こちら葛飾区水元公園前通信914

 あけましておめでとうございます。

 って、1月ももうおわりですが。

 忙しいのは良くないですね。

 

 まずは、業務連絡から。

 トーキングヘッズ叢書、No.85「目と眼差しのオブセッション」が刊行されました。今回も寄稿させていただきました。ということで、ぜひともお買い求めいただけますよう、よろしくお願いいたします。

 

 今年最初の登山は、標高25.7メートル、港区にある愛宕山でした。

 まあ、職場の近くなのに、登ったことないというのもどうか、ということで。

 どうして登ったことなかったのか、謎ですけど。

 出世する見込みもないのに、愛宕神社の出世の階段を一気に登りました。

 

 それはさておき、今年最初のトレッキングは、東丹沢の大山三峰でした。

 標高934.6メートルの低山です。距離もあまりありません。なのに、経験者向けの山という。

 詳しくは、ブログでも見てもらえればいいのですが、山頂付近、雪が残る中、やせ尾根や急峻なアップダウン、鎖場がたくさんあり、泣きたくなるようなコースでした。もう二度と行きません。

 まあ、「経験者向けです、引き返すのも勇気です」とか、立て札に書いてあるし。

 体力よりも技術と経験のトレッキングでした。

 そんなわけで、筋肉痛です。

 

 今月は引き続き、新書を読むことが多かったです。

 最初は、D・サダヴァ他「大学生物学の教科書」(講談社ブルーバックス)の第3巻、分子生物学。これで、全5巻、読み終えました。

 ぼくが生物学科を卒業したのが1984年ですから、そのあと、どれほど生物学がアップデートされたか。とまあ、そんなことを思いながら、ずっと読んでいました。

 せっかく読み終えたのに、今年、改訂版が出るとか。まあ、いいんですけどね。

 

 宇野重規著「民主主義とは何か」(講談社現代新書)は、ローマの民主制からはじまって、現代にいたる。そうした中で、民主主義が社会的に肯定された歴史は、そう深くない、と。

 まあ、確かにそうですね。でもまあ、民主主義はどんどんアップデートされていくものかな、とも思います。婦人参政権や米国の公民権運動とか考えると、今の姿が、ようやくここまできた、というレベルですから。

 なのに、揺り戻しが合って。

 

 梁英聖著「レイシズムとは何か」(ちくま新書)も、おすすめ。日本にレイシズムはあるか、と問われたとき、そもそも人種という概念を持ち出した時点で、レイシズムです、とまあ、そう言われてしまう。肌の色は違っても、同じ血が流れている、って歌ったのは、Pioneersの「Starvation」という曲だったっけ。

 ぼくたちが善意でいようとしても、人種を認める限りはだめなんだよな、と。

 大相撲で旭天鵬が優勝した時に、誰も「ひさしぶりに日本人力士が優勝した」とか言わなかったもんな。相撲のことを言えば、大鵬にはロシア人が、御嶽海や高安も、いわゆるハーフだけど、だれもそんなこと言わないな。でも、そういうことであればいいんだろうな、とも思う。

 難しいなって思うのは、人種の多様性というのはどうかと思いつつ、文化の多様性を認めなきゃいけないことかな。

 そんなことを考えてしまいました。

 

 スティーブン・グリーンブラッド著「暴君」(岩波新書)は、シェイクスピアの劇を題材にした本。君主が出てくる劇で、主人公がいかに潰えていくのか、それが当時の英国に対する批判として、遠い過去を題材に描かれる。

 でも、この本を読んでいると、どうしたって、米国の暴君「ドナルド・トランプ」を思い浮かべないわけにはいかない。王座についてから、やりたいほうだいをやり、追い詰められても王座にしがみつき、クーデターまで起こそうとして、そしてさびしく去っていく。

 シェイクスピアの劇の主人公たちのように、殺されはしないけど。でも、グリーンブラッドは明らかにトランプを念頭に置いて、この本を書いていると思う。

 

 森達也の「U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面」(講談社現代新書)は、言うまでもなく、福祉施設にいる知的障害者多数を死傷させたUをめぐる本。

 縦糸は、Uが他の大量殺人犯、例えば秋葉原連続殺傷事件、池田小連続殺傷事件の犯人とは異なるということ。横糸は死刑そのものに対する問い。

 Uは別に死刑になるために事件をおこしたわけではない。「日本社会を良くするために」事件を起こしたし、そのことを書いた手紙を衆議院議長に届けてもいる。

 では、Uはそういった思想の持ち主だったのか。それもと、精神的に問題があったのか。森はおそらく後者だという。でも、Uは確定死刑囚になってしまった。

 地下鉄サリン事件における松本智津夫についても、拘留期間中に精神に以上をきたし、裁判が続行できるような状況ではなくなってしまったにもかかわらず、死刑判決が下され、すでに執行されている。

 森はこの本では、死刑制度に対する反対ではなく、死刑ありきの司法に対する批判を行っている。

 この国において、多くの人が、真相が明らかになるよりも、死刑によって人の命が奪われることを優先している。そこには、実はあまりメリットがないにもかかわらず。むしろ、真相が永遠に失われるデメリットの方が多いにもかかわらず。

 実は、そうした部分は「ポピュリズム」にもつながっている。そこを考えていくと、この国において、民主主義が定着するのは、まだまだ遠いなあ、と思わざるを得ない。

 

 宮口幸治著「ケーキの切れない非行少年たち」(新潮新書)は、けっこう売れた本だけど。

 非行少年たちが、家庭や教育、学習障害などの面で問題がある、ということをストレートに書いている本。きちんとした環境で育っていれば、非行少年にはならないし、むしろそうした支援をしていくことが必要。

 そう思ったとき、どうしたって永山則夫のことを思い出してします。もう、死刑執行されたけど、事件当時はまだ未成年だった。永山もまた、本来は救われるべきだったのに、とも思う。

 宮口の本が売れたのであれば、罪を犯す側にも理由があるし、それはきちんと明らかにされるべきものだろう、ということも考えられるようになるといいのだけど。

 

 Uに関して言えば、そもそもUが勤務していた福祉施設には問題がなかったのか、そこには焦点はあたらない。そもそも、日本の障害者福祉に問題はないのだろうか。

 もっと言うと、「働かざる者、食うべからず」という思想はまちがっていて、それぞれ別個のものだと思う。日本国憲法では、働くかどうかとは関係なく、「健康で文化的な(最低限度の)生活を営む権利がある」としている。

 

 斎藤幸平の「人新世の「資本論」」に即して言えば、資本主義の前提として、「富を分配するために労働を必要とするしくみ」になっていて、それが限界なんじゃないか、とも思う。だから、イノベーションによって仕事が減るわけじゃない。

 

 菅首相は答弁で「そういうときのために生活保護がある」としゃべっていたけど、そこでお前が言うか? というのはある。そもそも、日本の生活保護の捕捉率は2割。つまり、8割の必要としているところには行き届いていない。「まず自助」という発想が、生活保護を遠ざけている。

 その先に、そもそも働くことから疎外されている障害者がいる。そしてすべての人が、民主主義の主役なのだが。

 

 柳澤健著「2011年の棚橋弘至中邑真輔」(文春文庫)も読みました。最近、ときどき新日本プロレスを見るのですが。友人が「現在の新日本プロレスの成功は、アントニオ猪木の影響から脱却したことにある」と言っていたのが、よくわかりました。

 過去の成功に引っ張られてはだめなんですね。

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