こちら葛飾区水元公園前通信805

tenshinokuma2013-07-13

 おはようございます。
 といっても、これを書いているのは夜なのですが、送信は朝になりそうなので。

 参議院選挙のことを考えると、暗い気持ちになるのですが、とりあえず、投票にだけは行くように、とは言っておきます。投票にすらいかないオトナは、仲村佐和に「このクソムシが」と言われるだけです。

 えーと、今回も宣伝。本日発売の週刊エコノミストのフラッシュのコーナーで、「柏崎刈羽原発の早期再可能が不可能で、3期連続赤字の東電(仮題)」という記事を書きました。でも、東電もさっさと原発をあきらめて、分社化したほうが優良企業になれていいんじゃないかという話、なのだと思います。いや、きっと、人によって、受け取り方はちがうだろうからな。
 というわけで、今回も、立ち読みぐらいはしていやってください。

 この2週間で読んだ本といえば、まずは立岩真也の「私的所有論(第2版)」(生活書院)。
 文庫本を基本的に出していない出版社による、1000ページ近い文庫本なんだけど、これは著者が少しでも多くの人に手に取ってほしいということで、この体裁に、だと思う。
 どういう本なのか。
 例えば、健康な人が一人いるとする。これに対し、心臓移植を待っている人と肺移植を待っている人がいるとする。健康な人からそれぞれ移植すれば、二人の人が助かるとしよう。より多くの人の生命が助かるべきだとしたら、この移植は行うべきなのか。
 って、マイケル・サンデルみたいですね。でも、SFとしては、トム・ゴドウィンの「冷たい方程式」ですか。
 あるいは、代理出産。自分の身体を他人に貸すことは、というか自分の身体を市場にゆだねることが正しいことなのかどうか。
 もっと言えば、臓器売買。
 遺伝子は誰のものか、という問いもある。アメリカの女優が発癌のリスクが高いとして、乳腺切除手術を行ったことがニュースになった。では、自分が発癌性が高い遺伝子を持っているということを、知る権利、知らない権利というのはどうなのか。実際に、娘がいる母親が、娘に遺伝している可能性を明らかにしたくないことを理由に、遺伝子検査に否定的だったという意見もあった。
 では、遺伝によって発病するリスクが違うとして、保険はどうなるのか。平等にすべきなのか。でも、医療の対応としては、その情報はあった方がいいかもしれない。

 あーでもない、こうでもないって考える、そういう本。
 SFではすっかりおなじみの思考実験でもある。
 でも、そういうことよりも、ぼくがはっとしたのは、基本的権利としての「自己決定」に対する、「決定しなくいてもいい権利」というようなものだ。
 上野千鶴子フェミニズムの文脈で、女性の自己決定ということを言い、それが障害者や高齢者の自己決定につながっているとして、では何がなんでも自己決定すればいいのかという。立岩には「弱くある自由」という著作があるけれども、そういうことでもある。

 立岩の議論が、SFでおなじみなように、実はテクノロジーがこの議論を作り出してきたというところもあるだろう。臓器移植も出生前診断代理出産もそうだ。サイボーグ化ですっかり知られた議論だけれど、手足のかわりになるものがあれば、身体障害者でもそうではない人のように仕事ができる。では、知的障害者が頭脳を借りてきてはいけないのか。

 こうした議論が、基本的人権ということを介して、生活保護とか教育の問題、あるいはマイノリティの問題にもつながっていくと思うのだけれど、そこをうまくつなげると、こんな文章を一晩中書いていなきゃいけないような気がする。

 気がするついでに、みわよしこの「生活保護リアル」(日本評論社)も読んだ。これは、おすすめしておく。できれば、最終章は今週中に読むように、とか。
 生活保護バッシングがいかに根拠がなく、というか基本的人権にてらしあわせも問題が多いものかって、ずいぶん書いたと思う。
 それに対し、本書は生活保護の受給者の姿を紹介したものであり、生活保護というしくみが現在進行形で壊されつつあるということを訴えた本でもある。
 いくつかの要素があるけれど、ここで1つ言うとすれば、
 「ブラック企業への就職」→「うつ病」→「退職」→「再就職できず、生活保護
 というような流れもリアルにあるということ。つまり、誰もが、生活保護を受給することになるリスクがあるのが、現実。いつ、大けがや病気になるかもわからないし、財産をだまし取られるかもしれない。ダンナがろくでもないので、離婚したけど、母子家庭はたいへん、というのはめずらしくもない話で、生別死別にかかわらず、母子家庭の貧困率は50%を超えている(だから、寿退職はするなと、言っているんだけどな)。

