岩山、猿岩

 3月31日のトレッキングは、栃木県鹿沼市の岩山でした。
 以前、鹿沼市出身の友人Wが地元の二股山のことを話していて、それはそれで上ったのですが、帰りにバスの車窓から見えたのが、岩肌が見えるこの山でした。とても気になりました。
 調べてみると、岩山という名前の山で、あまりにもまんまだなあと。そして、この山のハイライトは、最大斜度80度、70メートルにおよぶ鎖場のある猿岩だとのこと。それは興味があるというものです。昨年末、友人Wにきくと、まあ、一度だけ行った、とか。
 ということで、この猿岩下りはやってみたい、ということで、遠く栃木県まで行くのでした。
 鎖場を下るということで、トレッキングシューズも新しくしました。そして先週は足慣らしで歩いてきました。一週間後に、猿岩です。
 東武日光線新鹿沼駅までは連絡が悪かったせいもあって、ほぼ4時間かかりました。遠いですね。南栗橋駅でけっこう待ちました。いや、スペーシアを使えばいいじゃん、というのもあるのですが、各駅停車が好きなんです。というか、本が読めるので、それでいいんです。行きだけで安倍公房の「飛ぶ男」を読み終えました。それに、ちょっと眠ったし。
 新鹿沼駅からバスがあるのですが、待ち時間は30分、それなら歩きます。そのくらいの距離。まずは日吉神社
 そこから登山開始。最初だけは心地よい山道です。でも、すぐに、凝灰岩の岩壁。ロッククライミングのトレーニングをしているおじさんに遭遇。まあ、そんな感じで、岩を這い上ります。ここからヘルメットを装着しました。
 ここから三番岩、二番岩、一番岩へと向かうわけですが、なんだか岩の間のアップダウンということで、これはもう山道というものではないです。アスレチックです。でもまあ、上る必要はないのに、三番岩も二番岩も登ってみました。ほんと、這い上る感じです。三点支持を守って、楽しいロッククライミングです。いや、降りる方が怖いです。
 そして一番岩が、岩山の山頂、栃木百名山です。標高278メートル、これだけだと立派なゆる山です。市民のハイキングコースです。山頂は狭いけれど、お昼ご飯を食べるくらいのスペースはあります。すでに夫婦らしき人たちが、ヘルメットを置いて、カップラーメンを食べていました。ほのぼのします。
 ぼくも昼食を食べ、先に進みます。この先、猿岩は危険なので、自己責任で、とのこと。迂回路の標識もあります。でも、今回の目的は、猿岩を下ることです。躊躇はしません。下り始めたら引き返せない猿岩です。鎖の下は見えません。
 滑り止めのついた手袋をはめて、下り始めます。最初は60度くらいの斜度でしょうか。足をかけるところもあり、最初の鎖はどうにかクリア。2つめは斜めに登りになっていて、3つめの鎖につながっています。ここは気合で少し登り、3つめの鎖をさがっていきます。
 だんだん斜度がきつくなってきます。岩の面に対し、足をおしつけて、身体を90度ぐらいにして降りていきます。3本目の鎖のあと、足が置ける場所があるのでちょっと休息。4本目と5本目の鎖は2本平行になっています。どちらで降りるかは自由です。
 6本目、もはや斜度は80度くらい、垂直に近いです。足をかける場所もありません。足がすべります。鎖につかまったまま、滑り落ちました。そして最後、7本目の鎖も同様です。最初こそ、足をかけるところを見つけて降りたのですが、途中から滑りました。苔とか、すべります。そうして鎖場をクリア。
 大きな怪我こそなかったですが、肘をすりむきました。左手の人差し指は捻挫して、今でも少し腫れています。
 ということで、猿岩を下るというのは、一般の人はやってはいけないものだと思いました。秩父の四阿屋山のつつじ新道、8メートルの垂直の鎖場も楽勝、くらいの人ではないと。
 ヘルメットは必須、滑り止めのついた手袋もあったほうがいい、くらいです。手袋については、意見が分かれると思いますが、手を怪我するのはさけたいので、ぼくは手袋があった方がいいと思います。
 ぼくは使わなかったのですが、ハーネスもあったほうがいいかも、くらいです。
 とはいうものの、躊躇なく下ったのには理由があります。子どものころ、さんざん登り棒とかで遊んだ記憶があったからです。最悪でも、鎖をしっかり握っていれば、何とかなる、と思ったからです。まあ、何とかなりました。
 しかしまあ、これを登る人もいるんですよね。
 金曜日に雨が降ったので、土曜日ではなく日曜日にしたのですが、それでも猿岩は北側の斜面なので、下の方は少し湿っていました。乾きにくいので、雨の降った翌々日でもどうかな、と思いました。
 そんなわけで、猿岩を下った後は、穏やかな森の中を歩きます。左側がゴルフ場で、あまり風情がないんですけどね。
 車道には3時前に出ました。結局、山にいたのは3時間もないわけです。
 そこからまあ、駅まで歩くわけです。
 新鹿沼駅から各駅停車で東武金崎駅まで行き、徒歩10分のスーパー銭湯に立ち寄りました。
 しかし、遠かった。帰り着いたのは夜の9時くらい。帰りの電車では、高山羽根子の「ドライブイン 真夜中」を読み終えました。

