安倍晋三国葬儀

今日は安倍晋三国葬が行われました。
写真は集会があった日比谷公園
ぼくはもちろん国葬には反対なのだけれども、それは憲法違反とか国会決議がないからといったことではなく、政治家としてグレーなままの人を政府の判断で国の行事にしてしまったことそのものです。
もちろん、政治家としての評価は人さまざまだと思います。ただ、グレーだというのは、政策以外の部分です。モリカケサクラは何も解決されていません。どう考えても証拠隠滅とかそんなことをしているようにしか思えないのですが。8年間もおともだち政治をやってきたし、そのおともだちには統一教会も含まれているとしか思えないのに、です。
 もちろん、安倍政治そのもののぼくの評価も低いです。代表的なものとして、アベノミクスがありますが、黒田日銀総裁による金融政策はさほど間違っていなかったと思います。でも、そのお金を友達にくばるだけの財政政策は日本経済を復活させませんでしたし、むしろ格差を広げるだけでした。成長戦略にいたっては何もやっていない。もっとも、これらは、安倍晋三というよりも、20年つづく竹中平蔵の経済政策だったとは思います。
外交の安倍といいますが、これも海外でお金を配るだけの外交でした。本質的な外交問題は何ひとつ解決していないと思います。
とはいえ、安倍政治の評価については、心情的には国葬反対となりますが、論理的にはそうはなりません。
本当に、犯罪的なグレーな政治家の葬儀に国がお金を積極的に支出するということが問題です。
したがって、ぼくは内閣葬であっても反対なのです。まして、グレーな政治家の葬儀で弔問外交というのもいかがなものかと思います。
故人を悼む人はいるし、個人の政治家としての成果を評価する人もいます。葬儀そのものを否定するつもりはありません。でも、せいぜい、自民党葬でいいのではないかと思います。
それから、国葬のもう1つの問題は、グレーな政治家に対して、ポジティブな評価を与えてしまうという政治的な作用です。
TwitterなどSNSでは、「安倍晋三を悼むのだから政治的なものではないので、国葬反対とか騒がなくてもいいじゃないか」という意見が見られました。でも、国葬にするという判断そのものが政治的なものなのです。悼まない人は黙っていればいいというものではなく、ぼくたちはとっくにこの政治的なイベントに巻き込まれているのです。
安倍晋三という政治家のグレーな部分をなかったことにはできない、ということです。
そして、本日行われた国葬は、グレーの上塗りだとも思います。
これからできることは、安倍晋三という政治家の評価を、きちんと行い、それを残していくことだと思います。
安倍晋三という人にとって、銃撃で殺されたことは悲劇でした。
けれども、安倍晋三という政治家が8年も総理大臣の職にあったことは、多くの人にとっての悲劇でもあったと思います。そのことを検証し、繰り返さないことが必要なのではないでしょうか。
そうでなければ、次のグレーな政治家が登場するだけだと思います。