10年前と変わらない地球温暖化国際交渉の議論

tenshinokuma2009-11-26

 今夜は、COP15直前で鳩山政権はどんな交渉をすればいいのか、といったテーマのイベントに参加した。
 主催はJACSES。ハンブルクだかチューリッヒから来た、Axel Michaelowaさんの報告は、セクター別クレジットやNAMA(緩和)クレジットなど、最近のCDM改革議論にからんだもので、とても貴重なものだった。あまり日本では、この議論はされていないからね。
 でも、続くパネルディスカッションを聞いていて、どうしてこの人たちは10年前と同じ議論をしているのだろうかって思った。これは、NGOも含めてのこと。
 たぶん、排出権取引がどうのとか、COP15で交渉のカードがどうのとか、そういう話はもういいと思う。マイナス25%を先に言ったからどうの、じゃない。
 というのは、米中会談の声明を読んでいて思ったのは、この二つの国が、低炭素社会に向けて何をしたいのか、ということを共有しているということだ。だとしたら、日本はどうしたいのか、どんな低炭素社会にしたいのか、そこでどんなポジションをとるのか、ということなんだと思う。そして、そのためには、国際社会に何を納得してもらい、何を譲歩するのか、ということだ。
 でも、その、どんな日本にしたいのか、ということがそもそも欠落している。
 もちろん、鉄鋼業界の人が、「日本は技術立国だから」と言いつつ、後ろ向きな発言をする気持ちはわかる。でも、そもそも、鉄を同じように売っていこうという発想が間違っている。鉄をいかに使わない社会にしていくのか(電力も同じだ)、という中で、けれども企業としては、成長、少なくとも現状維持していくには、どうしたらいいのか、どんな付加価値を提供していくのか、ということだ。
 技術といったって、人口が10倍、ハングリーな人たちが切磋琢磨する中国にはいずれ抜かれるという話もある。たぶん、日本にはそんなものだけじゃなく、もっといろいろな資産があるはずだ。技術立国にこだわる必要はない。
 環境政務官国益を考えて国際交渉をしてくるって話していたけど、その国益が定義されていないから、不安になる。
 ほんとうに、日本はマイナス25%に向けて、どんな社会をつくるのか、何に投資するのか、そのために国際交渉で何を獲得するのか、その実現のために、どうすればみんな納得するのか、という議論なのだ。
 最初から、途上国とアメリカが参加する枠組みを目指す、なんて言うのは、実はけっこう主体性がない。
 ということで、NGOの人たちも、そろそろ次の次元に移って、みんながハッピーになれる低炭素社会のことを提案していってもいいと思うんだけどな。うん、提案しているんだけれど、視野が狭いって思ってるし。

 写真は、今日の昼食、ヒノマル食堂の薩摩地鶏の親子丼。肉が少し生だったりするが、刺身で食べられる鶏肉なので、これでよいのだ。