こちら葛飾区水元公園前通信879

tenshinokuma2018-07-21

 おはようございます。
 まず、業務連絡から。
 トーキングヘッズ叢書No.25「秘めごとから覗く世界」が発売されます。7月26日ごろから書店に並ぶとのことなので、今回もぜひ、お買い求めくださいますよう、よろしくお願いいたします。
 今回は、ぼくは「ポルノグラフィ批判」批判みたいな感じで書かせていただきました。
 まあ、そのために、関係する本を読んできた、というのは、ここで書いてきたことですね。
 これとは別に、映画「Still Life Of Memories」とケイト・ウィルヘルムの追悼特集もあって、もりだくさんです。

 西日本豪雨にもかかわらず、首相以下宴会しているっていうことが明らかになり、しかも問題ないっていうことで押し通されてしまう。おまけに、災害対策そっちのけでカジノ法案が成立してしまう、とか。
 同時に、猛暑による熱中症にもかかわらず、教育現場で適切な判断ができていない実態が、痛ましい事件とともに明らかになってしまいました。
 何だか、日本はすっかり「マヌケ」な国になっちゃったなあ、と思わずにいられません。
 政治家がマヌケなだけじゃなく、そんなものを選ぶ(あるいは選ばないことを放棄する)人たちがそもそもマヌケというか。
 けれども、こんなマヌケな社会の起点は、1995年のオウム真理教事件だと思っているので、その意味では、23年後にマヌケ日本の到着地点が現在なんだなあ、と。だから、先日の死刑も象徴的ですらあります。

 実は、熱中症の問題も、学校周辺の根深い問題があると思っています。それは、教育に関わる人の大多数が思考停止に陥っているのではないかということです。
 最近になって、ようやく、部活動が教師のボランティアによって成り立っている実態(いや、部活動するなら、充実した授業にする努力をしてくれ)、いつまで学ランやセーラー服を着せているんだっていう(どっとも元は軍服)、そもそも人権を無視した異常な校則、子どもの身体の成長を阻害しかねない重いランドセル(リュックでいいし、実技科目は学校に教科書置きっぱなしでいいじゃん)、骨折してもやめない組体操(ダンスっていう、学習指導要領にもある魅力的な代替プログラムがあるのに)、学校下請けPTA不要論(いや、PTAは教育行政に改善を求めるのが本業なんじゃないか?)、などなど。教育内容を充実させるためには、もっと職員を増やさなきゃいけないのに、人手不足というのが実態の上、公務員削減とか言う人たちのおかげで非正規採用の教師が増えている実態。メンタルケアのためには、スクールカウンセラーをもっと配置しなきゃいけないのに、とか。使われない図書室、とか。

 こんな思考停止の中で育つ子供がかわいそうです。本当にそう思うのです。
 学校って、思考停止日本の象徴なのかもしれません。

 こんなことを考えながら、ピーター・トライアスの「メカ・サムライ・エンパイア」(早川書房)を読むと、複雑な気持ちになります。
 前作「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」の数年後を舞台とした小説。タイトルからわかるように、第二次世界大戦で日本とドイツが勝利し、アメリカ合衆国だったところは日本とドイツに分割統治されている世界です。
 正直なところ、最初は高校生として登場する主人公は、ロボットのパイロットを目指し、実戦にも遭遇し、仲間を失う、美少女キャラも登場する、という作品は、活字ではなくアニメでいいんじゃないか、というかアニメが目に浮かぶようです。まあでも、だからってそれが悪いとは言いませんが。
 ここで描かれるUSJ(って、どうしてもユニバーサル・スタジオ・ジャパンって読んじゃいますね)は、元は大日本帝国ですから。ろくな国じゃないです。でも、ドイツもナチスだし。では、米国が民主主義の国だったかというと、そうでもない。今の米国がやりかねないことを、小説の中でUSJがやっているところもある。そういや、テロ組織のジョージ・ワシントン団もGW団って略されていて、ゴールデン・ウィーク団という平和な名前に思えてしまいます。
 それから、東西に分割されたアメリカというのは、韓国系アメリカ人のトライアスにとって、朝鮮半島のアナロジーなのかもしれません。
 で、トライアスは、この作品の中で、日本や米国を批判しようとはしていません(前作では、多少は米国批判という感じもあったけど)。むしろ、トライアス自身が見て、感じている現在の日本が、この作品の中に外挿されていると思います。それ以上でもそれ以下でもない。
 結局のところ、大日本帝国と地続きになってしまった現在の日本が、外側からどう見えているのか、そこを痛いほど感じるというのが、この作品の価値なんだろうな、と思うのです。だから、アニメにしか思えないということも、そこに含まれていると思ってください。日本は、そういうアニメの世界なんです。
 特高がいて、天皇を崇拝し、政府に都合の悪い人間は処刑され、上官の命令は絶対。大日本帝国のこうした姿は、結局のところ、現在の日本でも消されていないでしょ。それが、マヌケな日本なんです。

