吾嬬稲荷神社

tenshinokuma2018-02-12

吾嬬神社神社の境内社

 河合雅司の「未来の年表」を読んだ。]

 サブタイトルにある「人口減少社会でこれから起きること」というのは、おおむね正しいと思う。

 未来の年表として、ほぼ予測されている人口動態に合わせ、どのような問題が起こるのかが書いてある。

 なかなか、希望が見えない年表だけれども、冷静に考えると、そうならざるをえない、といったところだ。

 日本人の多くは、見たくないものは見ないという傾向があって、現実が共有されていないのではないかと思うのだけれども、その意味では、本書は読まれてもいいと思う。

 ただ、それも131ページまでだ。2050年以降の未来について書かれた部分、およびその処方箋を示した第2部はゴミだ。というのも、著者もまた、見たくないものは見ないからだ。ただしそれは、衰えた日本の姿であって、住む人の豊かさや幸福に視線が届いていないということだ。
 あるいは、家族制度が変化し、外国人が増えた日本であり、貧困層が拡大した日本ということだ。

 なぜ処方箋がごみか。第一に、財政と社会保障の問題が置き去りにされている点だ。何となく、書いてはあるが、それでもきちんとした見通しは示されていない。具体的な事例としては、非正規雇用が多かった団塊ジュニア世代の高齢化だ。著者はあっさりと無年金・低年金と書くが、それはそのまま生活保護受給者ということだ。これはおそらく避けられないだろう。ここでは、むしろ年金制度そのものの変更すら必要になる。また、派遣制度を見直すことがなければ、この問題は引きづっていくことになる。国民年金を支払わない人は多いが、実は払ったところで生活保護レベルにしかないのであれば、払うだけ無駄、そう思われてしまってもしかたがない。

 少子化対策として、第三子に1000万円くらい手当てを出すということも主張している。しかし、フランスで出生率を向上させた政策は、婚外子に対する支援だ。結局、お金ではなく、子供を安心して育てられるような支援と、親が子供の犠牲にならない支援なのだ。その結果。著者の女性の労働力化に対する考えが中途半端だ。

 そして、最大の問題は、人口減少社会の底流に、貧困層の拡大があるが、そこに対する処方箋が書かれていないこと。それなしには、日本全体が山谷や釜ヶ谷のようになりかねない。処方箋を読んでいると、基本的には豊かな層に対する対策でしかない気がする。まして、財政赤字潜在的な通貨安を含んでいる。日本全体が貧困な国になりかねないということも指摘できる。

 また、移民に対しては極端に否定的だ。これはまあ、議論の余地があるけれども、外国人が増えたところで、みんなが豊かに暮らせればいいのではないかとは思う。むしろ、移民を受け入れられるほど魅力的な国なのかどうかが問題だと思う。移民が問題になるのは、低賃金の労働者としてしか考えていないことだ。同一労働同一賃金の枠組みの中で、ともに豊かになれれば、さほど問題ないだろう。逆に、日本の文化とくくられるもの、例えば天皇制がなくなったとしても、その時代の人は困らない。

 結局のところ、大切なのは、日本がどうなるかではなく、その時代に生きる人が豊かで幸福であればよく、そのときの日本の姿はそのことに従うだけではないだろうか。