子宝湯(もうすぐ閉店)

 今日の銭湯は、町屋の子宝湯でした。大手町で打ち合わせをしたあと、せっかくなので千代田線でここまで。3月末で閉店してしまうって、このグループで報告があったので。
 前回行ったのは2021年11月。2年半ぶりくらいかな。
 お店に入ろうとしたら、玄関の扉に「手動」の張り紙。番台のおかみさんによると、「今日、壊れちゃったのよ。もうお店を閉めるから、わかっていたのかな。でも軽いから開けやすいでしょ」とのこと。ちょっとじーんときます。
 ということで、さっそく入浴。背景はペンキ画なのだけれど、サインがないので誰の作品が不明。早川絵師ではないか、と思うのだけれど。サインがないのは、下3分の1がブリキになっているから。富士山の絵ではないのだけれど、場所もわからない。
 でも、ちょっと熱めのお湯につかって、まったりと見上げていました。バイブラの方が、ちょっとだけぬるめかな。いや、それでも熱いですけど。
 帰り際、タオルなどを売っているガラスケースをのぞくと、銭湯の日のタオルが何枚かありました。売っているんだったら、もらい損ねた年のみたいな感じなので、買おうとしたら、「それ、持ってっていいわよ。でも1枚だけね」と女将さんがおっしゃってくれました。もちろん1枚だけ、ありがたくいただきました。
 とまあそんなわけで、店を出ると、小雨。でもまあ、このくらいなら濡れて帰ろうと思うのでした。
 町屋の銭湯は、カネカ湯も竹の湯も野崎浴場も新松の湯も千代の湯もなくなっちゃったな。こういってはなんだけど、一番時代を感じさせてくれたのが子宝湯だったから、最後まで残っていたのは少し意外。ほんとうにおつかれさまでした。手動の子宝湯も、あと少しです。残るはタイムリゾートでしょうか。

大山桜、エボシ山、雷峠

 昨日、3月23日には、丹沢の大山の近くにあるエボシ山に行ってきました。
 実はトレッキングシューズ(登山靴などといえるものではなく、軽登山靴くらいなので)を新しく買ったので、靴慣らしというのかな、そのつもりで軽く歩けるところとして、行ってきたわけです。
 なんせ、前のトレッキングシューズは、気付くと裏側がつるつるになっていて、さすがにこれはちょっとなあ、ということになっていたので。まあ、7年間も履いたからね。けっこう丈夫だったなあと、しみじみと思うのでした。
 ということで、小田急伊勢原駅から大山ケーブル行きのバスに乗り、大山小学校で下車したのは午後1時過ぎ。小雨の降る中、ここからスタートです。
 このあたりには、大山桜というのがあって、ちょっとした名所になっています。でももちろんまだ咲いていません。立派な桜が3本もあって、そこまでの登山道はわりと整備されています。でも、見頃だったのは桜ではなく三椏なのでした。和紙の原料にもなる木ですね。これでお札もつくれるので、持って帰ればお金持ちになれます。
 大山桜の立派な木を見たあとは、尾根道を北に向かってあるくわけですが、これが木の根が張り出していて歩きにくい、というだけならまだしも、まともに道になっていないので、ちょっとした斜面では落ち葉や砂ですべるし、尾根といってもちょっと広くなるとルートファインディングが難しいという感じです。なんかもう、道がないところを直登したりとか、そんな感じで歩いていました。でもまあ、そういう場所だからこそ、靴の性格もわかってくるというものです。
 ガイドブックでは人の踏み跡があるので、それをたどればいいってあるんだけど、そんなものはないです。というマイナーな山ですが、エボシ山山頂にはかわいい絵のついた標識があって、ほっとします。
 ここから先もこんな感じで、関東ふれあいの道に合流する日向越(雷峠)までワイルドな道が続きます。
 関東ふれあいの道に合流して勝五郎地蔵に挨拶してから、大山の見晴台までは軽い登りが続き、そこから大山阿夫利神社の下社まではゆっくりとした下り、気持ちよく歩けます。とはいえ、実は大山は丹沢の山のうちもっとも事故が多いとか。そりゃまあ、登る人が多いからだけれど、下社までの道は滑落しないようにワイヤーがずっと張ってあります。
 それにしても、天気もあるし、マイナーなバリエーションルートということもあって、下社につくまで誰にも会わなかったな。
 小雨だったし、午後4時近かったので、下りはケーブルカー。お客がほとんどいないので、一番前の席に座らせていただきました。
 こま参道を下る途中、茶湯寺というお寺があったので、せっかくなのでお参り。「ちゃゆてら」って読みたくなるけど、「さとうじ」とよむそうです。
 新しいトレッキングシューズは、ワイルドなコースでもそれなりにグリップがきくことはわかりました。前半がわりとタイトな一方で、ヒールがゆるめになっていて、脱ぎやすい感じです。上りよりも下りに適しているのかな。靴紐は最初からしっかり締めた方がいい感じでした。前の靴は、上りはじゃっかんゆるめでも、下りはしっかり締めるという感じではいていたのですが、そのあたりも違うなあ、とか思うのでした。
 最後の写真は、近所のスーパーで買ったとうふ。これを肴に飲むのでした。