 こんな日本ならなくなってもいいのかもしれません。というような感じで、多和田葉子の「地球にちりばめられて」(講談社)も読んでいます。
 舞台は北欧、さまざまな人物によって語られますが、それは日本という国が消滅した世界。グリーンランドエスキモー、デンマーク人、インド人などなどによって、失われたものが表現されます。何となく、日本は原発事故で消えてしまったような感じもします。というか、多分、そういう設定。温暖化が進んだおかげで、グリーンランドでも野菜の栽培ができて、良かったね、とか。
 国がなくなれば、言葉もなくなるだろうに、鮨とか出汁とかの文化は幽霊のように残っていて、登場人物はそこに引き寄せられます。まあ、鮨というのが、日本におけるラーメンのように、本国の料理とはかけ離れたものになっている、ということもまた、グローバルな文化の変化のアナロジーなのでしょうか。
 トライアスは、多分、無意識的に見たままの日本やアメリカを反映させたと思うのだけれども、多和田は意識的に同じことをしているのだと思います。

 いとうせいこうの「小説禁止令に賛同する」も含め、日本のどうしようもなさの延長が、見えてきたというのが、現在なのかもしれません。
 本当に、いとうの描く未来は、USJの日本と地続きですから。

 そういや、ロシア、中国、韓国、モンゴルを結ぶ国際送電網がこれらの国で議論されているのですが、そこに日本企業はともかく日本政府はまともに入っていないのです。ここでも蚊帳の外に出ちゃった感じなのですが。
 これ、エネルギーの話ではなく、安全保障の話なのだと思っています。思考停止した日本人は、国際送電網で中国やロシアに電源を握られていいのか、と思うことでしょう。まして、北朝鮮を通るなんてとんでもない、と。
 でも、電気を輸出する側にとっては、外貨をかせぐ重要な手段でもあります。また、北朝鮮に電気がいくことで、経済発展が可能になる、ということも、北東アジアの安定化にとって重要です。
 日本で国際送電網を主張する自然エネルギー財団の報告書は、これをビジネスベースで考えようとしているのですが、むしろ安全保障としてコスト優位性があるのではないか、と思っています。

 本当に、思考停止した日本政府は、トランプ政権に貢いでおけばまちがいはない、みたいな感じですね。なんだか、業田義家の「自虐の詩」みたいです。

 暗い本ばかりではなく、明るいのも。
 ということで、アニメ化もされた「はたらく細胞」ですが、スピンオフのコミックもなかなか面白いです。
 「はたらく細胞Black」は、不健康な生活をしている人の体内という設定。タバコやお酒にさらされ、淋菌が攻めてきます。これを読むと、もっと健康な生活をしようという気持ちになってきます。
 同じく「はたらく細菌」は2巻が出ました。腸内細菌には悪玉菌と善玉菌と中立菌はいて、それぞれ活躍しているわけです。皮膚にも常在菌がいるし。
 まあ、実際に、人間のDNAに対して10倍におよぶ腸内細菌や常在菌のDNAの情報が人間にとりついているそうですから。
 その点、「はたらかない細胞」は、ちょっとイマイチでした。
 それにしても、このシリーズ、「学習漫画」を思い出させてくれます。

 ではまた。