 

栃木天然温泉いきいき夢ロマン

3月31日、昨日のスーパー銭湯は、栃木天然温泉いきいき夢ロマンでした。なんかちょっと恥ずかしい名称ですね。でも、なかなか気持ちのいい露天風呂とナトリウム泉でした。
 この日は、鹿沼市にある岩山に登ってきました。岩山って、そういう名前の山です。標高278m、栃木百名山の1つです。
 どうして上ったかというと、ここにある距離にして70m、最大斜度が80度という猿岩の鎖場を下るというのが目的だったのですが。えーと、この鎖場はおすすめしません。ちょっと鎖を握っていた手がまだ痛いです。
 ということで、岩山は本当に岩山で、ロッククライミングをしながら登る市民のハイキングコースでした。
 東武日光線新鹿沼駅から東武金崎駅まで行き、そこから徒歩10分のところに、夢ロマンがあります。スペックは普通のスーパー銭湯なのですが、なんか畑の真ん中にあるので、のんびりした感じがしてなかなかいいです。
 泉質は炭酸水素イオン泉ということですが、ナトリウムもふくまれていてちょっとしょっぱいし、薄い黄褐色です。猿岩でこすった傷にしみます。
内湯には天然温泉の他にシルクの湯など。露天も天然温泉と高濃度炭酸泉。空がよく見えます。天気が良かったですからね。
 なぜか、天然温泉よりも高濃度炭酸泉の方に人が集まっているので、温泉にゆっくりとつかれました。
 今回は、山を歩いた時間こそ3時間に満たないのですが、手足を使って岩をよじのぼり、鎖を伝って岩を下ってきたので、全身が疲れています。そんな疲れをいやしたのでした。
 電車はほぼ1時間に1本なので、そこは注意しないと、です。

子宝湯(もうすぐ閉店)

 今日の銭湯は、町屋の子宝湯でした。大手町で打ち合わせをしたあと、せっかくなので千代田線でここまで。3月末で閉店してしまうって、このグループで報告があったので。
 前回行ったのは2021年11月。2年半ぶりくらいかな。
 お店に入ろうとしたら、玄関の扉に「手動」の張り紙。番台のおかみさんによると、「今日、壊れちゃったのよ。もうお店を閉めるから、わかっていたのかな。でも軽いから開けやすいでしょ」とのこと。ちょっとじーんときます。
 ということで、さっそく入浴。背景はペンキ画なのだけれど、サインがないので誰の作品が不明。早川絵師ではないか、と思うのだけれど。サインがないのは、下3分の1がブリキになっているから。富士山の絵ではないのだけれど、場所もわからない。
 でも、ちょっと熱めのお湯につかって、まったりと見上げていました。バイブラの方が、ちょっとだけぬるめかな。いや、それでも熱いですけど。
 帰り際、タオルなどを売っているガラスケースをのぞくと、銭湯の日のタオルが何枚かありました。売っているんだったら、もらい損ねた年のみたいな感じなので、買おうとしたら、「それ、持ってっていいわよ。でも1枚だけね」と女将さんがおっしゃってくれました。もちろん1枚だけ、ありがたくいただきました。
 とまあそんなわけで、店を出ると、小雨。でもまあ、このくらいなら濡れて帰ろうと思うのでした。
 町屋の銭湯は、カネカ湯も竹の湯も野崎浴場も新松の湯も千代の湯もなくなっちゃったな。こういってはなんだけど、一番時代を感じさせてくれたのが子宝湯だったから、最後まで残っていたのは少し意外。ほんとうにおつかれさまでした。手動の子宝湯も、あと少しです。残るはタイムリゾートでしょうか。