 

おふろの王様 高座渋谷店

 昨日、3月23日のスーパー銭湯高座渋谷のお風呂の王様でした。
 この日は、新しく買ったトレッキングシューズの足慣らしをしようと思い、大山の手前にあるエボシ山を軽く登ってきました。まあ、山の方は、ルートファインディングができなくなりそうなマイナーな山でしたが、小雨の中、3時間くらい歩きました。
 汗をかいたというかすっかり冷えた身体を温めようと思い、かつ行ったことのないお風呂ということで、相模大野から小田急江ノ島線に乗り換えてここまで。
 実は最初は、秦野天然温泉さざんかに行こうと思っていたのですが、1年前に閉館しているじゃないですか。ということで、ここまで来ました。
ビルの5階に受付、7階がお風呂という構造なのですが、ここのいいのは天空の露天風呂というところ。ビルの屋上なわけですが、露天風呂の種類は多いし、都市部で広い空が見えるっていうのはいいですよね。この日は月が良く見えました。お風呂で月見というのもいいものです。
お湯の温度は、露天はやや低め、くらいですが、じっくり温まります。内湯も寝っ転がれるバイブラとかも快感ですし、普通にも適温のお湯です。
残念だったのは、一部のカランでお湯の温度が調整できなかったこと。これはちょっとつらかった。
でも、汗を流し、冷えた身体を温めて、1階のスーパーで買い物までして、帰路についたのでした。

杉並湯(ふたたび)

 3月20日春分の日の銭湯は、杉並湯でした。
 前回行ったのは2016年だったので、8年ぶりですね。
 この日は、東高円寺にある劇場で芝居を観る予定だったので、その前の入浴。
 こじんまりした銭湯でしたが、適温のお湯が凸型の浴槽にたっぷり。小ぶりだけれど、中島絵師の富士山も堪能しました。やや熱めのバイブラもからだがほぐれます。
 駅としては、丸ノ内線新高円寺駅から近いのです。湯上りに一駅分歩いても大丈夫です。ちょっと雨が降ったけど。
 ところでこの写真、広角レンズをスマホにつけて撮影しました。杉並湯の向かいには壁があって、全体を撮影するのが難しいのですが、100均で買ったルーペのセットがあったので、ここで使ってみました。どんなもんでしょう。

こちらつつじヶ丘野川どんぶらこ通信956

 こんにちは。

 春分の日ですね。風が強くて寒いですけど。でも、来週には桜が咲くとか。

 

 というわけで、予告通り、ためぐそ山に登ってきました。武蔵五日市駅から北東に歩いていきます。マイナーな山すぎて、登山口が見つからないのですが、それでもどうにかたどりつきました。何もない見晴らしの悪い里山でしたが、ちゃんとためぐそ山って書いてありました。その下、谷間には金玉水。なんかいいですね。

