こちら葛飾区水元公園前通信620

 明日は投票日である。
 でもなあ、どうも報道によると、自民党過半数ってか。暴走する小泉は支持されているというわけなのだろうか。
 憂鬱である。正直、明日の開票速報は、見たくないですね、こんな状態なら。

 民主党政権になって、それでいいかっていうと、そういうわけでもないのだけれども、それにしても、小泉政権は誰にとっても、あまり利益がなさそうで、その意味において、保守系メディアですら、批判しているというのに。
 もっとも、保守系といっても、旧橋本派的なものなのかもしれない。ドメスティックな業界に支持されているという。

 実は、昨日は日帰りで札幌に行ってきた。医療関係の学会の取材なのだけれども、そこで繰り返されていたのは、医療制度改革のこと。竹中グループはとにかく医療に経済効率を求めようとするけれど、それでは採算の合わない地方の医療はどうするの?っていう話。
 医療サービスもまた、ユニバーサルサービスが求められているのだとすれば、赤字の病院だからといって切り捨てるわけにはいかないだろうっていうことだ。それでなくても、町村合併で医療施設(自治体が経営したり、国民保健が直営したりしているものなど)の統合も視野に入ってきているのに、という。
 人件費が高いのではないか?という議論もあるのだけれど、だとすれば、地方の病院に医者は不足していないはずだ。でも、現実はそうではない。

 この議論、郵政民営化と同じ議論であり、実は国鉄民営化とも同じ議論だ。
 国鉄がJRになったことで、サービスが向上したという意見がある。これはある面、正しいと思う。同時に、不採算部門がどんどん切り捨てられていったことも事実だ。北海道の鉄道網はばらばらになっている。
 道路公団民営化の議論と国鉄が同じだとすれば、それは国鉄清算事業団が少しも借金を清算できていないこと。これも、いろいろあるのだけれども、結果としてそうなっている。
 とはいえ、電電公社が民営化されたように、郵便部門は民営化されてもいいと思っている。配達サービスに対し、ユニバーサルサービスを義務付け、料金はスタンプ方式、すなわち全国一律とすることを義務付けるというもの。現在のコンビニエンスストアのネットワークを使えば、問題はないと思う。このことをとって、NTTと同じだというわけだ。
 むしろ、金融・簡易保険のユニバーサルサービスの存続(これはコンビニじゃ全部カバーしきれないでしょ?無理でしょ?)と、集めた貯金の使い道の適正化。現在の公社の枠組みで、民間に資金が流れるようにできるはずだし、そうしてもらわないと困る。肝心の部分が解決されなかったのが、道路公団民営化の議論だし、だからこそ、そこにみんな不安を持っているはず。

 でも何より、外交の問題が、当面は大きい。イラク自衛隊を撤収させ、日中・日米外交を再定義しないと。
 そして、暴走を続けたら、医療制度も年金制度もどうなることやら。貧乏人はますます貧乏になるんじゃないかっていうのは、たぶんそうなんだろう。

 とはいえ、小泉が失脚しても、そうすぐには、憲法改正教育基本法の改正っていう流れは止まらないとも思うのだけれども。

 大塚英二の「憲法力」(角川ONEテーマ新書)を読みながら、この国の人は憲法を生きてこなかったというのは、その通りだよなあって、あらためて思うので
あった。
 少年法は改正されてしまったけれど、そもそも旧少年法の背景には、憲法があったはずだ。少年は教育を受ける権利があったし、その権利が十分にまっとうされていないから、刑罰以前にそれを優先させようということではなかったか。
 あるいは、少年は保護されるべきものだけれども、凶悪な犯罪を犯してしまうリスクからも保護されるべき存在であり、このことがまっとうされていないとすれば、その点こそが問題なのではなかったか。
 憲法っていうと、9条ばかりのようだし、大塚の本でもそこがメインなのだけれども、そのこと以上に、ぼくはこうした人権っていう発想が根付かなかったことに危機を覚えている。日本という国の外にいる人(外国にいるという地理的なことだけではなく、国籍なども含めて)の権利を思いやることができないから、9条を変えるという発想を持つことができるのではないか、そんなふうに思う。
 でも、そのことは圧倒的に共有されていない。

 そんなわけで、札幌日帰り出張で読んでいたのは、稲葉振一郎の「「資本」論」(ちくま新書)なのだけれど、第一部のホッブズやロックやヒュームの議論はけっ
こうついていけなかった。でも、面白い議論なんかもあるので、機会を改めて書ければいいな。

 今回の出張はあまり時間がなかったのだけれど、北海道立三岸好太郎美術館に寄った。三岸節子の夫というべきか。昭和初期に活躍した画家なのだけれど、31歳で死んでいる。でもね、けっこう絵は下手です。いや、うまいのかもしれないけれど、ぼくにはデッサンがおかしいとしか思えなかった。特に初期。かなりフラットな油絵で、いいのかよ、これでっていう。それでもまあ、だんだん技術を修得してスタイルを確立していくものなのだろうけれど、彼の場合は、自分のスタイルの中に技術を呼び込んでいったという。
 晩年、いきなりスタイルを変えて、立体派や抽象派のような絵を描いてみせるが、再び自分のスタイルを確立するのはなかなかむずかしかった。その中で、貝殻と蝶という題材を得て、無機物と昆虫のエロティシズムを追求しようとしたのだけれど、そこで死んでしまうというわけである。
 それにしても、絵を描くのが速いというところを見られて「売るのに時間がかかるから、描くのは速くていいんだ」っていうエピソードは、事実かどうかはともかくとして、ちょっと笑えた。

 しかし、今週は忙しい一週間であった。いろんな原稿を書いたな。