こちら葛飾区水元公園前通信872

tenshinokuma2018-03-21

こんばんは。

 最近、あんまり政治の話を書かないのですが、理由は、もはや語る必要もないのかな、ということです。ウソがまかりとおってきたアベ政治の5年間が明らかになる過程が、毎日のようにテレビで放映されているわけですから。今、これを書いている時点で、安倍政権は3月25日の自民党大会まで持たないと予想しています。すでに求心力を失った総裁の下で、党大会を行うことは不可能でしょう。
 ただ、安倍辞任で終わるのではなく、これをきっかけに他の暗部もクリアにしていかないと。あちこちで困ったことをしている安倍チルドレンも一掃していただきたいとは思います。

 安倍内閣は日米会談など外交で支持率をアップさせたいというねらいがあると伝えられています。でも、これは無理だと思うのです。
 そもそも、外交ができない国なのですから、足元を見られて終わるだけです。
 もっとも。外交ができないのは、政府だけの問題ではないですね。結局、この国では、相手の国が何を望んでいるのか、ということをしっかりととらえる能力がないのだと思います。だから、落としどころがわからない。そこで、他の国は日本に対して、適当なところでだまらせておけばいい、ということになっているのだと思います。相手にされていないのです。
 相手にされていないのだから、拉致問題も領土問題も核兵器問題も解決するわけがありません。唯一、お金をばらまくだけでしょう。ただ、国内に向けて、やっているふりをしている、というのが、この国の外交です。

 北朝鮮の話をすれば、簡単なことで、金正恩は「フセインのような目に合いたくない」ということだけだと思います。そのためであれば、何でもする、というのが、核兵器開発なのでしょう。そうであれば、政治体制の安全と引き換えに、何かを承認する、ということになるのではないでしょうか。
 一方、韓国としては、とにかく武力衝突だけは避けたい。人的被害を回避するためには、多少の譲歩もやむを得ない、ということです。
 韓国の文政権はそうしたメッセージを発しましたし、米国のトランプはそれに乗ったということです。米国にとっても、戦争のリスクは大きいと思います。
 次は、中国が後ろ盾になる立場に戻していくことと、長期的な視点で経済発展を考える=結果として金体制の失脚と韓国への併合、ということを考えていくのではないでしょうか。
 当然ですが、この交渉の枠組みに、今の日本が入る余地はありません。
 たぶん、日本は北朝鮮に対する人道支援を考えることができれば、何らかの立場が保てると思います。けれども、今の日本に、北朝鮮に対してそういった対応をする世論すらつくられていないと思います。また、日本にミサイルが飛んでくるということのリアリティもないのだと思います。

 でもまあ、日本がまともな外交ができず、コバンザメのような立場でいても、まあいいのではないかとも思います。今の日本はそれがふさわしいと思います。プエルトリコと同じ立場ですね。

 それはそれとして、トランプの方は、米朝会談で支持率を上げて、中間選挙をのりきろうというのでしょうか。それはそれとして、米朝対話というのはいいことだとは思います。圧力しか考えていない日本政府よりは、この部分に関してはまし、と見えるかもしれません。
 でも、他の大統領だったら、ここまで北朝鮮問題がこじれなかったような気もします。
 というか、東アジアをどうしていくのか、ビジョンはまったくちがったものです。オバマは、中国を巨大な市場だと見ていました。しかしトランプは米国の雇用を奪う敵だととらえています。そして、この見方の違いが、北朝鮮の意味づけを変えてしまっていると思います。
 それにしても、トランプ政権は、全体的な評価としては困ったものだということになります。分断される米国の象徴、といったところでしょうか。ただ、側近がつぎつぎといなくなり、とにかく政府に人がいないという状況が続いています。日本でいえば、大臣が半分も決まらないということです。そうすると、ここでもまともな外交ができませんから、米国が国際舞台で勝手なことをする、ということはできていないのは、不幸中の幸いかもしれません。

 分断されるアメリカ、ということを象徴するアルバムが、Mavis Staplesの「If All I Was Was Black」です。これは、近年の彼女のアルバムの中でも、傑作だと思います。軽やかなアレンジで、多少ポップな感じをさせつつ、いつものように力強いボーカルを聴かせてくれます。
 タイトルは、「もしみんなが私と同じように黒人だったら」という意味です。Wasが重なっているのはミスではありませんから。
 で、そうだとしたら、どんなに素敵なことがあるのか、という歌なのですが。もちろん、本当は肌の色が違っていてもいいはずです。でも、今の米国はいまだにそうではありません。
 ゴスペル、ということでは、これは祈りの歌でもあります。

 Tracy Thornの「Records」というアルバムも出ました。彼女は、Everything But The Girlというデュオの女性の方、といえばわかるでしょうか。このEBTGは、「未必のマクベス」に出てきますね。そこではアコースティック・ポップとして紹介されていました。
 「Records」の曲そのものは、EBTGを思わせるような曲です。アコースティックな感触も残しています。それで、昔を思い出しながら聴くことができます。
 でも、実際にはほぼ打ち込みです。EBTGは後にドラムン‘ベースをバックにした音作りに向かうのですが、その先にある音です。
 それと、Tracyの声は、昔よりも低く、男みたいです。
 それでも、昔ながらの傑作といえばいいでしょうか。何となく、シングルカットされた1曲目の「Queen」は、マックでよくかかっているような気がします。

 谷本真由美の「バカ格差」には、日本ダメっていうのにうなずくところもあれば、そうではないところもあるけれど、まあ、そうですね。
 高橋源一郎の「ぼくたちはこのくにをこんな風に愛することに決めた」も、前半はまおもしろかったけど、後半がなあ、と。
 というわけで、読書の収穫はあまりないですね。

 先日、プールで2km泳いだら、さすがにへろへろになりました。