのずれを持ったまま結晶が成長し、傷となってしまいます。
村上は、この小説のきっかけはオウム真理教にあったと話しています。
ということで、一瞬だけ、話題を変えて、昨日は「世界に誇る 品格の名酒」発行記念パーティーに参加しました。会費は1万円もするのですが、取材ということで参加したので、無料。もっとも、そうでもなければ、参加しないですけど。
けっこうお酒がたくさん余っていたので、10本ほどいただいて帰りました。どれも瓶に半分ほどですが、いちおう、品格の名酒ではあります。
ということで、その原稿も書かなきゃいけないんですけどね。
お酒はもちろん、どれもおいしかったです。
そのあと、やっぱり、金町のマクドで仕事をしていました。
で、話は村上に戻る。
70年代から80年代にかけての文化的な背景、それを書こうとしたときに、ほんとうにいろいろな要素がこの中に入っている。連合赤軍もヤマギシ会も、もちろんオウムも。さらに言えば、90年代になるけれど、東電OL殺人事件まで。あるいは、綿矢りさのイメージまで入っているのかもしれない、とも思う。まあ、オウムの事件は90年代なんだけど。
でも、本当にそういうものが、小説の中できちんとはまっているのかどうか。強引すぎるものはないのかどうか。とにかくそういうものなんだ、というような。
たぶん、村上に求める水準が高いから、そう感じてしまうのかもしれない。それに、結晶してしまうと、素材そのものの感触が失われてしまうということもある。
その上で、これはあの時代の内面史たりうるのかどうか。そこに、30歳目前の男女の冒険という話で良かったのかどうか。
ひょっとしたら、素材はいろいろあったけれど、村上は同じものを新しい素材でつくっただけなのかもしれない、とすら思わないでもないし。
そして、そういう不満もあるかもしれない、とも推測している。
「BOOK3」については、これから考えるということだ。何か書き足りないと感じれば、そうするだろう。
それを、読者に放り投げてしまうということもできるし。
それでも、時代というのは何だったのか、読者は考えざるを得ないし、オウムを感情的に悪だと思っていた人にとっては、その悪が自分の側にもあることを考えるきっかけになるかもしれない、とも思う。
60年代から70年代にかけての社会主義運動が、さまざまな形で現在に埋め込まれている。それはしばしば、現在の市場に適合すらしている。
あるいは、「さきがけ」の姿は、イスラエルのキブツを思わせる。かつて、社会主義者はこれを理想だと主張していた。けれども、その反対側にパレスチナ難民がいるということは、今では誰でも知っている。その村上がイスラエルから文学賞を受け、拒否せずに現地でスピーチを行なったことも、無縁ではないかもしれない。
そうした時間の延長上に今がある、その再確認というのは、大きな意味があると思うし、それはそれで村上の到達点だとも思うのです。
でも、それは「アンダーグラウンド」からどこまで進めたのか、ということになってしまうのです。
ということで、写真は近所のネコです。撮影者はうちの娘です。