こちら葛飾区水元公園前通信848

tenshinokuma2016-10-20

 こんにちは。
 お元気でしょうか。
 まあ、こちらはぼちぼちやっています。

 世の中、誰にどこで出会うかわからない、という経験を、ひさしぶりにしました。
 高校時代に隣のクラスだった友人、Sさんが出演する芝居を見に行ったのです。で、行くまで気付かなかったのですが、共演者の一人は、大学時代のSF同好会の後輩にあたる友人、Kさんのお姉さんだったという。
 いや、演劇をやっているということは知っていたのですが、ここで出会うとは。大学生のときもすれちがうだけだったのに。
 芝居が終わった後、出演者・観客ともども、舞台となったお店で食事をしたので、少し話したりしました。まあでも、この日のびっくりで、持っていかれました。

 演劇は、2本立てで、韓国の新人劇作家によるもの。リーディングというスタイルで、脚本を手にして、朗読していきます。リーディングは初めてだったのですが、本そのものの力が伝わる、というものです。

 「一等兵 イ・ユンクン」は、韓国の軍隊を舞台にした演劇で、リーディングとはいえ、役者に動きがあり、手にした本も小道具としても使われていました。
 韓国には徴兵制があり、21カ月、軍隊に所属することになります。そこではあたり前のようにいじめが行われています。軍隊の中では、年齢も学歴も関係なく、先に入隊した方が上位にいるという関係。名門大学にいても、軍隊では最初は下っ端。けれども、だからこそ、優秀な下っ端は、どう考え、何をするのか。
 ぼくのいる会社の人たちは韓国籍の人がほとんどなので、兵役の経験があるし、理不尽ないじめも当然のように行われているとのこと。いじめが少ないのは、国境線近くで、実弾があるから、かえって冷静、とか。
 日本という場所から見ると、徴兵制がいかに社会をゆがめているか、ということも感じられます。

 「401号 ユンジョンのとこ」は、一転して、舞台に4人が並んで座り、本を読むというもの。主人公の  はすでに死んでおり、幽霊のように登場する。彼女のお葬式というのが舞台。しかし、彼女がなぜ死んだのか、具体的な話はなく、そこにいたるまでの、からみつくような人間関係だけが示唆されます。禁欲的なリーディングの中で、ほぼ唯一の動きというのが、ユンジョンが帽子をとって顔を見せるシーン。幽霊が実体化するような雰囲気。そして、ラスト近くで帽子をかぶり、顔を隠すことで、存在が消えるような演出。
 親子、姉妹という関係の中で、彼女が死ななくてはならなかった。韓国社会は、日本以上に束縛が多いのでしょうか。
 個々のセリフ以上に、どこにも行くことができない、そうした雰囲気づくりで、息が詰まる舞台だったと思います。

 立岩真也他による「生の技法」(生活書院)を読み始めたのは、「現代思想10月号 緊急特集 相模原障害者殺傷事件」を読んだからなのです。
 そこで、ひっかかっているのは、上野千鶴子などが語っている、障害者が施設に集まって住んでいるのでなければ、こうした事件は起こらなかったのではないか、という指摘です。
 確かに、高齢者介護を含め、施設から地域へ、というのはひとつの流れとしてあります。また、とりわけ人里はなれた施設ではなく、同じ施設であっても地域社会に戻していこうということも行われています。しかし、一方で、書評依頼者から送られてきた新聞のインタビューでは、一方的な施設否定には異議をとなえていました。施設には施設のメリットがあるということです。ぼくにはどちらが正しいかわかりません。
 では、施設を出て暮らすというのはどういうことなのか。積ん読だった「生の技法」を取りだし、読み始めたのです。
 その中で、介護者と障害者の関係というのは、それは、健常者として暮らす日本人の場合はあまり感じることのない、束縛のようなものになりかねない、ということを感じました。
 束縛は悪意だけではなく、善意でも成り立ちます。どうしても非対称になってしまう、介護者と障害者の関係というのが、そこに陥りやすい、ということでしょうか。
 そして、「生の技法」は、その非対称な関係を対象な関係にし、自立生活をいかにして成立させるか、その技法について、論じられています。
 まだ、半分も読んでいないので、続きは次回。

 ピエール・ルメートルの「傷だらけのカミーユ」(文春文庫)も読みました。カミーユ三部作の最後の作品です。
 翻訳は後になりましたが、第1作の「悲しみのイレーヌ」は、驚愕のしかけがしてあって、かなりびっくり。第2作の「その女、アレックス」は、次々に転換する事情に、やっぱり驚愕。そういう話だったのか、と。それに比べると、驚きは少なかったのですが。
 カミーユふんだりけったりだなあ、と。ストレートに転がり落ちていくかんじでしょうか。恋人のアンヌが傷だらけなんじゃなくって。愛すべきケチのアルマンはすでに死んで、その葬儀から物語がスタートしているし。もう、三作目になると、ちょっとやそっとで意外だなんて思わないから。
 まあでも、イレーヌ、アレックスも読んだら、カミーユも読まないわけにはいかないですよね。

 そうそう、先月から今月にかけて、トークライブを3回ほどやりました。中でも、都市エネルギー協会でやったものは、参加者も50人くらいいて。
 このときの講演の速記録をもらいました。ブックレットにするとのことで、赤を入れたのですが。読み返してみると、自分もなかなかいいこと言ってるな、とか思ったりして。
 いいかげんなもんですね。
 このあと、当分はトークライブの予定はないのですが。

 えーと、今期は、深夜アニメの話題はなしです。なんだか、あえて話題にするものがなくって。
 そんなこんなですが、月末には、トーキングヘッズ叢書も出ますし、ということでよろしくお願いしますです。