 ここから幸神尾根を登り、金毘羅尾根から下山。幸神尾根は整備はされていないけどなだらかなアップダウンの道、金毘羅尾根はけっこう整備されていて歩きやすい道でした。

 植林の針葉樹と常緑広葉樹でちょっと面白みには欠けるコースではありますが、そこそこ長いコースが歩けたので満足です。

 

 次回は鹿沼市の岩山を考えています。

 

 このところ、ツイッターのタイムラインはパレスチナのことで埋まっています。

 そうでなくとも、毎朝NHK-BSのワールドニュースを見るのですが、とりわけアルジャジーラのニュースを見ていると、心が押しつぶされます。ドイツのZDFは逆の意味で怒りを感じますが。

 イスラエルのしていることは、もはや頭が狂っているとしか思えないですね。でも、その狂気を育ててしまったのが欧米であり、なおかつその責任をとろうとしていないことには、怒りをおぼえます。

 そんなこんなで、岡真理の「ガザとは何か」(大和書房)やサラ・ロイの「ホロコーストからガザへ」(青土社)なんかを読んでいます。

 岡についてはこれまでもアラブ文学からパレスチナ問題へ続く本を読んできましたが、「ガザとは何か」は昨年暮れの2つの講演を収めた本で、昨年10月7日のレジスタンスから現在までの背景・構造を語っています。

 「ホロコーストからガザへ」は、もう15年前の本なのですが、当時もまたハマスレジスタンスをきっかけにイスラエルが残虐な軍事行動に出たこと、そしてとりわけドイツがそれを批判できていないこと、などが語られており、現在の構図がそのままあてはまります。また、オスロ合意に関する評価には、考えさせられました。表向きは和平の合意だけれども、裏側ではイスラエルパレスチナ支配が進むようにつくられたしくみであること、パレスチナへの先進国の支援はイスラエルが支配することを支えていること、など。当時から南アフリカイスラエルアパルトヘイト国家だと非難していました。

 どちらの本も、読むことをおすすめしておきます。

 

 この件に関しては、10月7日直後のジュディス・バトラーの発言にはちょっとがっかりしたこともあります。「無資格に、ハマスの暴力を非難する」と、最初に言ったからです。

 ユダヤ人であり、かつシオニズムには批判的なバトラー(そのことは、「分かれ道」で書いています)ですから、現在のイスラエルがどのようにできたのか、パレスチナをどのように侵略していったのか、知らないわけではありません。それでも、「非暴力の力」の著者は最初にそう言わざるを得なかったのでしょうか。それとも、最初にそれを言わなければ、米国のアカデミズムから排除されると思ったのでしょうか。

 バトラーは基本的に、イスラエルを批判する立場です。だから、昨年末にフランスでの講演がキャンセルされたことにも、文句を言っています。フランスでは、イスラエル批判は反ユダヤの極右とつながってしまうので、キャンセルされたけど、でもそもそもシオニズム批判と反ユダヤ主義をつなげることの方がまちがっているんじゃないか。

 また、米国でもパレスチナを支持すると、ハーバード大学の学長みたいに辞任に追い込まれているというのは、どうかしている、と。

 後にバトラーは、ハマスに対する見方を変えています。ハマスの行為「テロではなくレジスタンスである」と、はっきり語っています。イスラエルが行っているのは、戦争ではなくジェノサイドである、と。

 少なくとも、1948年からの時間軸で見れば、今起きていることが戦争ではないことはわかると思います。

 

 結局のところ、欧州にあった反ユダヤ主義という負債を、当時英国とフランスが統治していたパレスチナに押し付けたこと、そしてその後に起きた問題について、欧米はずっと無視してきたことが、イスラエルという狂気を育ててきてしまったのだと思います。日本はパレスチナ支援という名目でこの状況の維持を支えてきました。

