トウモロコシ

tenshinokuma2013-06-18

 先日、鹿児島から届いたもの。
 真ん中の2本は、息子が鹿児島に行ったときに植えたもの。
 でも、うちのこどもたちはあまりトウモロコシが好きではない。
 しょうがねえな。

 以下、最近思うこと。

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ブラック企業アベノミクスの間」

 都議選がはじまったけど、その前の総選挙、次の参院選自民党圧勝みたいで、なんだかすごく気持ちが悪い。
 都議選の新聞報道では、有権者の最大の関心は福祉なのに、なぜか自民党に投票する人が最も多い。矛盾していると思うのだけれど、みんなそうは思っていないだろうな、と思うと、ますます暗い気持ちになる。

 このところ、株価が乱高下していて、安倍が嫌いな人はアベノミクスの破たんだってさわいでいるけれども、これもなんだか違う方向を責めているようで、そんなんだから、だめなんだよな、とか思ってしまう。

 だいたい、2000年頃からの流れの上で、アベノミクスを見ていくと、何がよくで何がダメなのか、わかるのではないか、そう思っている。
 まず、昨年末からの、アベノミクスの成果というのは、単純にアナウンス効果だけだったと思う。市場にお金をあふれさせる、公共事業をたくさんやる、そういうコトバだったと思う。
 ただ、状況としては、そもそも市場にお金はあふえれていたし、石油や天然ガスの輸入の拡大で貿易赤字になっていた。これは、円安になるという条件がそろっていた。そこに、コミットメントが重なって、本当に円安になった。
 だから、アベノミクスの最初の成功は言葉だけだった。たぶん、もっと前に、野田がコミットしていれば、ノダノミクスで円安にすることは可能だったと思う。一方的な円高を容認しないということを、世界に発信すれば良かったのだから。

 もう1つ、大事なことは、アベノミクスの最初の成功は、自民党という政党、あるいは安倍の政治信条とはまったく異なる思想によるものだということだ。あえて、あるとすれば、海外からの通貨安競争という批判を恐れなかったことだろう。
 結果として、円安になったし、これによって「日本が輸出立国だと仮定した上で、業績は向上することになるはず」ということになった。だから、株価が上がった。もちろん、円ベースなので、海外の投資家にしてみれば、割り引かなくてはいけないのだけれども。

 ところが、ここにきての乱高下である。米国の金融緩和などの理由はあるにせよ、アベノミスクもここまで、という見方をされている。アベノミクス支持派は、長期的に考えれば問題ない、という。
 多分、どちらも正しくない。

 日本の産業界があれほど円安を望んだのに、本当に円安になってみると、たいして業績が回復しないという現実に直面した、その結果がこれだ。
 何のことはない、日本企業の経営層が頭を使ってこなかった結果だ。すなわち、企業としての競争力を身に付けることができていなかったということだ。

 ここで、2000年からの流れを考えてみる。
 失われた10年から失われた20年にいたる時代だ。
 失われた20年のうち2000年代の特長は、景気は回復し続けていたということだ。ただし、人々は豊かにはならなかった。そういう時代だ。
 この間、何があったのか。自民党政府は雇用の規制緩和をし続けてきた。非正規雇用が拡大したといえばいいか。
 平均賃金は、最初の10年間に、10%も低下した。他の先進国が、上がる一方だったのに、日本だけが下がった。
 デフレが先か、賃下げが先か、それはわからない。デフレスパイラルの中で、内需が縮小し、円高になりやすい条件ができた。そうした中、とりわけリーマンショックのときに、世界的な通貨安競争に対し、円は資産をあずけるために都合がいい通貨となった。デフレ下にある円は、円高で固定されてきた。

 2000年代の景気拡大、というより企業が生き残ってきたのは、労働コストを下げるという、それだけのことだった。それなら、経営者は頭を使うことなんてない。そんな状況で、安穏としていた経営層は、自社の競争力を高める努力をしてこなかった。その結果、再び円安になったとしても、競争力のなさがあからさまになってしまっただけだった。あるいは、生産性の向上につながらなかったと言ってもいい。

 ところで、企業にとって、非正規雇用の拡大は十分だったのか。ノーだ。人件費削減競争に陥ったため、雇用の規制緩和だけではおいつかず、その結果が「ブラック企業」につながっていく。
 生産性も競争力も置き去りにしたまま、人件費の抑制だけでグローバル市場で戦っていくということは、無理だ。そのことが明らかになったのが、アベノミスクの失墜だ。

 今、政府が雇用の規制緩和をしようとしている。何のことはない、ブラック企業の合法化だと考えればいい。
 生活保護の改正が、水際作戦(窓口で、生活保護の支給を思いとどまらせる、拒否する、行政の違法ともいえる対応)の合法化であるように。