大山桜、エボシ山、雷峠

 昨日、3月23日には、丹沢の大山の近くにあるエボシ山に行ってきました。
 実はトレッキングシューズ(登山靴などといえるものではなく、軽登山靴くらいなので)を新しく買ったので、靴慣らしというのかな、そのつもりで軽く歩けるところとして、行ってきたわけです。
 なんせ、前のトレッキングシューズは、気付くと裏側がつるつるになっていて、さすがにこれはちょっとなあ、ということになっていたので。まあ、7年間も履いたからね。けっこう丈夫だったなあと、しみじみと思うのでした。
 ということで、小田急伊勢原駅から大山ケーブル行きのバスに乗り、大山小学校で下車したのは午後1時過ぎ。小雨の降る中、ここからスタートです。
 このあたりには、大山桜というのがあって、ちょっとした名所になっています。でももちろんまだ咲いていません。立派な桜が3本もあって、そこまでの登山道はわりと整備されています。でも、見頃だったのは桜ではなく三椏なのでした。和紙の原料にもなる木ですね。これでお札もつくれるので、持って帰ればお金持ちになれます。
 大山桜の立派な木を見たあとは、尾根道を北に向かってあるくわけですが、これが木の根が張り出していて歩きにくい、というだけならまだしも、まともに道になっていないので、ちょっとした斜面では落ち葉や砂ですべるし、尾根といってもちょっと広くなるとルートファインディングが難しいという感じです。なんかもう、道がないところを直登したりとか、そんな感じで歩いていました。でもまあ、そういう場所だからこそ、靴の性格もわかってくるというものです。
 ガイドブックでは人の踏み跡があるので、それをたどればいいってあるんだけど、そんなものはないです。というマイナーな山ですが、エボシ山山頂にはかわいい絵のついた標識があって、ほっとします。
 ここから先もこんな感じで、関東ふれあいの道に合流する日向越(雷峠)までワイルドな道が続きます。
 関東ふれあいの道に合流して勝五郎地蔵に挨拶してから、大山の見晴台までは軽い登りが続き、そこから大山阿夫利神社の下社まではゆっくりとした下り、気持ちよく歩けます。とはいえ、実は大山は丹沢の山のうちもっとも事故が多いとか。そりゃまあ、登る人が多いからだけれど、下社までの道は滑落しないようにワイヤーがずっと張ってあります。
 それにしても、天気もあるし、マイナーなバリエーションルートということもあって、下社につくまで誰にも会わなかったな。
 小雨だったし、午後4時近かったので、下りはケーブルカー。お客がほとんどいないので、一番前の席に座らせていただきました。
 こま参道を下る途中、茶湯寺というお寺があったので、せっかくなのでお参り。「ちゃゆてら」って読みたくなるけど、「さとうじ」とよむそうです。
 新しいトレッキングシューズは、ワイルドなコースでもそれなりにグリップがきくことはわかりました。前半がわりとタイトな一方で、ヒールがゆるめになっていて、脱ぎやすい感じです。上りよりも下りに適しているのかな。靴紐は最初からしっかり締めた方がいい感じでした。前の靴は、上りはじゃっかんゆるめでも、下りはしっかり締めるという感じではいていたのですが、そのあたりも違うなあ、とか思うのでした。
 最後の写真は、近所のスーパーで買ったとうふ。これを肴に飲むのでした。

 

おふろの王様 高座渋谷店

 昨日、3月23日のスーパー銭湯高座渋谷のお風呂の王様でした。
 この日は、新しく買ったトレッキングシューズの足慣らしをしようと思い、大山の手前にあるエボシ山を軽く登ってきました。まあ、山の方は、ルートファインディングができなくなりそうなマイナーな山でしたが、小雨の中、3時間くらい歩きました。
 汗をかいたというかすっかり冷えた身体を温めようと思い、かつ行ったことのないお風呂ということで、相模大野から小田急江ノ島線に乗り換えてここまで。
 実は最初は、秦野天然温泉さざんかに行こうと思っていたのですが、1年前に閉館しているじゃないですか。ということで、ここまで来ました。
ビルの5階に受付、7階がお風呂という構造なのですが、ここのいいのは天空の露天風呂というところ。ビルの屋上なわけですが、露天風呂の種類は多いし、都市部で広い空が見えるっていうのはいいですよね。この日は月が良く見えました。お風呂で月見というのもいいものです。
お湯の温度は、露天はやや低め、くらいですが、じっくり温まります。内湯も寝っ転がれるバイブラとかも快感ですし、普通にも適温のお湯です。
残念だったのは、一部のカランでお湯の温度が調整できなかったこと。これはちょっとつらかった。
でも、汗を流し、冷えた身体を温めて、1階のスーパーで買い物までして、帰路についたのでした。

杉並湯(ふたたび)

