こちら葛飾区水元公園前通信780

tenshinokuma2011-08-30

 もうすぐ夏も終わりですね。というか、学校は8月25日が始業式だったので、気分はもう9月ですが。みなさま、この夏はいかがでしたでしょうか。

 夏といっても、かみさんもぼくも忙しく、なかなか思うように夏休みがとれなかったのですが。それはそれとして、少なくても休みは休みで、それなりに過ごしました。
 釣りは、3回行ったかな。うち2回はハゼ。江戸川放水路だけど、まだ小さかったな。でも、てんぷらでおいしくいただきました。
 海は、海水浴を兼ねて、息子と。ゴーグルをつけてもぐるだけで、いろいろなものが見られるので。まだ、泳ぎがうまくないので、深いところまで行けなかったけど、水中観察ということで、息子は満足したみたいです。そのあと釣りもしたけど、あまりつれなかったな。

 これから秋にかけて、再度ハゼ、それから海も次は小坪港あたりはどうかな、と思っているところです。回遊魚狙いっていうのも、考えてはいるんですけどね。ただ、9月は土曜日の予定がたくさんあって、なかなか難しいかな。

 旅行としては、群馬に一泊で。ドイツ村、こんちゅうの森、富岡製糸工場あたり。東武鉄道りょうもう号にも乗ったし、上毛電鉄上信電鉄も乗ったし、と、そっちですかって。わたらせ渓谷鉄道は以前乗っているし。
 ドイツ村は東武鉄道/上毛鉄道赤城駅からタクシーで20分。まあ、酪農系の小さなテーマパークだけど、ビールがおいしいのがうれしいところです。車で行くところじゃないな。子供的には、アーツェリーとか、鯉が群がってきてたいへんな池のボートとか、ゴーカートとか、そういうのが楽しかったりもしたみたいです。
 こんちゅうの森はやはり上毛鉄道のどっかの駅から徒歩で20分、バスで5分、雑木林の山とチョウがたくさんいる昆虫観察館、それにカイコを飼っていた建物を移築した民家があるという。でも、雑木林ではトカゲとかカエルばかり見ていたな。暑いので雑木林の山を歩く人は少なくって、ちょっとしたハイキングになってしまったかも。
 富岡製糸工場は、世界遺産候補ですか。でも、あまり見学できるスペースが多くなかったな。建物としては貴重なんだろうけどな。
 桐生のホテルでは、予約内容がうまく伝わっていなくて、シングル部屋のセミダブルベッドで息子と二人で寝るはめになったり(おかげで、宿泊料は安かった)とか、高崎で買った駅弁を結局自宅で食べたとか、まあいろいろありましたが。

 そのほかにも、夜の公園散歩とか、公園のプールに行くとか(鎌倉公園も金町公園も両方行った)、地区委員会のバスハイク(スパ三日月、龍宮城)に行くとか、ポケモン映画を見るとか(「白き英雄」の方)、まあそんなこんなで過ごしていました。で、書きかけの本は、あと1章で脱稿です。

 本もいろいろ読んだけど、最近、しみじみとしたのは、「文学界」に掲載された、上野千鶴子の最終講義「生き延びるための思想」だな。
 上野の本は、「女という快楽」以降、ずっと読んできたし、それこそ30年近く前からということになる。その上野が東京大学で最終講義かって思うと、時間の流れを感じてしまうわけです。
 最初は「不惑フェミニズム」というタイトルで3月15日に予定されていたものが、震災で延期され、それを受けてタイトルを変えたということです。
 ぼく自身が、フェミニズムというところから、上野の本を読み、けれども採取講義にあたって、原発というところにくるというのは、めぐり合わせを感じてしまうわけですが。
 原発事故に対して、上野は「やっぱり」と思ったし、そこで高木仁三郎を引き合いに出しています。ぼくは自身に対し、「やっぱり」とは言えない。正直に言えば「まさか」と思った、といわなくてはいけないんだなと思っています。声が小さかったという反省も含めて。
 そして、そこから、上野は弱者という話をします。フェミニズムは、決して、女性が男並みになるための思想ではなかった、と強調します。弱い人間が弱いままで、自己決定していくというのは、「当事者主権」で語られたことだし、それが上野の中では、障害者運動と出会い、そして高齢者介護の問題につながっていくということです。そうした中、とりあえず、フェミニズムのバトンを次の世代に渡すというのが、最終講義でした。
 渡される目録としては、「新編日本のフェミニズム」全12巻(岩波書店、ぼくは今、11冊目を読んでいます)があるし、という。
 そうした中、ぼくにとっては、バトンを受け取るようなことではなく、まず自分のことを何とかしなきゃ、というところだなあって、あらためて思いました。震災ボランティアはできないけど、自分は自分の役割があるし、それはきちんとやろう、ということです。それがどんなに微力なものでも。

 上野の本はもう一冊、読みました。「女ぎらい」(筑摩書房)です。個人的には、イブ・コゾフスキー・セジウィックの「男同士の絆」(名古屋大学出版会)を読んでいて、その内容を上野は社会学者としてプラスアルファした上でわかりやすく書いたものだな、とは思うのですが。
 どういうことかっていうと、社会はだいたい男性社会になっている。そこでは、男性としての規範があって、そこで認められることが大切だという。ホモソーシャルな世界、男が男にほれる社会。宮下あきらのマンガみたいな世界、という。男性は女性を劣ったものとしてみなすから、ある意味で女性が嫌いだ、と。でも、同時にヘテロセクシュアリティが条件付けられてもいるから、別にホモセクシュアリティなわけじゃない。むしろ、ホモセクシュアリティにおいては、それによって自身が女性的な立場になってしまうことから、ホモフォビアになる。ホモソーシャルな世界では男は男にほれる(例えば、加藤の乱のときの谷垣ってそうだったでしょ)けど、ホモセクシュアリティを嫌悪する。セジウィックが文学批評で示したことが、男性にとってみればこういうことなんだけど、これは女性にしてみれば、自身を嫌うことになる。女性が女性である自分自身を嫌い、違う姿になろうとする。そういう意味で、「東電OL殺人事件」が他人事じゃなかった、ということになっていく。上野はそうしたことを、社会学者として語っていく。
 これを読みつつ、ふと思ったことは、今の民主党って、自民党以上にホモソーシャルなところなんじゃないかっていうこと。どうなんでしょうね?

 上野からバトンを渡された、千田有紀の「日本型近代家族」も読んだってな。これについては、別に書評を書いたので、いずれ。

 それにしても、先日、パソコンが故障したのは痛かったな。かわりになるパソコンもないし。必要なデータをコピーしてもらい、同時に中古のモバイルパソコンを購入。これで5万円以上もかかった。さらに、うちにあった古いパソコンも修理に出すことにした。
 とにかく、仕事ができないし、本の執筆も進まないし。まいったな、というところ。

 東京ヤクルトも、まだ首位だけど、ゆっくりと貯金を減らしている。他のチームが勝ったり負けたりなんで、どうにかなっているけど、もう横浜以外どこが優勝してもおかしくないな。まあ、これが実力なのかもしれない、と弱小チームのファンは思うわけだが。
 それにしても、このチームのピッチャーは、カツオにバカボンジャイアンである。それだけはすごいかもしれない。