あとづけの詩学

tenshinokuma2011-06-09

今週のお題「ゲームと私」
 アントニオ・タブッキの「他人まかせの自伝」(岩波書店)を読了。タブッキをひさしぶりに読む。といっても、小説じゃないのだけれども。5つの小説について書かれているのだけど、そのうちの1つが未訳。気になるな。
 今日は、調子が出なかった。いかんですね。仕事はたまってるけど、かみさんが忙しくて、おまけにいろいろとしなきゃいけないこともあって、仕事が進まない。どうしたものかな。
 ということで、「ゲームと私」である。まあ、ふつうにゲームを楽しめるような余裕が欲しい、ということにつきるな。
 でも、ゲームというと、どうしたって、永田町のゲームはいいかげんにしてほしいっていうことを考えてしまうのが最近。ただ、政治家だけが無能だとは思っていない。菅直人が辞任して、どうかなるものでもないし、というか、どんどん悪い方向に行っているとも思う。前回の総選挙で政権交代が起きたときが、ピークだったな、と思う。そのあと、だれもが負けるゲームを続けていた。
 今、日本が直面している問題っていうのは、「先送りすべきではない」ものですらなく、「取り返しがつかないほど先送りしてしまった」ものだし、そうなると、常識的な方法で解決できるものではないのだけれども、常識はずれの方法を選択する勇気が政治家にも誰にもないということになる。そんな状況の中で、一人の人間だけが責任を負い、リーダーシップを発揮するというのは、本質的に無理なのだとも思う。
 例えば、高齢化問題っていう形の、福祉や年金の問題。あるいは、放置され続けてきたデフレ。累積した財政赤字。たぶん、すべてを常識的に解決することは、どう考えても無理でしょ。
 そうであれば、だらだらと破たんするのを待っていてもいいのかもしれない、とも思ったりもする。
 もう一つ、大事なことは、政党がまともなシンクタンクを持たないこと。唯一のシンクタンクというべき、霞が関の役人の多くは、省益しか考えていない、とも思う。経済産業省の幹部あたりからそう感じることは多い。それに、まじめな職員であっても、広い視野を持って世界を見ているようで、一つの価値観に縛られている。環境省以外の他の省庁はわからないけど。でも、そんなシンクタンクは、どれほど役立つのか、とも思う。常識的に優秀であっても、非常識のことができない。
 すべては逆の方向で考えるしかないのだというのが、ぼくの考え。
 基本は、デフレ脱却のために、需要をつくり、国債を日銀に引き受けさせていい。そのお金を、震災復興に使っていく。年金は、増税ありきではなく、まず望ましい制度のデザインから。高齢者が増えるだけではなく、長生きになっているのだから、高齢者の定義を変えることだってしなきゃいけない。65歳まで働くっていう話になっているけど、それでいいとも思う。というか、70歳だって働いているのであれば、そこから年金保険料を払ってもらっていいし、その分、支給されたときの額を大きくすればいい。ぐらいのことを言いだすと長くなるな。
 年金保険料を払っていない人はどうせ将来、生活保護を支給されることになるのだから、だったら基礎年金は税で負担すればいいし、その必要な額があってから、税収をどうするか考えればいい。
 本当は、基礎年金を税でまかなうっていうより、ベーシックインカムがいいとは思うし。少なくとも、田中康夫が言う、被災者対象の一律で一人10万円/月のベーシックインカムは、いい案だと思うけどな。
 財政赤字が拡大するのは、気にしないということが大事。無理しなくていい。インフレとそれに伴う税収増がゆっくりと解決してくれることを期待する。インフレは通貨の価値が下がることなのだけれども、それは、お金を持っている人の資産価値が下がっていくということ。それは、ある意味では、持っているお金に税金をかけているようなもの。ぼくみたいにお金を持たない人は、関係ないし。ハイパーインフレになったら、あきらめてくれ、というようなものだな。
 でも、円安になれば、みんなで労働集約型の産業でがんばろうね、とも思う。たぶん、そうはならない。それほど、世界はフラット化している。
 中央集権的な政府じゃなくって、自治体にもっとお金を配って自由に使ってもらっていい、とかね。
 というのは、単純な話のようだけれども、エネルギー政策も地方自治も、その他いろいろ。複雑にからみあっている。
 もちろん、震災復興も原発災害と東電の処理も、単純な話じゃない。
 というときに、首相を変えれば解決するという問題じゃないし、誰か特定の人物を首相に選べばいいという話でもないとも思う。なのに、次の首相を誰にするのか、という文脈でしか話せないというのは、すごく貧しいことだな、とも思う。
 何が言いたいかっていうと、次の首相を選ぶよりも、とるべき政策を選ぶことが重要だし、その上で、それを実現できるチームをつくればいいということなのではないだろうか。
 本質がすっぽりと抜け落ちている、日本という国の状況は、例えば、ペルーの大統領選挙が、候補者の一人が日系人だというただそれだけの理由で話題になってしまうというおまぬけなものだったりもする。政策の話など、どこかに行ってしまっている。でも、その日系人の候補者は、たぶん、落選すべき人だったんだろうな、と何となく思っているのだけども。
 「ゲームと私」ということだったっけ。でも、ゲームじゃなく、本質的なことを考えたい、ということだな。