こちら葛飾区水元公園前通信743

 その後、営業マネジメントの本はというと、やっぱり構成からやり直したりしています。
 まあ、いろいろあるのですが、そこは企業秘密ということで。

 それにしても、おひさしぶりです。何だか、今年後半はやたらと仕事がたくさんあって、そのわりにはちっともお金になっていないという状況になっています。何がいけないんでしょうね。
 単行本の仕事をやると、その間、お金が入らないので、けっこう苦しいというのは、まあ、事実ですね。このままだと、年を越せないです。なんてね。

 今月は、ワインの試飲会に行けなかったというのが、いちばんくやしかったかもしれません。別に、「神の雫」のせいではないのですが、お酒を鑑賞するっていうのは、ぼくにとっては、時に必要なものなのです。美術作品を鑑賞するのと一緒なのかもしれませんが、そこできちんと作品に向き合うということです。去年はすごくおいしいバローロを飲んだんだけど、そういう出会いが持てなかったというのが、すごく残念なんですね。

 最近、新しく始めた仕事の1つが、「ビズテリア経営企画」という、エグゼ向けのフリーペーパーの記事執筆です。無料なので、おすすめしておきます。毎月ペースで出ているのだけれども、よくまあこんなにテーマがあるものだと感心してしまいます。それだけ、企業は問題を抱えているし、そのためのコンサルタントもたくさんいるということですね。
 というわけで、よろしくお願いします。

 今月の前半は、森奈津子の「お嬢様とお呼び」以下シリーズ全4冊を一気読みしていました。もともとは学研レモン文庫で出ていたものが、エンターブレインで復刊されたというわけで、原著では全10冊+書き下ろし短編4編を楽しませてもらいました。おかげで、頭の中はお嬢様です(ウソ)。
 作家は処女作にすべてがあるっていうけれども、まあ、そうかもしれません。登場人物の一人はゲイだけどカミングアウトできないし。メンタルなレベルで、あんなことやこんなことを、ヤングアダルトベースで展開していました。
 どのキャラクターも、多少なりとも、森の姿が投影されていると思われるし、そういう意味では、後に妄想を暴走させる(ようにみせかけて、きちんとコントロールしている)スタイルというのが、すっかり確立されている、というものでした。まあ、言ってしまえば、幸せな小説ということかな。このことは、後に「耽美なわしら」で結実するわけですが。

 後半は、まあ、いろいろ読んでいました。書評用の本とかね。
 今は、ポール・オースターの「空腹の技法」(新潮文庫)かな。オースターの文学的な素養っていうのが、よくわかる。でも、ぼくのそれとあまりに違いすぎるので、読んでいてつらいです。共通するのは、サミュエル・ベケットぐらいかな。
 ジャネット・ウィンターソンの「タングルレック」(小学館)というジュブナイルも読みました。ウィンターソンの本がこうした形で出たというのは、アマゾンからの案内がなければ気づかなかったので、それはそれで役に立つものだとは感心しました。いつもは、余計なお世話だって思っているんですけどね。
 時間を支配する時計をめぐる冒険、とでもいうのかな。それだけなら、けっこう楽しそうな話でしょ。そのつもりで書いているんだと思う。同時に、主人公は両親が突然消えてしまって、自称伯母にめんどうを見てもらっていたのだけれども、この伯母がどうもにせものっぽい。このあたりは、彼女の自伝っぽいこれまでの小説を踏襲している。タングルレック屋敷も生きているみたいだし、シュレーディンガーの猫だの、アインシュタインニュートンの話だのがちりばめられていて、で、何かというと、ここで彼女が感じていることっていうのは、物質は所詮は波である、ということなのではないかということ。それはつまり、物質というのは情報であると言い換えてもいい。「パワーズブック」で展開したことは、結局は人はネットの中の情報になれるということなのだけれども、そもそもそんなこと以前に、物理的に情報であるという。そうした感覚こそが、現在のウィンターソンなのではないかって思う。だから、そこまで存在が解体されてしまうのであれば、人は何にでもなれる。小説というのは、実はフィクションなのではなく、情報そのものである、ということにもなる。だから、彼女は語る。という構造なのではないか、と思うわけである。

 かくして、「神の雫」の18巻、第五の使途の勝負は、けっこう感動的だったと思うのです。たぶん、負けることの幸福、勝つことの不幸というものを、ここまでストレートに書いたというのは、けっこうなかなかないんじゃないか、ということで。

 やっぱり、ワインの試飲会は行きたかったな。