 この本を読みながら、思ったこと。
 40人学級で、1人が少し勉強ができなかったりとか、ちょっとまわりと違うことで疎外されたら、それは「いじめ」だっていうことになる。
 でも1億2000万人いて、そのうち200万人が事情があって生活保護を受けて助かっているというのを、疎外しても、誰も「いじめ」だとは言わない。
 でも「いじめ」だと思う。でも、それどころか、政府が率先して「いじめ」をしているのが、現状。
 なのに、その政府が「いじめ」をなくそうとか、いじめ対策をするっていうのが、すごくまぬけだとも思う。
 そうそう、政府のいじめ対策がダメなのは、「いじめ」があったら刑事事件として対応するような処置はするくせに、いじめる側、いじめられる側の心のケアのことは考えないこと。「心のノート」をくばればいいっていうものじゃないんだけど。
 あー、脱線。

 まあいいや。
 で、生活保護を受給している人は、パチンコしたりお酒飲んだりしちゃいけない、とは思わない。みわは本書の中で「健康で文化的な最低限度の生活」の最低限がどうなのか、という問いを立てる。でも、ぼくとしては、健康で文化的な生活は何なのか、と思う。パチンコはその中に入らないのだろうか。
 もっと言おう。親戚の葬式に香典を包むことができないというのは、文化的な生活ができていないということではないか。だって、葬式も文化じゃない。

 とかね。
 本音を言えば、ろくでもない仕事をするくらいなら、生活保護を受給して働かないでいたほうが、地球環境にはいいのではないか、とも思う。例えば、ネットワークビジネスで、原価数万円の浄水器を30万円で売る仕事とか、しないほうが世の中のためだとも思う。
 あるいは、生活保護受給額以下の仕事なんて、させちゃいけない、とか。その仕事をしても、生活保護は一定額受給する。何が問題かっていうと、仕事をさせている企業は、給与の一部を生活保護でまかなっているということ。つまり、その企業が生活保護フリーライダーである、税金で不当に金儲けしているということ。ダメじゃん。
 とか。

 そんなことも考えながら、読んでいました。
 「生活保護リアル」はダイヤモンド社メールマガジン「ダイヤモンド・オンライン」で連載が続いているし、過去の記事も読める。ということで、本になるまえの記事も、たぶん、今でもネットで読めると思う。ので、ぜひ。

 という2冊の間で読んだのが、本谷有希子の「あの子の考えることは変」(講談社文庫)で、けっこう楽しかったです。
 主人公は男運ダメダメGカップだけが自慢の23歳女性、巡谷。彼女と同居している同級生が、つるぺたロリ系メガネ干物女子、日田。強力に残念なニート女子の、変な話で、笑うけど悲しくもなるけど、でもまあいいか、と少し元気なラストでもある。
 ここまで残念だと、リアルにいたら、ひいちゃうかもしれない、とも思う。でもまあ、いいか、とか。
 上の2冊の間に置いたら、何だか、語れそうですね。でもいいや。

 とまあ、そんなわけで、あーでもないこうでもない毎日です。
 深夜アニメは、うーん、今回はどうだろうか。まだ、わかんないや。録画した「惡の華」を半分までしか見ていないしな。傑作すぎて、ほんと、心の準備がないと見られないんですから。

 えーと、今夜のBGMは畑亜貴でした。アニソンの闇の女王、ですか。彼女の音楽のルーツが、ケイト・ブッシュとキングクリムゾンですからね。アニソンはプログレだったんだ、といえば、まあ、そうかもしれません。
 いや、「ジョジョの奇妙な冒険」のエンディングがイエスの「ラウンドアバウト」だったのはいいとして。
 でもまあ、「ハレハレユカイ」からけいおんの一連のオープニングとエンディング、「僕は友達が少ない」の第1期のオープニング、nano.RIPEややなぎなぎなど、ぼくが70年代や80年代に聴いていたポップミュージックの子孫が、今のアニソンなんじゃないか、とは思ったりもしています。

 とまあ、そんなわけで、ではまた。