政権交代論

tenshinokuma2009-04-18

 山口二郎岩波新書を読んだ。野党に甘いという批判もあるけれど、野党に関係しているんだから、そこは割り引いて。
 それにしても、現実には、政権交代が遠ざかっているような気がしてならない。麻生の支持率が回復傾向が続いている。25%ぐらいで、回復もないもんだけれども。
 山口の本では、大統領制アメリカ、議院内閣制のイギリスでの政権交代を紹介した上で、なぜ日本で政権交代がなかったか、分析している。何のことはない、自民党は思想的にどっちでもよかったから、というのが答え。所得倍増もしたし、公共工事ばらまきもしたし。新自由主義路線をとったこともあったし。
 だから、新自由主義がダメになって、ばらまき麻生になって、それなりに本領発揮されるようになってきていることに、危機感を感じてしまうというわけである。
 でも、麻生のバラマキというのは、お金持ちの人にしかわからないバラマキっていう批判もできると思う。それに、妊婦の検診無料化とか、そういうことって、景気対策でやるようなことじゃない。つまり、景気対策でやるようなことをお金持ちに向けて行なう一方で、分棒人に対しては、制度としてきちんとやるべきことを、景気対策の中に入れてしまっている、そんな感じだ。
 というところを、民主党はもっと声を大にして批判していくべきなんだろうけど、そういうのが見えないよなあ。

 このことがすべてではないのだけれども、10年後には、世界が大きく変化しているような気がしてならない。
 実は、ベーシックインカムに興味を持っている。
 なぜ、興味があるのか。こういうことだ。ぼくには経済に対して大きな疑問がある。というのは、実は、ぼくたちの生産力というのは、毎日少し働けば十分ぐらいのものだと思うのだ。まあ、中学校の社会の授業で言えば、それで余剰生産ができることで、社会が変化していくということになるのだけれども、そう思うと、みんなであくせく働いて余剰を生み出し続けることが正しいのかどうか。実は、そうした生産物の配分をうまくできないために、みんなが働き続けなくちゃいけないんじゃないかって思うのだ。
 つまり、生産物を配分するためには、お金が流通する必要がある。けれども、このしくみには欠点があって、お金を過剰に流さないと、必要なところまで生産物が届けられないのかもしれない。しかも、そのお金そのものが、偏在してしまう傾向があるとしたらどうだろう。
 あるいは、それは市場の問題なのかもしれない。かつて、出張は1泊が当たり前だった場所が、交通手段の発達で日帰りが当たり前になったとしよう。そうしたら、個人の生産性は2倍になっているはずだ。けれども、そんなことはなく、かえって忙しくはたらくことになってしまう。それは、同じ生産性に対する価格が安くなってしまったからだ。生産性の向上はこのようにして市場に吸収されてしまう。
 どうしてこうなってしまうのか、ぼくにはいまだにわからない。けれども、でも、生産性だけは十分にあるんだから、とりあえずお金を配ってしまおうと、そういう発想は悪くないと思う。というか、不要なものまで生産しないから、かえって効率的だし、安心した暮らしができる。そういうのが、ベーシックインカムだと思う。
 では、なぜ10年後なのか。不要なものまで生産しないということ、それから効率的に資源の再配分をしなきゃいけないこと。この2つの要請があれば、制度の導入はアリだと思う。ITの進化が早いのだから、社会のシステムの進化だって早くなっていいはずだ。
 というような可能性を頭の中に置けるのかどうか。そのぐらいのことは、政治家に求めたいと思う。

 佐藤友哉の「子どもたち怒る怒る怒る」(新潮文庫)を読んだけど、うーん、どうかな。「水没ピアノ」のほうがずっと面白かった。たぶん、書いていることが、ずっと単純になってしまっているから、つまんないんだと思う。たまたま、純文学という世界に置いたので、めずらしがられたけれども。