 3月20日春分の日の銭湯は、杉並湯でした。
 前回行ったのは2016年だったので、8年ぶりですね。
 この日は、東高円寺にある劇場で芝居を観る予定だったので、その前の入浴。
 こじんまりした銭湯でしたが、適温のお湯が凸型の浴槽にたっぷり。小ぶりだけれど、中島絵師の富士山も堪能しました。やや熱めのバイブラもからだがほぐれます。
 駅としては、丸ノ内線新高円寺駅から近いのです。湯上りに一駅分歩いても大丈夫です。ちょっと雨が降ったけど。
 ところでこの写真、広角レンズをスマホにつけて撮影しました。杉並湯の向かいには壁があって、全体を撮影するのが難しいのですが、100均で買ったルーペのセットがあったので、ここで使ってみました。どんなもんでしょう。

こちらつつじヶ丘野川どんぶらこ通信956

 こんにちは。

 春分の日ですね。風が強くて寒いですけど。でも、来週には桜が咲くとか。

 

 というわけで、予告通り、ためぐそ山に登ってきました。武蔵五日市駅から北東に歩いていきます。マイナーな山すぎて、登山口が見つからないのですが、それでもどうにかたどりつきました。何もない見晴らしの悪い里山でしたが、ちゃんとためぐそ山って書いてありました。その下、谷間には金玉水。なんかいいですね。

 ここから幸神尾根を登り、金毘羅尾根から下山。幸神尾根は整備はされていないけどなだらかなアップダウンの道、金毘羅尾根はけっこう整備されていて歩きやすい道でした。

 植林の針葉樹と常緑広葉樹でちょっと面白みには欠けるコースではありますが、そこそこ長いコースが歩けたので満足です。

 

 次回は鹿沼市の岩山を考えています。

 

 このところ、ツイッターのタイムラインはパレスチナのことで埋まっています。

 そうでなくとも、毎朝NHK-BSのワールドニュースを見るのですが、とりわけアルジャジーラのニュースを見ていると、心が押しつぶされます。ドイツのZDFは逆の意味で怒りを感じますが。

 イスラエルのしていることは、もはや頭が狂っているとしか思えないですね。でも、その狂気を育ててしまったのが欧米であり、なおかつその責任をとろうとしていないことには、怒りをおぼえます。

 そんなこんなで、岡真理の「ガザとは何か」(大和書房)やサラ・ロイの「ホロコーストからガザへ」(青土社)なんかを読んでいます。

 岡についてはこれまでもアラブ文学からパレスチナ問題へ続く本を読んできましたが、「ガザとは何か」は昨年暮れの2つの講演を収めた本で、昨年10月7日のレジスタンスから現在までの背景・構造を語っています。

 「ホロコーストからガザへ」は、もう15年前の本なのですが、当時もまたハマスレジスタンスをきっかけにイスラエルが残虐な軍事行動に出たこと、そしてとりわけドイツがそれを批判できていないこと、などが語られており、現在の構図がそのままあてはまります。また、オスロ合意に関する評価には、考えさせられました。表向きは和平の合意だけれども、裏側ではイスラエルパレスチナ支配が進むようにつくられたしくみであること、パレスチナへの先進国の支援はイスラエルが支配することを支えていること、など。当時から南アフリカイスラエルアパルトヘイト国家だと非難していました。

 どちらの本も、読むことをおすすめしておきます。

 

 この件に関しては、10月7日直後のジュディス・バトラーの発言にはちょっとがっかりしたこともあります。「無資格に、ハマスの暴力を非難する」と、最初に言ったからです。

 ユダヤ人であり、かつシオニズムには批判的なバトラー(そのことは、「分かれ道」で書いています)ですから、現在のイスラエルがどのようにできたのか、パレスチナをどのように侵略していったのか、知らないわけではありません。それでも、「非暴力の力」の著者は最初にそう言わざるを得なかったのでしょうか。それとも、最初にそれを言わなければ、米国のアカデミズムから排除されると思ったのでしょうか。

 バトラーは基本的に、イスラエルを批判する立場です。だから、昨年末にフランスでの講演がキャンセルされたことにも、文句を言っています。フランスでは、イスラエル批判は反ユダヤの極右とつながってしまうので、キャンセルされたけど、でもそもそもシオニズム批判と反ユダヤ主義をつなげることの方がまちがっているんじゃないか。

 また、米国でもパレスチナを支持すると、ハーバード大学の学長みたいに辞任に追い込まれているというのは、どうかしている、と。

 後にバトラーは、ハマスに対する見方を変えています。ハマスの行為「テロではなくレジスタンスである」と、はっきり語っています。イスラエルが行っているのは、戦争ではなくジェノサイドである、と。