 多くの人がパレスチナ問題に関心を持たなかったことでは、すべての国に責任はあるけれども、とりわけ欧米には大きな責任があると思います。「共通だが差異ある責任」ですね。だからこそ、この問題の解決にあたって、本当は欧米が強くコミットしなければならないのですが、腰が引けています。

 しかし、パレスチナ問題を解決しないということは、持続可能なものではありません。紛争は拡大します。イスラエルは中東諸国にかこまれてハリネズミのように過ごすことになります。

 若い世代ほど、パレスチナ問題への負の影響が大きいし、イスラエルを通じて利益を得ているのは年寄りばかりだということでは、世代間でも違っているということです。したがって、米国でも欧州でも若い世代ほどパレスチナを支持しています。

 また、15年前と比べても、グローバルサウスの発言力が高まっているし、SNSでの発信も増えています。

 若い世代がパレスチナ問題に対する正義を求めているというのは、気候変動問題における気候正義と、相似形だと思いました。先進国が言い訳をして問題に適切にコミットできていないことも含めて。あるいは無力な国連も含めて。

 

 ただし、イスラエルによるパレスチナ侵攻には、もうひとつの側面があります。それは、ネタニヤフの政権維持という目的です。ネタニヤフは訴訟を受けています。これを回避するために、最高裁の権限を抑制し、議会が優越するという司法改革を進めてきました。

 こんな民主主義を破壊するような政権の支持率が高いわけではなく、ネタニヤフは極右政党と連立することで形を保ってきましたが、それも限界です。

 支持率が低下した政権は、仮想敵をつくり、さらに戦争を行う。これは、米国の息子の方のブッシュをはじめ、プーチンも行ってきたことだし、仮想敵をつくるだけなら安倍晋三も行ってきました。

 そうしたとき、イスラエルの狂気がエスカレートするほど、ネタニヤフの首がとばないと収まらない(比喩的にですよ)ようになってくると思います。米国民主党上院議員のトップがそうした発言をしているのも、その通りだと思います。

 問題解決にあたっては、すでにネタニヤフを戦争犯罪人として裁くことが必要になっているとも思っています。

 今のまま、仮に停戦で合意したとしても、さらにパレスチナ国家が樹立されたとしても、その先、責任をとるべき欧米が適切にパレスチナの支援をしていかないと、問題は解決しないし、イスラエルの狂気は解消できないと思います。

 イスラエルの正常化とアパルトヘイト政策の解消、パレスチナ国家が国家として運営できるだけのキャパシティビルディングに対する支援、そういったことが必要になると思います。

 

 昨年末から、映画もちょっと観ています。

 石井裕也監督の「月」は、原作が辺見庸の小説。相模原障害者施設での大量殺人事件がテーマです。宮沢りえはちょっと重い演技だったけど、二階堂ふみや磯村優斗などがいい感じで頑張っていたし、オダギリジョーもいい味出してました。というか、宮沢とオダギリの夫婦訳って、「湯を沸かすほどの熱い愛」と同じですね。

 

 ヴィム・ベンダース監督の「Perfect Days」も観ました。しみじみと良かったとは思いましたけど、役所広司の老後が気になりますよね。でも、今の暮らしはどことなく、近いものがあるような気もしています。

 ついでに、帰宅してから録画しておいた小津安二郎の「秋刀魚の味」も観たりして。岩下志麻がかわいい、とか、岸田今日子のエキセントリックさもいいなあ、とか、そういうのもありますが、同時に感情的にも戦争の傷や戦後になりきれていないことがあるんだなあ、ということも感じました。

 

 前々から見たかった「さかなのこ」、沖田修一監督ですね、これも観ることができました。さかなくんの役をのんがやっているのですが、こういうこともできてしまうんだ、と。

 のんがやるっていうのは、けっこう意味があって、男性とか女性とかではなく、さかなのこである、という、そうした自分らしく生きることが前提になっています。さかなくんを理解しようとする母親役の井川遥も良かったな。

 

 他にも、録画しておいたノーラ・エフロン監督の「奥様は魔女」を観たりとか、湯浅弘章監督の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(押見修三が原作なんだな)を観たりとかしていました。

