どうも、です。
また、宣伝ですが、4月23日発売の「週刊エコノミスト」に、原発の記事を書かせていただきました。立ち読みでもしていただければ幸いです。
で、こういうことを書くと、結局、原発ってどうなのよ、とか質問をされそうですね。
わかりません。まあ、今の関西電力大飯原発3,4号機再稼働とか見ていると、まじめに再稼働させようと思っていないんじゃないかというくらい、どう見てもいいかげんすぎるとは思いますが。猪瀬直樹に言わせると、ガバナンスの問題だそうで、意思決定ってそれでいいの、という。非専門家の閣僚が相談して決めるものなのか、という。
そういうことの一方で、関西では原発が再稼働しない想定をしなきゃいけないはずなんだけど、どれだけ準備ができているのだろうか、とも思います。あてにできないのなら、対応しないと、という。
ぼくみたいに関東に住んでいる人から見れば、できるだろ、と思うんですけどね。
ついでに言わせてもらうと、野田政権はダメダメだと思うのだけど、これは別に野田のせいじゃないな、とも思っています。まだ、菅政権や鳩山政権のがマシだったよね、と思うけど、それを引きずりおろしてしまったのだから。
日本はなぜこんなに劣化してしまったのか、といったタイトルの本があるけれども、ぼくは劣化したとは思っていません。まあ、この程度のレベルだったんだから、しょうがないよな、と思うだけです。といって、あきらめているわけでもないんですけど。
課題が単純であれば、まあ、政治のリーダーシップでどうにかなった、というのが20世紀の話でした。高度成長とかバブル経済とかあったし。でも、もうリーダーシップではどうにもならないと思うのです。あれもこれも解決してくれるような右肩上がりの経済ではないので、何を選ぶかでしかないし。
そういう意味では、たとえば小泉純一郎に対しては、個人的にはとても批判的になってしまうのだけれども、それはさておき、貧乏人が犠牲になってでも、日本が経済成長するのであれば、それでいいという選択というのは、それはそれであったのだと思います。それでトリクルダウンが、なかったわけですが。
というのは、皮肉です。
指標をクリアする、ビジネス的には、KPIですか。その単純な目標であれば、リーダーシップも有効というものです。小泉でも橋下でもいいわけです。
ただ、その結果が、人々の幸福を約束しないだけの話です。
所与のものとして、ぼくたちの能力なんてこの程度のものなのだから、いたずらにリーダーシップなんか求めないで、ずっとぐだぐだやっている、そういう日本経済でいいんじゃないか、と思っています。それがいやなら、自分で何とかしなさい、というところでしょうか。
けっこう、ぼくたちは最低限のモラルみたいなものを持っていて、そこで救われるのではないでしょうか。新しい公共、みたいな言葉に納得してしまって、それで助け合ってしまう、みたいな。ダメダメな日本だけど、それでもまだ、欧米よりは公平な社会だとも思うのです。
最後は、みんなでお米をつくって生きていく、ってなところでしょうか。
下手なリーダーシップを発揮する政治家が登場して、貧富の差が拡大し、よりたくさんの貧しい人ができるよりは、マシというものです。
とまあ、そんなふうに思うのですが、そういう話を、小学校の卒業式や入学式で話してもダメですよね。
ということで、3月には卒業式、4月になって入学式で、PTA会長の祝辞とか、しました。まあ、その内容は、ブログにアップしてあるし、いずれHPにもアップはしますが。
いずれも、村上春樹みたいに「雑文集」を刊行することがあったら、収録します。って、そういうことはなさそうですけど。
うまく話せたかっていうと、うーん。田中直紀といい勝負かもしれません。原稿があっても、人前で話すのは苦手なんですよね。それで、1時間半のトークライブをよくやったとも思いますが、それはそれとして。
緊張しました、はい。
卒業生に対しては、まず、6年間も勉強して、成長したのだから、自信を持って欲しいし、成長したのは自分だけじゃないのだから、お互いをリスペクトして欲しいっていうことを話しました。
新入生に対しては、勉強はいやかもしれないけど、漢字が読めたり計算ができたりするのって、とてもすてきなことなんだっていうことを話しました。
まあ、そんなもんです。
日本にいてもつまんないので、さっさと海外に行きなさい、と言いたい気もするんですけどね。って、これは実感というより、オーストラリアの人の話ではありますが。あっちは景気がいいらしいので。でも、そこまではいいませんでした。
あと、地域の人=来賓には、卒業生を地域社会のメンバーとしてこれからもよろしく、新入生については保護者も含めてフォローしてね、という気配り、です。
とまあ、そんなわけで、挨拶ついでに、娘が転校した先の中学校でも、保護者代表挨拶までしてしまったので、まあ、そういう春だったわけです。
花見もしたし。
最近読んだ本、ですか。
金田一蓮十郎の「ニコイチ」が10巻で無事に完結しました。最後まで、どうよ、という展開をしつつも、おちつくところにおちついたという感じです。
「ニコイチ」については、すでに別のところで語った気がするのですが、性的に男性でも性格的に女性っていうのが、金田一にとってのある種の理想なのかな、というのがあると思います。ジェンダーみたいな言葉で言うと、すごくわかりやすくて困ってしまうんですけどね。男性とか女性、父親とか母親、そういう役割っていうのは、本質的なものではなく、個人の属性はもっと自由だし、というところかな。だから、10巻でとってつけたように、実の父親が登場するっていうのは、しかもその意外な告白っていうのは、まあ、わかる気がするんです。
だから、「ニコイチ」については、せっかく完結したので、ぜひ読んでください、とおすすめします。フェミ的には、もっとも重要な作品の1つ、ですから。
このところ、パトリック・モラーツのピアノ曲をよく聴いています。リック・ウエイクマンを聴くほど、心の平穏さがないんだな、ということに気づいています。エッジの効いた演奏が、今はなじむかな。
えーと、最後に。
今月の日経サイエンスによると、オリオン座のベテルギウスは、観測によると最近、大きくなりつつあって、これは超新星になる前兆かもしれない、ということです。そうすると、かに星雲以来の超新星の観測ができて、これは昼間でも見えるらしい、とか。もっとも、別の観測によると、そうでもないとのことですが、ただし、ベテルギウスのような超巨星は寿命が短く、1000万年とか、そのくらいであり、寿命としてはもう終わりかけているのは事実。少なくとも10万年以内には、爆発するのではないか、という。つまり、今のうちに見ておかないと、10万年後はないということです。
それにしても、そんな巨星が地球の近くになくて良かったとも思います。ベテルギウスがシリウスくらいの距離にあったら、けっこう大変なことになっていたんじゃないか、と思うのですが、どうなのでしょう。