こちらつつじが丘野川どんぶらこ通信940

「こちらつつじヶ丘野川どんぶらこ通信940」

 

 あけましておめでとうございます。

 今年もよろしくおねがいいたします。

 

 皆様、年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。ぼくはといえば、わりと忙しくしていました。

 昨年末で会社をやめたので、今はフリーなのですが、書かなきゃいけない本の原稿はあるし、次の仕事のための準備もしなきゃいけないし、そんな感じで、あまりゆっくりした感じはしませんでした。

 でもそんななかでも、トレッキングには行っています。といっても、ゆる山とか超ゆる山ばかりですが。

 

 12月24日には鎌倉の源氏山へ。標高93m、低いですね。鎌倉駅から線路沿いに北西に歩いたところに登山口。あっという間に頂上です。広場になっていて、源頼朝の像があります。

 でもまあ、ここから銭洗弁財天や佐助稲荷神社をまわったあと、尾根にもどって大仏ハイキングコースを歩き、最後は稲村ケ崎温泉というルートでした。

 稲村ケ崎温泉は、リアル富士山(ペンキ画ではない)を見ながら入浴できるというのがなかなか素敵です。もちろん稲村ケ崎の海も見えます。

 

 12月28日には、仙台から状況した友人Wのリクエストで、ゆる山。選んだのは、埼玉県の越生にある大高取山。同行したのはほかに友人Mと友人Nで、還暦4人での登山。

 標高378m、ゆるやかな里山で、のんびりと歩きました。最後はオーパーク越生で入浴。

 

 1月1日は、近所のカニ山。いちおう、標高50mで、深大寺緑地の一部。頂上はキャンプ場だけど、あまり使われている感じがないですね。カニ山というのは、サワガニがいたから、らしいのだけど。近くの都立農業高校神代分校舎の谷戸にはいまでもいるかもしれません。

 

 そして1月8日には、生田緑地。飯室山標高80mと枡形山標高84mを縦走。生田アルプスです。でもまあ、木道が整理されていて、それが老朽化していたり、里山もぜんぜん手入れされていないしで、なかなか面白いトレッキングコースでした。

 

 フェイズブックで詳しく紹介してますので、見てやってください。

 次回は、もうちょい登りがいのある山にします。

 

 恒例の七福神めぐりもしてきました。

 今年は川越七福神

 実はコロナの影響で、御朱印すべてを押した色紙を販売しているだけで、それぞれもお寺で御朱印をもらうことはしないということになっている。とはいえ、スタンプは設置してあったのですが。最初に行ったお寺で色紙を購入、あとは巡るだけの七福神です。

 とはいえ、川越大師の喜多院成田山別院は人手が多いし、他にも観光地があって、なんだかなあ、なところもありました。

 でもまあ、最後は小さな旅川越温泉で入浴です。

 

 この年末年始は、昨年末で閉店した近所の酒屋で買った、あるいはいただいた謎のお酒を飲んでいました。いや、そうじゃないのもあるんだけど。

 1978年の山形ワインは、倉庫に放置され、忘れられていたもので、すっかり古酒になっていたし、1996年のサントリーラグビーチーム優勝記念のモルツは、ピルスナーではなくエールみたいなビールになっていて、それはそれでおいしくいただきました。キリン100周年記念の赤ワインと白ワインは熟成していたというのかな、白はかすかな苦みも含めてハチミツみたいで、でもしつこさがないシャルドネでおいしかったです。これも10年以上店頭に放置されていたんだよな。

 

 お酒ついでに、古谷三敏の「BAR レモンハート」の37巻も読みました。遺作ですが、終わってしまったんですね。長年読んできたので、ちょっとしみじみ。

 

 温又柔も書いているアンソロジー「鉄道小説」(交通新聞社)なんかも読んで、鉄分を補給したり。初めて読む作家もいて、なんか面白かったです。ホラーもあり、いわゆる純文学もあり、だし。

 

 イアン・マクドナルドの「時ありて」(早川書房)も読みました。これが、短いわりに、いろいろつくりこまれていて、すごくよくできすぎていて、読むのはたいへんでした。時間SFで恋愛小説で、詩的な文章で、と。戦争と時間についても、いろいろ考えてしまいます。

 これはまた別の機会に、ゆっくりと話します。

 

 あとは、北國ばらっどの「岸部露伴は倒れない」(集英社)が、荒木飛呂彦の漫画が目に浮かぶようだったり、とか。

 

 渡辺努の「世界インフレの謎」(講談社)は、わりと売れている経済書なので買って読みましたが、インフレの理由と解決が難しいことはわかったものの、だからどうしたっていうんだろう、ということも思いました。

 コロナが落ち着いて需要が戻ったのに供給が不足しているというのがインフレの原因なのですが、供給側に原因があると中央銀行も金融引き締めなどでは十分対応できない、とか。

 例えば、クルーグマンの本にあったので覚えているのですが、インフレ率と失業率には相関関係があって、適切な失業率に抑制するためにはインフレ率が2%くらいになればいいし、インフレ率を下げると失業が増えてしまう、ということなのですが、米国の失業率に対してインフレ率が異常に高いので相関関係が崩れているということを指摘しています。それには、対策がなかなかない、と。

 でも、読んでいて思ったのが、通貨を軸とした経済学の限界があるな、ということです。もっというと、失業率を数字としてしか見ないのであれば、それは豊かさにつながっていかないのではないか、と。

 インフレが問題なのではなく、問題が起きた結果がインフレなのだろうな、ということです。通貨と税制を通じて、豊かさを再配分することが難しくなってしまったのだと思うのです。だから、もっと別のシステムを考えていかないと、出口はないだろうな、とも思います。

 

 渡辺は指摘していないけれど、インフレの原因のひとつはウクライナ侵攻前から起きている化石燃料価格の高騰だし、これは長期トレンドとして続きます。それは化石燃料への投資の抑制と新興国の需要増によるものです。でも、それも断面の1つでしかない。

 考えてみると、2016年のトランプ政権の登場が、グローバル化への抵抗だったのだと思うと、世界経済がある程度ローカル化に向かい、分断されるというのは必然なのでしょう。そのコストを支払わなくてはいけない。インフレはその大きな流れの一部なのかもしれません。

 地域の中で豊かになっていくということは、もう少し考えるべきだと思うところもあります。

 

 それにしても、「暴太郎戦隊ドンブラザース」がどうやって終わるのか、まったく見えないですね。