 

 そんなこんなで、仕事がたまる一方です。

 

ためぐそ山、深沢山、勝峰山、真藤ノ峰、白岩山、金毘羅山、天竺山

 昨日、3月3日のトレッキングは、あきる野市のためぐそ山でした。いや、なんかインパクトがある名前なので、これはぜひ登ってみたいと思ったわけです。まあ、尾根筋を歩き、他の山にも上るわけですけどね。
 ということで、JR武蔵五日市を下車し、小机方面に歩いていきます。最初に目指すのが、金玉水です。いや、なんだかもう、今回はお下品なトレッキングですねえ。
 でも、その金玉水に行く道がわからず、かなり迷いました。グーグルマップで見ても、道がないし。いや、こういうときにグーグルマップはいかんでしょう。
 で、散々迷った挙句、ためぐそ山標高327mに到着しました。特に眺望がありわけでもなく、里山のてっぺん、くらいなものです。ベンチもなにもありません。でもためぐそ山です。昔、このあたりの動物がここにふんをしていったから、この名前になった、とか、そんな噂もあるようです。まさか、ツキノワグマではないですよね。
 さて、金玉水はどこに行ったのか? でもまあ、ためぐそ山にたどりついたので、そこから引き返し、金玉水へ。たぶん、「きんぎょくすい」と読むのではないかと思うのですが、この霊水、あまり湧いていませんでした。
 金玉水へ下った道を再び登り、山道へ。登山地図とかにも、きちんと掲載されているわけではないですが、とりあえず標識もあるし、きつい坂もないので、比較的快適に歩けます。ゆるい登りですし、特に整備されているわけでもないのですが。まあ、それゆえ、ちょっと道に迷いやすいですね。
 このルート、幸神尾根というそうで、途中、深沢山を経由し、勝峰山に寄り道しました。
 深沢山は、別に深沢七郎とは関係なく、460mの、山というには通り過ぎてしまうようなところです。ここも休むようなところではなく、通過。
 分岐を東に曲がり、勝峰山へ。たぶん、この日の山頂でもっとも整備されているのがここです。社もあるし、幸せの鐘だってあります。「幸せ」「平和」「希望」の3つを願いながら鐘を鳴らすように、ということです。いやもう、平和だけ3つどころかたくさん願ってしまいます。パレスチナウクライナスーダンミャンマーにイエメンに西サハラ、3つじゃ足りないです。
 勝峰山から分岐点に引き返し、尾根をさらに登ります。ここから先は、ちょっと歩きにくくなってきます。こんなマイナーなコースですが、3人ほど、すれちがいました。
 真藤ノ峰標高613m、梵天山標高607mと過ぎていきます。どっちも、ああ、山頂だな、くらいで何もないです。梵天山の登りは、ちょっと急で落ち葉がたくさんあって、かなり登りにくかったです。
 そして、森林伐採中のエリアを左に見ながら、白岩山標高631mへ。右側は金網になっているし、左は樹木がない急斜面だし、山頂はとても落ち着く場所ではありませんでした。
 山はここがピークですが、実はこのあと、金毘羅尾根と合流します。その合流点がこの日のピークになります。
 ここから北にいけば、つるつる温泉にも行けるのですが、今回は金毘羅尾根を下っていくことにしました。
 金毘羅尾根は、幸神尾根とちがって、けっこう整備された登山道。しかも急坂はまったくなく、ものすごく快適に歩けます。あまり快適すぎて、途中、ちょっと脇道を登ってみたりもしました。何があるわけでもないんですけどね。
 快適な道ではあるのですが、杉林と照葉樹林がまじっていて、景色の点でも植生の点でも、あまり面白い道ではなかったです。まあ、だらだらと歩けるのがいいのかな。下りは早かったですね。
 途中、金毘羅山標高466mもまた、メインルートからちょっと脇道に入ったところにあります。見逃してまき道に行ってしまう人も多いのでは。もっとも、この金毘羅山の山頂も、何かあるわけじゃないんですけどね。
 ただ、ここからは金毘羅神社もこの下にあって、人里に返ってきた感じになります。
 下りがあまりにも早かったので、ちょっと他の山にも行ってみました。駅の東側、三内神社のある天竺山標高310mです。20分くらいで山頂につきます。山頂に奥の院があって、ここはさすがに整備された山頂です。下山は裏側の林道に出たわけですが、登山というよりは近所の人の散歩コースですね。
 でもまあ、ためぐそ山から始まった今回のトレッキングは、天竺山にたどりついたということで、何かそれはそれでよかった気がします。
 トータル7時間、ゆる山ではありますが、けっこう歩きましたね。

