三沢光晴の死

tenshinokuma2009-06-16

 プロレスというものが、少なくともぼくの中では完全に終わってしまった、と思う。
 確かに、もう長いことプロレスを見ていなかった。
 馬場も鶴田もいなくなって、ブロディもいなくなってしまったし。
 プロレスは八百長なんかではなく、鍛えられた肉体と徹底してつくりこまれたドラマの中に、一歩間違えば、地獄に落ちてしまうようなあやうさの中に成立していたものだと思う。
 流血もいとわず、凶器の使用もOK、レフェリーですら悪役になれる。プロレスにとっての本当の勝負というのは、いかにしてスターダムにのしあがっていくいかだし、そのことそのものは八百長ではなかった。だからこそ、人をひきつけることができたのだと思う。
 けれども、そのことが成立しなくなってしまった。やぶれたルールの先かたは、過激になる一方のプロレスが登場し、それはやがてすたれていく。格闘技という形の別のスポーツが成立してしまえば、プロレスは相対的にチープなものになってしまう。何より、スターが不在となり、あるいは見捨てていく。
 国民的な娯楽ではなくなっていく中で、かつてタイガーマスクだったレスラーは、社長となり、団体をリードしながら、リングにあがっていった。そこには、何かドラマとしてのズレを感じてしまう。ジャイアント馬場のように多くのレスラーが老いを何らかの形で克服しようとする中、三沢は克服できなかったのではないか、とも思う。46歳のレスラーにとっては、30代のようにできないことは多い。

 ミッキー・ローク主演の「レスラー」の評判がいい。だいたい、事実はあのとおりだと、ハルク・ホーガンはインタビューで応えている。
 それは、三沢の死と重なることで、「プロレスというものが、昔あって、こういうものだったんだ」という文脈でしか語れないものになってしまったのではないか。そんな気がする。

 子どものころ、プロレスを見て育った人間として、そう思う。

 ということで、写真は、釣ったけどリリースしたフグです。
 トラフグだったらよかったんだけどな。