 少なくとも、1948年からの時間軸で見れば、今起きていることが戦争ではないことはわかると思います。

 

 結局のところ、欧州にあった反ユダヤ主義という負債を、当時英国とフランスが統治していたパレスチナに押し付けたこと、そしてその後に起きた問題について、欧米はずっと無視してきたことが、イスラエルという狂気を育ててきてしまったのだと思います。日本はパレスチナ支援という名目でこの状況の維持を支えてきました。

 多くの人がパレスチナ問題に関心を持たなかったことでは、すべての国に責任はあるけれども、とりわけ欧米には大きな責任があると思います。「共通だが差異ある責任」ですね。だからこそ、この問題の解決にあたって、本当は欧米が強くコミットしなければならないのですが、腰が引けています。

 しかし、パレスチナ問題を解決しないということは、持続可能なものではありません。紛争は拡大します。イスラエルは中東諸国にかこまれてハリネズミのように過ごすことになります。

 若い世代ほど、パレスチナ問題への負の影響が大きいし、イスラエルを通じて利益を得ているのは年寄りばかりだということでは、世代間でも違っているということです。したがって、米国でも欧州でも若い世代ほどパレスチナを支持しています。

 また、15年前と比べても、グローバルサウスの発言力が高まっているし、SNSでの発信も増えています。

 若い世代がパレスチナ問題に対する正義を求めているというのは、気候変動問題における気候正義と、相似形だと思いました。先進国が言い訳をして問題に適切にコミットできていないことも含めて。あるいは無力な国連も含めて。

 

 ただし、イスラエルによるパレスチナ侵攻には、もうひとつの側面があります。それは、ネタニヤフの政権維持という目的です。ネタニヤフは訴訟を受けています。これを回避するために、最高裁の権限を抑制し、議会が優越するという司法改革を進めてきました。

 こんな民主主義を破壊するような政権の支持率が高いわけではなく、ネタニヤフは極右政党と連立することで形を保ってきましたが、それも限界です。

 支持率が低下した政権は、仮想敵をつくり、さらに戦争を行う。これは、米国の息子の方のブッシュをはじめ、プーチンも行ってきたことだし、仮想敵をつくるだけなら安倍晋三も行ってきました。

 そうしたとき、イスラエルの狂気がエスカレートするほど、ネタニヤフの首がとばないと収まらない(比喩的にですよ)ようになってくると思います。米国民主党上院議員のトップがそうした発言をしているのも、その通りだと思います。

 問題解決にあたっては、すでにネタニヤフを戦争犯罪人として裁くことが必要になっているとも思っています。

 今のまま、仮に停戦で合意したとしても、さらにパレスチナ国家が樹立されたとしても、その先、責任をとるべき欧米が適切にパレスチナの支援をしていかないと、問題は解決しないし、イスラエルの狂気は解消できないと思います。

 イスラエルの正常化とアパルトヘイト政策の解消、パレスチナ国家が国家として運営できるだけのキャパシティビルディングに対する支援、そういったことが必要になると思います。

 

 昨年末から、映画もちょっと観ています。

 石井裕也監督の「月」は、原作が辺見庸の小説。相模原障害者施設での大量殺人事件がテーマです。宮沢りえはちょっと重い演技だったけど、二階堂ふみや磯村優斗などがいい感じで頑張っていたし、オダギリジョーもいい味出してました。というか、宮沢とオダギリの夫婦訳って、「湯を沸かすほどの熱い愛」と同じですね。

 

 ヴィム・ベンダース監督の「Perfect Days」も観ました。しみじみと良かったとは思いましたけど、役所広司の老後が気になりますよね。でも、今の暮らしはどことなく、近いものがあるような気もしています。

 ついでに、帰宅してから録画しておいた小津安二郎の「秋刀魚の味」も観たりして。岩下志麻がかわいい、とか、岸田今日子のエキセントリックさもいいなあ、とか、そういうのもありますが、同時に感情的にも戦争の傷や戦後になりきれていないことがあるんだなあ、ということも感じました。

 

 前々から見たかった「さかなのこ」、沖田修一監督ですね、これも観ることができました。さかなくんの役をのんがやっているのですが、こういうこともできてしまうんだ、と。

 のんがやるっていうのは、けっこう意味があって、男性とか女性とかではなく、さかなのこである、という、そうした自分らしく生きることが前提になっています。さかなくんを理解しようとする母親役の井川遥も良かったな。

 

 他にも、録画しておいたノーラ・エフロン監督の「奥様は魔女」を観たりとか、湯浅弘章監督の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(押見修三が原作なんだな)を観たりとかしていました。

 

 そんなこんなで、仕事がたまる一方です。