 

こちらつつじが丘野川どんぶらこ通信955

 こんばんは。

 そろそろ冬も終わりですね。なんだか寒い日があるけど。

 

 まず、告知から。

 非売品なんですけど、吉田秀雄記念事業財団が発行している「アドスタディーズ」という研究誌に記事を書きました。前文、ネットで読めるので、アドスタディーズで検索してみてください。

 

 それから、3月27日~31日、タテヨコ企画の「繭の家」という芝居にカミさんが出演します。場所は目白駅新井薬師駅の間にあるシアター風姿花伝

よろしければ、ぜひお越しください。

 

 とまあ、そんなわけで、2月は何だか忙しかったです。とくに最終週は、バタバタ。そんななかでも、山にはいってきました。久しぶりのソロでのトレッキング。

 場所は、相模原市、旧藤野町にある、石老山、石砂山、峰山の縦走、でいいのかな。

 石砂山はヤマビル大量発生中なので、冬の間に登ろうと思っていたのだけど、アクセスが悪くて。でも、石老山を越えていけばいいかな、と。結局、長いトレッキングになったのだけれど、久々にたくさん歩きました。石老山山頂付近は雪があって、軽アイゼンを使ってみたり、とかね。

 全体はゆる山ではあるのですが、それでも4つも登ると大変、くらいです。石砂山は東峰と西峰がありますからね。

 

 次回は、ためぐそ山に登りたいと思っています。って、ためぐそ山ですよ。名前にひかれます。ゆる山ではあるのですが、まあ、何だか。まあ、名前だけで、地味な山らしいのですが。

 

 「不適切にも程がある」は、いろいろ言いたいこともあるけど、面白いので見ています。まあ、昭和はある部分ではろくでもない時代だったなあ、というところもあるし、バイタリティがあるといえばあったのかもしれないし。

 ポリコレって、基本的には正しいと思っています。だからケツバットとかしちゃいけないし、喫煙所以外でタバコを吸ってもいけないんですけど。ただ、ポリコレについて、何も考えずに受け入れてしまうと、そもそも何が問題だったのかわからなくなってしまうっていうこともあるんだなあ、ということも確認しました。

 後半のミュージカルシーンも、よくつくってあるなあ、とか。

 あと、80年代がノスタルジックな時代なんだなあって思うと、感慨深いですよね。

 

 「王様戦隊キングオージャー」も、無事最終回を迎えましたが、面白かったですよね。映像も気合入れて作っていたけど、ストーリーの方もかなり伏線をはりまくっていて、ラストでどんどん回収していくところがすごいなあ、とか。キャラクターも個性豊かでよく作り込んであるし。スーパー戦隊シリーズ最高傑作という声もあります。「暴太郎戦隊ドンブラザース」も捨てがたいですが、直球と変化球くらいの違いでしょうか。

 大人の鑑賞に堪えるだけの作品ということは間違いないです。

 このあと、Vシネマでいいのかな、「キングオージャーvsドンブラザース」と、「キングオージャーvsキョウリュウジャー」も制作されるそうですが、前者はあまりにもテイストが違う戦隊なので、どうなるかなあ、とか。キョウリュウジャーの方には、飯豊まりえも出演するので、それは楽しみだなあ、とか。メガネの飯豊まりえはいいですよね。

 

 とかまあ、そんなこんなで、もうすぐ3月です。