こちら葛飾区水元公園前通信812

tenshinokuma2014-01-18

 あけましておめでとうございますです。
 って、もう1月も半分以上おわってしまったわけですが、まあそういうことで。

 といっても、正直に言えば、あまりおめでたい気持ちになれないです。安倍政権がやっていることを考えると、気が重くなるのですが。しかも、こんな世の中にしてしまったのは、そもそも政治家のせいではないというのが、救いがないことですから。

 でも、そのこと以上に気が重いのは、実は都知事選です。
 細川のお殿様が立候補するということで、小泉劇場で盛り上がっている、ということでしょうか。でも、このことが、かえって気持ち悪かったりするのです。

 今回の都知事選には、大きな違和感があります。それは、脱原発が最大の争点のように扱われているからです。マスメディアがそのように報道し、小泉劇場では細川のお殿様が主演を演じています。
 でも、都民として言わせてもらえてば、4年間のぼくたちの生活がかかっている選挙で、脱原発だけを争点にするのはどうなのか、ということがあります。脱原発は大切な政策だけれども、それがすべてではありません。それなのに、脱原発ばかりがとりあげられると、都民は代理戦争をさせられているような気になります。

 ちょっとひどいな、と思うのは、脱原発を主張する人の一部が、宇都宮氏と細川氏で候補の一本化を求めていることです。極端に言えば、細川氏なら勝てると考えて、宇都宮氏は降りるべきだと、そんな意見まであります。
 けれども、細川氏はまだ脱原発以外の政策を明らかにしていません。この段階で、一本化もないものだと思います。
 また、宇都宮氏は、脱原発だけではなく、福祉政策や労働政策も明らかにしています。これらは、本当にぼくたちの生活に直結する重要な政策です。こうした政策を後回しにしても、脱原発というのはないよな、と思います。
 それなのに、脱原発派の候補が勝つことを優先しようというのは、気持ちはわからないでもないのですが、それ以外の政策はなかったことにされるようなものです。仮に、細川氏に一本化したとすれば、脱原発ということで勝つ可能性は高まるのかもしれませんが、それ以外の面では、不戦敗ということになっています。
 後ろに小泉氏がいる候補に、福祉政策や労働政策を白紙委任はできないと思います。
 にもかかわらず、脱原発ということだけを優先しようとすることは、そもそもそれ以前に民主主義というものではなくなってしまいます。弱い立場の人々にとって必要な政策を押し殺すようなことは、脱原発が正しいことであっても、やっていることは自民党と同じではないか。そうしたことが、脱原発運動をしている人の中にあるとしたら、それはもう救われないな、と思います。そのことが、気持ちを重くします。

 選挙では、勝たなければ意味がない、という人もいます。でも、はたしてそうでしょうか。4年前には、総選挙で民主党が勝ちました。でも、そのあとどうなったか。民主党を支持した人たちが、自分自身によって負けたのだと思います。その結果、さらに悪い社会になってしまいました。民主党政権がダメダメだったと言うことは簡単です。でも、十分な経験のない寄り合い所帯の政党にダメ出しした結果、壊れてしまいました。育てるということができませんでした。

 それにしても、小泉劇場脱原発を願う人々が踊る姿は、正直に言えば、みにくいとすら思います。

 ぼくが都知事にお願いしたい政策は、脱原発だけではありません。もちろん、それも大事でが、原発はいずれ行き詰ると思っているので、正直に言えば、あんまり重要ではありません。もっとも、原発立地地域を都が支援するということは、あるかと思います。
 安倍政権にダメ出しするということでは、やることはたくさんあると思います。安倍政権が次にねらっているのは、教育ですから、そこに対してすべきことがあります。東京都が独自の心のノートをつくって、広い視野を持った人権教育をしたっていいと思います。
 ブラック企業のない東京をつくってほしいとも思います。条例で対応できることもたくさんあるし、特区制度を使うこともできます。原則、非正規雇用禁止特区とか、最低賃金1000円特区とか。
 ホームレスのいない東京もいいと思います。排除するのではなく、住宅を供給するということです。災害対策は高速道路だけではなく、下町の住まいにも関係してきますし。町をつくりかえることは、簡単ではないのですが。
 オリンピックを返上しろとは言いません。でも、施設の建設は、少し考えた方がいいです。国立競技場やカヌーの競技場を含めて。

 いずれにせよ、弱い立場の人のことを考えてくれる都知事がいいですね。

 今年最初に読んだ本は、足立恒雄の「数の発明」(岩波書店)でした。正月そうそう、数学ですが。数といっても、量を表すときと順序を表すときでは、意味が違うこととか。0を自然数と考えるかどうか、とか。集合論から数を定義する、とか。

 で、次に読んだ本が、森達也の「クラウド 増殖する悪意」。
 日本の人は、集団になると、正義をふりかざして、悪意をばらまく、そんなみにくいものになってしまう、ということです。ネトウヨ、とか。
 でも、ネトウヨが遠い話でもなんでもなく、例えば、死刑を求める人々もまた、憎悪に満ちています。けれども、例えば、地下鉄サリン事件をとっても、裁判を通じて何も事件の本質が明らかになっていないのに、死刑だけが確定し、そのことに異議が唱えられない。
 死刑に関しては、ノルウェーのことが印象深いです。多くの人を殺害したテロの実行犯に対しても、ノルウェー国民は冷静に対応し、死刑を求めません。
 この本を読んでいると、集団に流されるよりも、一人で冷静に考える方が、よほどまともなのではないか、と思えてきます。つまり、“ぼっち”でいることのほうが、よほどまともな人間なんじゃないか、ということです。

 会田誠の「青春と変態」(ちくま文庫)も読みました。高校生が主人公、トイレ覗きを楽しみにスキー合宿に行くなよ、という。でも恋もあって、結果は、というか。
 何より、読んでいて、高校生だったときの恥ずかしさを、いやというほど思い出させてくれる本です。会田が文庫化にあたって、読み返さなかったということだけれども、それもわかります。そのくらい恥ずかしい本です。

 あとは、東浩紀の「世界からもっと近く」(東京創元社)も読んだけど。新井素子が元祖セカイ系だからといって、何か意味が? と思ったり。小松左京を読もうという気持ちが起きなかった理由が何となくわかったりとか。うーん、でも、それだけだな。押井守に対する評価は、ぼくと違うな。押井の世界、たとえば、「うる星やつら ビューティフルドリーマー」で、終わらない日常のループみたいな世界を押井のパターンだとしているけれども、押井は実はループを終わらせたくてもできなかったんじゃないかって思っている。それが、「天使のたまご」だと思うんだけれどもな。そこから後退して「紅い眼鏡」になり、ループに安住していないか、と。

 今季の深夜アニメですか? 「となりの関くん」をおすすめします。別に、花澤香菜のモノローグが延々楽しめるから、というわけじゃないですから。

 このところ、聴いている音楽といえば、ブライアン・イーノアンビエントだったりします。疲れているのでしょうか。気持ちいいんですけどね。

 写真は、昨日までやっていた、有機EL/LED照明展でした。有機EL,最近はOLEDっていうんだな。