こちらつつじが丘野川どんぶらこ通信941

 こんばんは。

 寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

 

 電気代もガス代も値上がりしていて、ますます寒さを感じますね。

 

 今回も業務連絡から。告知が遅くなったけど、トーキングヘッズ叢書No.93「美と恋の位相」が発売されました。すでに書店に並んでいるので、今回もぜひともお買い上げくださいますよう、よろしくお願いいたします。

 今回は、ジャネット・ウィンターソン、モニック・ウィティッグ、アニー・エルノージャン=フィリップ・トゥーサンレベッカ・ブラウンについて書きました。それでどこが、美と恋の位相なのかは、まあ。

 ほかにもレビューなんかもあって、そちらも。

 

 新刊の方は執筆が終わり、校正の段階に入っています。こちらは4月刊行予定。くわしくはまた、刊行が近づいてきたらお知らせします。

 それにしても、会社を退職したのに、忙しい毎日で、ではこの先どうなるのかというのが謎のままで、生活はどうなってしまうのか、とか、そんな感じです。

 

 「暴太郎戦隊ドンブラザース」ももうすぐ最終回ですね。なんか、カオス的な話で、子供がついていけないという噂もありますが、終わったらなんか、ちょっと語ってみたい作品です。この作品について語るための飲み会というのもあってもいいかもしれません。

 

 なかなかテレビは追いかけていけないけど、読みたい新刊はたくさんあって困ります。

 アーシュラ・K・ル=グウィンの「私と言葉たち」(河出書房新社)やトマス・M・ディッシュの「SFの気恥ずかしさ」(国書刊行会)などのエッセイは、それなりに厚さはありますが、気軽に楽しく読める読書ガイドでもあります。

 ディッシュが古いSFを子供の読み物だというとき、主人公は少年だし、とか、まあそんな指摘もされていて、とはいえぼくはといえばアシモフハインラインもまともに読んだことないので、何ともいえなかったり。でもそこにはディッシュのSFへの愛情もあります。ディッシュの一押しはディックかな。

 ル=グウィンもいろいろ紹介しているけれど、その中であらためて読もうと思ったのは、ヴォンダ・マッキンタイヤの「夢の蛇」。ということで、これは読んでみます。あとは、けっこう古い作品の再刊の序文をいろいろ書いていて。

 

 NHKのEテレで「100分deフェミニズム」という番組があって、これは見ました。感想などは、ブログに書いたので、興味があれば読んでくれればいいのだけど。この番組で上野千鶴子が取り上げていたのが、イヴ・コゾフスキー・セジウィックの「男たちの絆」でした。選択としては、なかなか興味深い。確かに、ホモソーシャルな社会で、会社なんかで男が男に惚れたりするというのはよくある話だけど、そこにはセクシュアリティは切り離され、むしろホモフォビア。そして女性はそこから疎外される、ミソジニー。とまあ、そういうことが論じられている。おかげで、セジウィックの本が平積みになっている。

 でもセジウィックはむしろ、「クローゼットの認識論」が代表作で、クィア批評でもっと知られているんだけどね。

 そのセジウィックの新刊が「タッチング、フィーリング」(小鳥遊書房)。実はセジウィックは「クローゼットの認識論」刊行後、乳がんが告知され、その進行と闘いながら、研究を続けてきた。死を覚悟して書いた本ということになる。抗がん剤のおかげで、バイセクシュアルであったセジウィックだけど、セクシュアリティについて語ることが少なくなってしまったという。その一方で、仏教に対して近づいていく。

 セジウィックの死生観は、人は死ぬけれど、輪廻転生するというもの。でも転生しても記憶は何も残っていない。仏教的な死生観だとこうなるという。いずれにせよ、生きることと死ぬことを根底に置いた著作として、何かおだやかな本になっている。

 

 あとは、笠井嗣夫の「異和と痕跡」(七月堂)も読んだっけ。これは辺見庸が推薦していたからなのだけど、エッセイというよりは詩集に近い感覚。とはいえ、時代の空気、クリティカルな批評、多様な文学と音楽と映画、歴史、それらが混ざって語られている。文学も、現代詩からSFまで幅広い。

 最後に取り上げられているのが、アンナ・カヴァンの「氷」。地球は温暖化しているけど、人間社会は寒冷化しているよな。

 

 トレッキングの方は、1月にはゆる山として、丹沢の大野山に行きました。雪がまだ残っていたけど、それがなかなか新鮮な感じ。富士山がよく見える山です。この日は富士山に雲がかかっていたのだけど。

 そのあと、超々ゆる山ということで、武蔵野公園のくじら山にものぼってみたりとか。

 でもそれではゆるすぎるということで、丹沢の松茸山にも上りましたが、このときも雪が残っていて、しかもかなり斜面でシャーベットになっていて、登るのに苦労しました。

 とまあ、そんな感じです。

 

 ということで、ではまた。