 自民党という政党は、極端に言えば、企業の経営層の利益を代表していると考えていいだろう。そうすれば、合理的に解釈できる。
 では、ブラック企業を合法化することで、小泉時代のように、人々が豊かにならなくても、景気は拡大するのだろうか。たぶん、ノーだ。
 たぶん、国内に安い労働力をつくって、景気を拡大していくということは、もう無理なのだ。そもそも、それは持続可能な政策ではない。

 時計の針を、高度経済成長時代に戻してみよう。この経済成長を支えたのは、安い労働力が国内に存在したことだった。
 具体的には、公共建設工事における非正規雇用の活用が一つ。冬季の農業従事者の出稼ぎを典型としている。
 あるいは、主婦のパートタイムや内職。
 最近、お笑い芸人が内職に挑戦する番組があって、だいたい2人で数時間作業し、千円前後の報酬を手にしている。熟練した人でも、どのくらいの収入になるのか、計算すると愕然とするようなものだ。自宅でできるというメリットと引き換えにするにはあまりに安すぎる。

 次に、企業が安い労働力として活用したのが、途上国の労働力。
 そして、2000年には国内に再び安い労働力をつくるために、規制緩和をしたということだ。

 ところが、現在、こうした国内に安い労働力をつくる政策が、持続可能なものではなかったということが、晶かになっている。だから、ノーなのだ。
 日本はかつて、終身雇用だと言われてきたが、前述のような建設業の非正規雇用やパートタイムはそこから漏れていた。
 山谷地区の住人やビッグイシューのインタビューなどを読むと、60代70代が、こうした非正規雇用の帰結だということがよくわかる。
 あるいは、夫をなくした(生別、死別をとわず)ために非正規雇用で生きてきた女性も同様かもしれない。
 彼等は公的年金制度など、社会保障の網からはみ出してしまうため、生活保護が必要となる。
 生活保護受給者が年々増加しているが、圧倒的に多いのは高齢者だ。若年層も増加しているが、それもまた問題なのだが。
 というか、非正規雇用の拡大は、将来の社会保障の網からはみ出してしまう人の拡大ということになる。

 こうした中にあって、現在の政府の下で、日本企業は持続可能ではない、そういうことだ。
 そして、アベノミクスの成長戦略がダメなのは、こうしたことに鈍感だからだ。薬のネット販売くらいしかやることが残っていない。
 雇用をこれ以上規制緩和しても、企業の競争力は向上しないし、生産性向上に対しては知恵を出されることはない。

 それでもなお、安倍政権は、手を変え品を変え、国内に安価な労働力をたくさんつくろうとしている。それでも足りず、企業はブラック化していく。そういうことだ。

 そう考えると、女性手帳も、育休3年も、生活保護改悪もよくわかる。
 女性手帳は、少子化対策として、若いうちに子供を産むことが奨励される内容だが、そこには経済的リスクはあまり考えられていないという。最初の段階では、審議会かな、そこでは少子化は若年層の経済的問題への指摘があったのに。
 若年層が子どもをつくれば、経済的に恵まれない中での養育となる。何のことはない、貧困の連鎖を早めるだけだ。
 育休3年もまた、そもそも3年も休んだ女性に対して、高い報酬は支払われることはほとんどないということだ。子どもを産むたびに、3年も休むのだから、賃金も抑制される。
 生活保護については、そもそも、最低賃金との比較があった。最低賃金で働くよりも、生活保護のがお金がたくさんもらえるので、下げよう、という。最低賃金を上げるという発想はなかった。何より、そもそも最低賃金が低いことは、「健康で文化的な生活」ができる賃金が保証されていなかったということなのに。
 (だから、民主党には最低賃金時給1000円は実現してほしかった。これでも、月に20日、1日8時間働いたときの収入がいかに低いか、わかると思う)

 結局のところ、次の成長戦略というのは、どういったことが、私たちの豊かさにつながるのか、そのことを根本から問い直さないと、答えはない。それは、アベノミクスの延長にはない。
 問題は、では、それは何か、答えに対するコンセンサスがないこと。これができるまでは、きっと日本は混乱し続けるし、自民党の対抗勢力も育たない。できても民主党のようにみんなに足を引っ張られるだけ。
 それは、きっと時間がかかること。
 だから、参院選の絶望的な結果となったとしても、3年間、我慢するしかないな、とも思う。その間に、憲法が改正されるかもしれないし、もっとぐちゃぐちゃになるかもしれないけれども、でも、いまさらあわててもしかたない。
 次の総選挙までには、どうにか、そう思っている。