こちら葛飾区水元公園前通信860

 こんばんは。
 すっかり夏ですね。暑い日が続きます。が、体調を崩すのは、暑いというより、冷房との温度差がいけないみたいです。
 ということを、正直に感じています。

 先週の土日には、トイレは修理されたし、ベッドは自分で修理したし、そんなこんなでした。
 書いている本はもう少しでとりあえず書きあがる、というところです。といっても、初稿にはかなり赤は入るだろうし、図版の準備もしなきゃいけないんですけどね。

 6月は結局、トレッキングに行くことなく、7月は暑いのでパス、ということで、9月になったら行きます。尾瀬も誘われているのですが、思案中。
 その前に、釣りに行きたいのですが。

 何もしないかわりに、本は読んでいますよ。
 アントニオ・タブッキの「とるにたらないちいさないきちがい」(河出書房新社)。ひさしぶりにタブッキの新刊です。好きな作家ではありますが、初期の短編はどうしても、入っていけないところがあって。「逆さまゲーム」もそうだったなあ、と。

 オリン・グレイとシルヴィア・モレーノ=ガルシアが編集した菌類小説のアンソロジー「FUNGI」はというと、いきなり前書きで「マタンゴ」の話になるあたり、センスがわかるというもの。
 菌というのは、カビやキノコのなかまで、なかなかユニークな生物のカテゴリー。それだけに、想像力もかきたてられる。キノコっていうのは、植物でいえば花か実みたいなもので、本体は菌糸。どこまでものびている。中には動物に生えるキノコもあって、いわゆる冬虫夏草。そういや、高校生のころに、人に生える冬虫夏草の短編を書いたことがあったっけ。
 趣味としては合うアンソロジーでした。続きがあるようなので、そちらもはやく出版されますように。
 装丁もすてきです。

 トマス・スウェターリッチの「明日と明日」(早川書房)は、設定だけはなかなか素敵でした。核兵器で滅んだピッツバーグが、サイバースペースにつくられ、死んだ妻をその世界に求める、という設定なんだから。で、現実とサイバースペースピッツバーグの間で、事件が起こる。うーん、でもそれだけなんだよなあ。

 林美脉子の「タエ・恩寵の道行」(書肆山田)、この出版社の本を読むのって、何年ぶりだろうと思いましたが。読む理由はあります。岡和田晃推薦のSFなんですから。
 SFって何かっていうことも考えてしまうのですが、結局のところ、ここでは、世界をどう感じるのか、というところに落とし込まれるのではないでしょうか。そして、感じるということが、実は詩との相性がいい、ということになる。
 世界というのは、目に見える世界だけじゃなくて、心の中も、蓋然性の世界もあるし、そういったものを感じる力がある、ということ。
 伊藤計劃なども引用されていたりします。

 花輪和一の「みずほ草紙」(講談社)が4巻で完結。だんだん宗教的な世界に入っていきます。というか、宗教というより、日本古来の信仰というほうが正しいかな。欲望にふりまわされないで生きるというのは、それは大切なことだとは思います。

 東京都議選が終わりました。自民党の歴史的な敗北ということになっていますが。でも、都民ファーストの会も、自民党から分離してできたようなものなので、どうかと。
 小池百合子については、自分ファーストの会だと思っているので。
 唯一、救いは、小池は安倍晋三ほど頭は悪くないということくらいでしょうか。それなりに有権者を満足させることをしていかないと、というのはあるようです。
 安倍晋三にとって、最優先は憲法改正だし、そこにアイデンティティを抱えているわけですが、小池にとっては、総理大臣になることが目的なのではないか、と思っています。その途中に東京都知事がある、くらいで。

 森友学園加計学園もひどい話だとは思います。それは、きちんと追求され、不正は正されるべきだとは思うのです。
 河野太郎のように、もっと議論すべき重要なことがあるのに、と、不毛な予算委員会の野党批判をすると、もっともなように聞こえるのですが、それにはくみしません。結局のところ、信頼できない政府というのが、何よりも問題だからです。信頼できない政府の政策が信頼できるわけはないのです。
 とはいえ、安倍内閣の支持率の低下が、政策的な話ではなく、口利き疑惑みたいな話になっていくというのは、実は何も変わらないのではないか、という気がします。
 どういった政策がいいのか、ということは、根本的な思想も含めて、きちんと議論すべきだとは思うのです。それは、国会だけで議論する話でもないですし。
 おそらく、誰にとってもいい、という政策などないのでしょう。例えば、旧民主党の「コンクリートから人へ」という政策は、まちがっていたとは思いません。けれども、これまでの既得権益の中にいた建設関連の従事者には耐えられないものだったとも思います。無駄な公共工事でどれだけ多くの人が生活していたのかが、これでわかりました。
 その手当は簡単ではなかったのです。

 まあでも、さすがに、保守系のメディアですら、安倍政権批判をしていますから、安倍も終わったな、とは思います。そして、次の安倍、ということになってしまうのでしょうか。
 けれども、次の安倍では、共謀罪も秘密保護法も廃止にならないんですけどね。というか、教育基本法は元に戻してほしいし。安倍の負の遺産清算する、そういう政府にならないものでしょうか。

 高村薫の「作家的覚書」(岩波書店)を読むと、それは少しも特別なことなどではなく、ごくあたりまえのことが書いてあるのだけれども、それがあたりまえではないのが、日本の社会なのだな、といまさらながら思うのです。

 やっぱり、今度の連休は、のんびりと釣りに行きたいです。